第3話:おじさんの家

 楔の契約を結んだ帰り道。

 街灯の光が、私たちの影を長く伸ばしたり、縮めたりしている。

「……さっきの、まだ手がぽかぽかしてる気がします」

「たしかに。なんだか眠くなってきたかも」

 おじさんはあくびを噛み殺しながら、のんびり歩いていた。

 異世界帰りで、魔法が使えて、謎の契約まで結んだわりに、足取りはどう見てもただの中年。

 でも——ちょっとだけ特別な存在になった気がして、私はなぜか誇らしかった。


「じゃあ、僕んちこっちだから」

「わ、偶然ですね。私の家もこの道なんです」

 そんな他愛もない会話を交わしながら角を曲がった、その時だった。

「……あれ?」

 私は足を止めた。


 目の前には、焼け焦げた地面。

 ぽっかり空いた空き地のような場所。木も電柱も黒くすすけていて、風が吹くたび、焦げた匂いが鼻をかすめる。

「ここ……僕の家、だったんだけど」

「……えっ?」

 おじさんは真顔のまま、静かに言った。

「……あ」

 私はハッとした。

「そういえば、一昨日ここ、火事でした……! ニュースでもやってました。消防車も何台も来てて……」

「……なるほど」


 おじさんの返事は、どこか上の空だった。現実感が追いついていないような、そんな表情。

「おじさん!元気出してください! おじさん魔法も使えるんですよ! どうにかできますよ、きっと!」

 高校生の私にできることといえば、励ますことくらいだった。

「うん、そうだよね。小夜ちゃんの言うとおりだ!」

「ですよ!」

「魔法が使えるんだ。直せばいいじゃないか!」

「えっ」


 そう言うなり、おじさんは謎の言語を唱え始めた。

 風が渦を巻き、焼け跡がまばゆい光に包まれていく。

 そして——

 みるみるうちに、建物が再生していった。

 窓、壁、階段、ポスト、表札まで。全部、元通りになっていく。

 ちょっと待って、おじさんやりすぎでは!?

「おじさん!! 火事のアパートがいきなり直ったら、さすがに騒ぎになりますって!! やめてください!!」


 吹き荒れる風の中、私は必死に叫んだ。

 おじさんは一瞬だけ目を細め、修復されていく建物を見つめたあと、静かに息を吐いた。

「……まあ、仕方ないか」

 手をおろすと、風も光も消えていた。

 目の前には、元通りの——いや、焼け焦げたままのアパートが、ぽつんと残っているだけだった。


「ふう……すいません。でも、あんまり目立つとよくないと思って」

「……うん、そうだよね。僕もちょっと動揺してたかも。大切なものもあったから」

「そうですよね……」

「うん。ほんと、たくさんあったんだ……轢かれる前の日に作った唐揚げが……」

 この人、唐揚げのために家を直そうとしていたのか。

 というか、他に大事な物はなかったのか。


「でも、帰る家なくなっちゃったな。……まあ、異世界でも宿とか野営とか多かったし。ホテルでも全然いいか」

 そう言って、おじさんは駅の方向に向かって歩き出しかける。


「あの!」

「ん?」

「もしおじさんが嫌じゃなかったらなんですけど……うちに来ませんか?」

「いや、それはさすがに……。高校生の家におじさんが泊まるとか、普通にアウトでしょ。家族の人にも迷惑かけちゃうし」

「そこは大丈夫です。うち父いなくて、今家にいるの私と母だけなんです。おじさんのこと、ちゃんと話せばきっとわかってくれます」


「でもなぁ……」

 おじさんは迷っていた。たぶん、遠慮して断ろうとしてるのも分かってた。

 でも私は——この人を放っておきたくなかった。

「異世界でも、いろんな人のところに泊まったりしたんじゃないんですか? それと同じです」

 というか、ほぼ押し切った。


「……はあ。ほんとに、いいの?」

 おじさんはしばらく黙っていたけど、観念したようにため息をついて首をすくめた。

「……まあ、そこまで言われちゃ、断るのも失礼だよね」

 こうして私は、「異世界帰りのおじさん」を、自宅に泊めることになった。


——このときはまだ知らなかった。

おじさんの到来が、私の家にも“変化”をもたらすことになるなんて。

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