第2話:おじさんの帰宅

 散々「帰りたい」とごねたおじさんだったが、結局お医者さんに説得されて精密検査を受けていた。

 結果はほとんど良好で、腹囲と中性脂肪が標準を超えているだけだった。おじさんは明らかにメタボだった。

 お医者さんはかなり驚いていて、もっと検査を受ける様に言われていたがおじさんは仕事を理由に帰っていった。

「待ってください!」

「あれ、まだいたんだ。えーと…佐藤さんだっけ」

「はい!佐藤小夜さとうさよです!小夜さよって呼んでください!」

「はあ…」

 おじさんは少し困ったように顎に手をおいた。ぷよぷよの顎だ。


「僕の名前は尾路大おのみちひろし。それでまだなんか用あった?」

「いやその…まだ助けてもらったお礼をできてないというか…。それにおじさんのケガがすぐに治ったのも気になりますし…」

「あーお礼なら気にしなくていいよ。あれは僕が勝手に飛び込んだだけというか。結果的に僕も大丈夫だったし」

「いやいやそういう訳にも!というかおじさんなんで大丈夫なんですか?」

「うーん。なんて言うか…」

 おじさんは困ったように首をかしげる。

「じゃあさ僕の話きいてくれない?お礼ってことで」


 おじさんと私は近くの公園のベンチへ移動した。

「リンゴジュースでよかった?」

「すいません。おごってもらちゃって…」

「いや気にしないで。少し長くなっちゃうかもしれないから」

 おじさんはいちごミルクを開けて一気に飲みほした。あ、おじさんが太った理由が分かったかも。

「何から話したものかな…。」

おじさんは空になったいちごミルクのパックを、つまんで潰すと、ゴミ箱に向かって絶妙なカーブで投げ入れた。なんか妙に上手い。

「…え、ストライク。」

「異世界でスローイング訓練、結構してたからね。」

「異世界!?」

 私の声がちょっと大きすぎたのか、隣のベンチに座ってたおじさんはがビクッとした。ごめんなさい。


「いやまあ、信じてもらえるかどうか分かんないんだけどさ。車にはねられた後、目が覚めたら全然知らない草原の上だったんだよ。」

「草原……?」

「空は真っ青で、空中に浮かぶ島が見えててさ。太陽が二つあって、物理法則がぐちゃぐちゃだった。その隣には、角が生えたおっさんが倒れてた」

「なにそれ、アニメ…?」

「あっちの人に“勇者様”って呼ばれて、魔物退治させられたり、王様と謁見させられたり、まあ色々あったんだけど。」

 おじさんはポケットから飴を取り出して、口に放り込んだ。包み紙はちゃんとゴミ袋に入れていた。妙に几帳面。

「最初はね、夢だと思ったんだよ。でも、傷が治ったり、剣が勝手に動いたりして、“あ、これマジで転生ってやつ?”って。気づいたらその世界で一年くらい経ってた。」

「一年も!?」

「それからも色んな世界点々としてね。トータル5年くらいかな。」

「じゃあ、おじさんの不思議な力って…」

「向こうで身に着けたのが、こっちにも引き継がれたんだろうね。魔法とか筋力とか……ただし脂肪はそのままだったみたいで。」

「それは自業自得じゃ…?」

「まあ、甘い物はどの世界でもうまかったってことだね。」

 おじさんはふっと笑って、また空を見上げた。どこか遠くを思い出すように、懐かしそうな目で。


「こっちに戻ってきたのはいいんだけど…少し困ったことがあるんだよね」

「困ってる?何がですか?」

「この世界にとって僕の存在は不安定なんだよね」

「どういうことですか…?」

「本来この世界にはない能力を持ち込んでるからね。もしかしたらまた別の世界に行くこともあるかも」

「それってなんとかならないんですか?」

「ならないこともないんだけど…。少しリスクがあるんだよね」

「私にできることならなんでもさせてください!」

 私はおじさんの顔を見て勢いよく叫んだ。またおじさんがびくっとした。

 そうして今度は微笑んだ。

「佐藤さん、優しいね。」

「小夜です。」

「あ、小夜ちゃん。」

 おじさんはちょっと照れたように笑った。そして、真面目な顔でこう言った。

「だからお願いがあるんだ。ちょっとだけでいいから、僕のこの世界におけるくさびになってくれないかな?」

「…楔?」

「僕がこの世界にいていいと、そう心から思ってくれる人と結ぶ契約。それで僕の存在が許されるんだ」

「そうなんですか…。じゃあその契約結びましょう!私はおじさんにこの世界にいてほしいです!」

「うん。ありがとう小夜ちゃん」


 私たちはベンチを離れ、公園の真ん中で向かい合った。右手を差し出し、そっと握り合う。

 おじさんが小さく呟いた言葉に応じて、ふわりと風が舞い、やわらかな光が私たちを包んだ。

 見えない鎖が、私たちの手を繋ぎとめるような感覚がした。


 ——こうして私は、「異世界帰りのおじさん」の楔として、ちょっとだけ非日常に足を踏み入れることになった。

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