優しさを誇れと語る人とそれを聞く人間

「優しさは誇るべきだと思うんだ!」


「急になんだ」


「いや、不意に思ったんだよ」


「優しさが大事って話?」


「ううん。それは受け取る側の台詞じゃない?」


「そうか?」


「そんな気がする!だってお前ら優しさがねえ、優しくしろ、ってことじゃないの?」


「・・・それは過剰な妄想じゃない?」


「そうかな?でも、優しさを発信している人がさ、優しくした自分嬉しい!と思ってくれると良いなと思うんだよね」


「でも、って何か分かんないけど、何も分かんないけど」


「優しさの押しつけは違うと思うんだよ。優しさだってさ、自分が好きにやりたくてやってんじゃん。だからさ、感謝とか見返り求めるんじゃなく、自分が優しいなと思った行動が出来たことに愉悦してくれれば良いと思うんだよね」


「優しくしたら自己陶酔しろと?」


「そう!自己満足でしょ全部。優しい人がもっとぐいぐいいくには、自己満足をし続けて自分肯定していくのが一番かなって。誰かは優しい人とか真面目な人が損するって言うけど、それは誰かと比較したり、誰かに自分が思い描いた答えを想定するからという場合もある。でも、優しさなんて一方的な物で良い。自分が出来れば満足だ。だって、優しさ魅せるって人として最上じゃん。自身の格が上がるって事じゃん。まあ、ゆうて、それで相手を困らせたり、傷を付けたり成長の機会を奪うのは違うけど。その反面、ずるい人は何?優先して貰って、沢山貰って、何を学ぶの?人として出来ない人より、人として出来ている人を俺は尊敬しているしね。それでお金貰っても、何か栄誉になっても、その人の性格も気持ちも変わらなければ、どこに羨望があるのか俺には分からない。だから俺は、優しい人が肩で風切って歩ける世の中が良い!自分の優しさに満足できる人が居ると嬉しい。その上で、優しさに気付けて感謝が出来る人間でありたい。それを優しさと捉えられる人は、優しさに対して、向き合ってきた人だろうから」


「凄い熱量だって事は分かった。そして、お前が優しい人間だって言うことも分かったよ」


「分かってくれてありがとう。もう、さ。自分で出来る事を誰かがやってくれたり、出来ないことやってくれるだけでありがたいもんだよな。感謝してくれるのも、そう言ってくれるのもありがたいぜ、へへ」


「笑い方に優しさのかけらも無いけどな」


「え?こんな良い奴なのに?」


「良い人は自分を誇るかも知れないけど、良い人とは言わないかもよ?」


「・・・確かに」


「そこは確かになんだ」


「いや、良い人かどうかは人に寄るからさ。言い過ぎたかも。優しい人ってより、自分が優しく出来たら幸せだなってだけだしね。相手が無視してくれたらおーけー、反応して喜んでくれたら最上、って感じ。ほんと受け取り方人に寄りけり過ぎるから難しいけどね」


「にしても唐突だったな」


「ごめん、不意にそういうとき無い?」


「ある」


「だよね。なんかあったら言ってね」


「お前・・・優しいな・・・」


「ありがと」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る