全てにて囚われる記憶

オフィスビルの屋上から誰かが飛び降りるところを見た。


それも、何度も何度も。


同じ所から同じペースで同じ誰かが飛び降りている。


真夜中、夜道を散歩していた時の出来事だった。


別段、物珍しいことでは無い。


色んな箇所で様々な誰かが同じ事を繰り替えす。


過ちを過ちと認識出来ないから。人の所為にしてばかりで自分の非がどこにあるのか気付けないから。


俺はそこを素通りするタイミングを間違えた。


「助けて」


丁度、誰かが落ちてくるタイミング、目が合った。


まあ、だからどうと言うことは無い。


俺はそのまま通り過ぎる。


これは思念の業だろう。


言い換えればただの自業自得。


死後の世界の一つに来た存在は、自身が強く抱いた念や思想に粘着される場合がある。


自身が強く死にたいと思ったのだ。そうして実行した光景は魂に深く刻み込まれるのだろう。

霊は念に強く囚われる。


その世界は、思念に近しい場所だろうから。


現実で言う物体という形が、その世界では思いなのだ。


思いが形になる。


理想のような、夢のような良い世界と感じる人間も居るだろうが、思いとは必ずしも良い方向にあるとは限らない。


心に残るのは、幸せの記憶よりも、後悔や怨念と言った蟠りのあるマイナスの類い。


喜びは瞬間、後悔は深く長い。心残りとは正に。


それが蔓延る世界だ。


もう分かっただろう。


この場合で言う思念とは。


強烈で、衝撃的な思念。


死の連想。


それに一生ではなく、永遠に囚われる。


これから先、自殺という思念に囚われ続け、死に続ける事だろう。


死んだらまたやり直せる?


一つの命がなくなっただけ?


甘すぎる。


その一つにどれだけの生命(身体)が集まっているのか。


どれだけの時間が残っているのか。


どれだけの時間を有したのか。


影響を欲する人間がどれ程居たのだろうか。


何をしなくたって、誰かにとって大事な影響力だっただろうに。


自ら死を選ぶ人間に次の機会がどこにある?


身体を無碍にする存在に誰がまた身体を預けるというのか。


神様がいたとして、自殺を繰り返す可能性を鑑みれないとでも言うのか。


この現実が辛いか?


自身の行いによって死後が更に辛くなると考えた事は無いのか?


無いのだろう。


この世界は選択出来るというのに。


どうだって抗える意志があるというのに。


現状は。


・・・そんな存在に対して自分が出来ることは一つも無い。


それがこの誰かが決めた道なのだ。


これが答えだ。


さらば、生命。


さらば自我。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る