1→存在。意思で集合体(仲間)を動かす

ここに真っ新で、真っ白で、何も無いに見える世界があります。


しかしここには沢山の生命体が住んでいます。

今は動けず、発せず、ただ組織の一部です。


一存在と呼ぶのも少し難しい。


けれど、確実に一存在はあり、個体です。


一存在を分かり易くしてみましょう。


真っ白な世界に見えない程小さく、細かい線を引き、囲う。


そして、囲った部分を切り取れば・・・


はい。


一個体の完成。


※言葉は喋れない為、私が代弁しています


・・・?


『何』かが気付いた様です。


何かを視ている・・・。


存在はまだ自分が動けることに気付いていません。


隣に何かいる。同じ?でも反応はない。

綺麗に均等に配置されてる。触れはしないのか。


お。ここで個体は周囲を見渡す。つまり動いたのです。


あれ?動ける。


自身も動けると気付いた様です。


うぉおお。動き回れるぞーー!!なんだこれーーー!


初めて自由(選択)を手に入れたどこかの誰かの様に空間を飛び回っていますね。


あれ?ここどこだ?


おやおや。動けるという意識が一個人の枠を超えて、集合体を動かしました。


えー、とあのー。


一個人、ないし、集合体の視点は今、自己と同じ存在が均一に並べられた真っ白な世界から、一変している事でしょう。


集合体が一で存在する世界へと。


「うわぁ!人形が動いたぞ!」


(え?)


「捕まえろぉ!!!」


(わ、わーーー!!何で突然襲ってくるんだよーー)


どうやら、集合体が一で存在する世界とは、人間界と呼ばれる世界だった様です。


つまり、区切った一個人は、人形を形成する一部の中の一部の中の一部の中の・・・・・・・・・・・一部だったという訳ですね。


この世で人形が動くわけは無い。その人間の固定概念が未知を排除しようと躍起になっています。


人間は未知という存在を解剖して知る。それか、危険と憶測を立て排除します。


結局の所存在は煮るなり焼くなり・・・。


この場合は・・・どっちでしょうね。


おや、珍しい。


今回はどちらとも違った道を辿りました。


「あ、あなたは!」


集合体が別の集合体と出会っています。


申し訳ありませんが、とてとて歩く人形の姿が可愛すぎますね。集合体は必死でしょうが。ふふ。


「人形!じいさん!??」


集合体が出会った別の集合体は、自身と同じ姿のおじいさんバージョンでした。


おじいさんの人形のどこに価値があるのでしょうか。


「無事か?」


「うん。なんとか。と言うか貴方は」


「わしは、この世に自我を持ち数年」


(その見た目で数年かよ)


集合体は知っています。人間の歳の取り方を。

しかし、集合体は知りません。人形の年の取り方を。


「?自我を持つ?」


「君自身が体験したのだろう。人形という存在はいつからあったか。自分という存在はいつからあった?君が君自身を動かしたとき、それは君が産まれた瞬間だったか?」


一個人が動いた。それ以前に一個人は存在していたのかどうかと、言うことですね。


「活動を始めるより前から自分は居た・・・。人形になる前から自身は存在していた」


「そうだろそうだろ」


「でも、じゃあ何で今になって自身が動けたり、周りが見えたりしたの?」


「知らん」


「えぇ?」


「儂だって、君と同じじゃもん。でもまあ、君より数年先にこれ(人形)を動かして考えてはみた、聞くかい?」


「うんうん!」


おじいちゃん人形はどうやら自我を持ってからの数年。自身が動けた理由や存在についてを思考していた様ですね。正解かどうかは分かりません。彼の持論ですので。でもまあ、暇なら聞いてやってください。


「我々の存在は産まれていた。では、何故動けなかったのか。それは儂たちに自我が無かったからのように思える」


「自・・・我・・・」


「或いは認識。或いは気付き。或いは自由じゃ。自身の存在のあり方は、物体を形成するため陳列された一個体じゃった。それは誰かが指令を出したからそうなったのだろう。誰かは知らんがな?けれど儂らは一個体じゃ。つまり一生命体。一として存在している我々は我々の意思があってもよいじゃろう」


「なるほど?」


「しかし、一生命体として動くにはかなり未熟であり、エネルギーが足らんのじゃ」


「エネルギーって?」


「気持ちじゃよ。気持ち。影響を与えられる様な強い気持ち。自身一人では動かせずとも、周囲にいる自身と同じ一個体に影響を与えれば、動かせる!」


このおじいちゃんが言う、周囲の一個体というのは、一個人の隣に居た反応の無い存在の事でしょうか?均一に配列されている一個人達という奴ですかね?


「つまり一個人である自身も誰かに形成されているって事?」


「そうかもしらんな。彼らが我々を動かしてくれている。しかし、動くという命令は我々の意思に影響されて動いている。これが自我の一つじゃ」


人形を動かすのは自分を含め、均一に並べられた一個体達。その一個体を動かすのは一個体を形成した更に小さな一個体達と言うことでしょうかね。


「まだあんの?」


「ある。今話したのは、どちらかというと自我を持った我々が動く仕組みについてだからな」


「確かに。全然関係ないじゃん」


「えっ?そんな言わなくても良いじゃん。てか、エネルギーが気になるって言ったの君じゃん」


「確かにごめん」


「うん。で、だよ。一個体が自我を目覚める理由。いや、言い方が悪いな。そもそも自我は持っている。それに気づけるかどうかという話だ!!」


「なるほどーーー!」


「先程言ったように一である時点でそれが存在している自身と言うことなのだ。しかし、陳列する仕組みという固定概念が、自身の動きを封殺する。つまり自身が構造の一部だと認識して働いているというわけだ」


「さっきと同じ事言っている」


「自分もそう思う!ただそこに気付けるかどうか。疑問に思えるかどうかが重要だ。自身という存在がそれでいいのかどうか!それが君の意思だ!」


おじいさんキャラを忘れていますね。

つまり言いたいのは、自我なんてモノは一存在を持った時点であるもの。しかし、システムの一環として自身は生存しているため、自身を動かせる、自由に出来るのにも関わらず、一環として洗脳された様に大人しくしていると言う訳ですね。それに気付くトリガーとしては、環境や状況への疑念、意識。強い自身のエネルギー(気持ち)が重要というわけですね。私的には、自分の意思(エネルギー)が強く影響していると思います。影響を受けるのは、構成している周囲の方々です。自身の意思が周囲の方々と同じ志だからこそエネルギーの源になる。自身一つの意思だけでは為せない。協力あってやっと出来る行動、な気がします。皆がそれぞれの役割を全うし、同じ気持ちを持った時。支え合いでしょうか。おっと、長々と失礼しました。少し私も考えすぎたようです。


「ふぅん。そんなもんか」


「なんだと!この数年をそんなもんで片付けるな!」


「因みに、この人形ライフってどうやって終わらせるの?」


「辞められないよ?それが今の君なんだから」


「えぇ、嫌だ!」


「まあ、燃やされればワンチャン?後は、気持ち?」


「燃やされに行ってきます!」


「あ!待って!」


「なんすか」


「この人形さ、大切にしている子が居るんだよ」


「動いた人形もう嫌じゃない?」


「それは大人の都合」


「・・・確かに。じゃあ、捨てられるまでは一緒にいてあげますか。自由になった自身に怖い物は無いぜ!」


「どうしよう、大丈夫かな、これ」


そうして、人形ライフを少し満喫する彼らでした。


という生き物たちを造り上げたのは私でした。


という、私を創り上げたのは、作者なんですよね。



誰かに造られ、私は存在しているのですね。


自我だけでなく、何もかも、誰かに造られ、誰かの力を借りて生存しているのかもしれません。


現代社会のようですね。


本来は。

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