第3話 透明な覚醒 ―刻まれし謎―
【前回のあらすじ】
教室での一瞬の勇気が、レイとリヴィアを出会わせた。
同じ夢を持ち、絆を深めたふたり。
だが、最後の夏に課された“特別課題”が、
世界の歯車を静かに狂わせ始めていた――。
*
「はいー!!それでは、皆さんの大好きな特別課題の発表です! よく聞いてくださいね!」
担任の教師が意気揚々と告げた瞬間、教室は一気に静まり返った。誰もが息を潜め、心の準備をした。
「皆さん、今18歳ですよね。しかし、皆さんは突然この世に生を受けたわけではありません。そう、ご両親がいて、皆さんがいる。そして、そのご両親にもまた親がいて…ご先祖様から何百年、何千年という途方もない時間を経て、今のあなたがいるのです。ということで、今回のテーマです。『あなたのルーツは何?』。自分の家系や先祖を調べてください。もしかしたら、歴史に名を残した偉人があなたの血縁かもしれませんよ?」
教師の言葉が終わると同時に、クラス中がざわめき始めた。これまでにない意外な課題に、生徒たちは混乱と驚きで一斉に反応を示した。
レイはそのざわめきの中で、ひときわ大きなため息をついた。
「なんて面倒な課題なんだ…」と呟き、顔を机に伏せる。
彼にとっては、最後の夏休みが台無しになる予感しかなかった。
一方、リヴィアは全く違う反応を見せていた。クラスの動揺とは裏腹に、彼女の目には好奇心が輝いていた。「面白そう!」と心の中で囁くような笑みを浮かべていた。
授業が終わり、心理学の特別科目を終えたレイとリヴィアは、一緒に帰路についた。道すがら、リヴィアが楽しそうに口を開いた。
「ねぇ、最後の特別課題、面白そうじゃない?」と、彼女の声には期待が混じっていた。
レイは再び深いため息をつきながら、肩をすくめた。
「何が面白いんだよ…。最後の夏休みに、こんな大変な課題を押し付けられてさ。もう、猿の祖先がいたってことでいいよ。」
冗談めかして言ったものの、その顔には明らかな憂鬱が浮かんでいた。
リヴィアは微笑みながら、優しくレイを励ました。
「そんなに落ち込まないで。レイだって、君の目も口も、性格だって、長い歴史の中で積み重ねられてきたものじゃない? それを知るのって、ちょっとワクワクしない? それに、私も手伝うから、一緒にやってみようよ!」
レイは納得がいかない顔で少し黙った後、「わかったよ。でも、リヴィアも同じ課題があるんだろ? 自分のは大丈夫なのか?」と疑いを込めて尋ねた。
リヴィアはニヤリと笑い、「実はね、私のお母さんは考古学者で、お父さんは役所に勤めてるの。だから、家系調査はほぼ終わってるのよ。私はほぼノルマ達成って感じ!」と誇らしげに言った。
その言葉を聞いたレイは、ふっと謎の敗北感を覚え、さらに落ち込んでしまった。
しかし、リヴィアは明るく続けた。「まずは簡単なことから始めればいいんじゃない? 例えば、両親に話を聞くとかさ。案外、いろんなことがわかるかもしれないよ?」
レイはしばらく考えた後、少し笑みを浮かべて言った。
「確かに、どこから手をつければいいかわからなかったけど、まずはそこからだな…。リヴィア、本当に君はいい友達だよ。」
リヴィアはその言葉に笑顔で頷き、二人はそのまま家路についた。そして、別れ際に軽く手を振り合い、それぞれの家に向かって歩き始めた。
「ただいま…。」レイが重い足取りで家に帰ると、母が笑顔で出迎えた。
「おかえり! レイ。」母の明るい声が響くが、すぐに息子の顔がどこか沈んでいることに気づき、眉をひそめて尋ねた。「どうしたの? なんだか元気がないみたいだけど。」
レイは少し躊躇しながら口を開いた。
「ねぇ、母さん。僕のルーツってわかる? 今回の特別課題でそれを調べることになったんだ。」
母は少し驚きながらも優しく微笑んだ。
「まあ、すごく難しいことを聞くのね? お父さんなら何か知ってるかもしれないわよ?」
レイは心のどこかで、母からもっと昔話や家族の歴史を聞けることを期待していた。
しかし、あっさりとお手上げされた返答に少しがっかりした気持ちが顔に出た。
丁度その時、玄関から「ただいま!」という元気な声が響いた。まるで話題を呼び寄せたかのように、父が帰宅したのだ。
リビングに入ってきた父を見て、レイは藁にもすがる思いで話しかけた。
「ねぇ、父さん、ちょっと聞きたいことがあるんだ。」
「どうしたんだ?」と父は少し眉を寄せ、レイの真剣な顔を見て心配そうに問い返した。「随分と深刻な顔してるじゃないか。」
「いや、実は今回の特別課題がかなり厄介でさ…。」レイはため息をつき、話を続けた。
「ほう、それは面白そうだな。で、どんな課題なんだ?」父は興味津々といった表情で椅子に腰を下ろし、息子の話に耳を傾けた。
「自分のルーツを探すんだ。家系とかご先祖様について調べる課題でさ、何か手がかりがないかと思って。」レイは期待を込めて父に尋ねた。
父はネクタイを緩めながら、意味深な笑みを浮かべた。
「そうだな…。レイ、知ってるか?」
その次に父が口にした言葉は、レイにとって衝撃的だった。
「この家はな、代々ずっとこの土地に建っているんだよ。何度かリフォームはしたが、建物の基礎はずっと昔からここにある。そして、家族の大切な宝物や思い出を代々地下室に保管するのが、うちの風習なんだ。地下室に行けば、何か見つかるかもしれないぞ。」
父の話に、レイの心は一気に弾んだ。まるで扉が開かれたような気分だった。
「本当に!?父さん、それなら早速地下室に行くよ! 鍵を貸してくれない?」
父はポケットから古びた鍵を取り出し、ニヤリとしながら「はい! どうぞ。」と言って手渡した。その鍵は、まるで長い歴史を秘めているかのように、冷たく、重みを感じさせた。
レイの胸は高鳴り、未知の何かに触れられる予感に心が躍っていた。
レイはリビングを出ようとしたが、何かを思い出したように立ち止まり、「あ…それと、友達のリヴィアも手伝ってくれることになってるんだ。だから、彼女もちょこちょこ地下室に来ると思うけど、いいかな?」と少し照れくさそうに言った。
その瞬間、母はにやりと笑い、茶化すように言った。
「あら、大好きなガールフレンドが手伝ってくれるのね!? 何を今更そんな改まった感じで言ってるのよ。フフフ。」
レイは顔を真っ赤に染めて、「まだだよ!!」と声を荒げ、慌ててリビングを飛び出した。
そんな息子の様子に、父と母は驚いた表情で目を見開き、互いに顔を見合わせる。そして、声を揃えて「『まだ!?』やっぱりか!!」と楽しそうに笑い合った。
一方でレイは、自室に戻るとすぐにリヴィアに進展をメールで伝えた。彼女からはすぐに「もちろん!」と快諾の返信が届き、二人は学校が休みの翌日に地下室を調べる約束をした。
次の日、レイとリヴィアは地下室の扉の前に立っていた。ドアノブには厚い埃が積もり、長い間誰もこの扉を開けたことがないのが一目でわかる。重い空気が漂う中、レイは意を決して手を伸ばし、ゆっくりと扉を開いた。
中は暗闇に包まれ、下へと続く古びた木製の階段が現れた。
レイは扉の脇に掛かっていた古いランタンを手に取り、火を灯すと、暖かな光がゆらゆらと揺れ、二人の足元をぼんやりと照らした。
明かりを頼りに、二人は慎重に階段を降り始めた。木の階段が軋む音が響き渡り、その音は不気味な静寂をさらに強調するかのように耳に残る。
階段を降りきると、広々とした地下室が静かに姿を現した。
空間の中央には、時の重みを宿した大きなテーブルが鎮座し、その周囲には古びた本棚、時を刻み続ける重厚な古時計、錆びた自転車が佇んでいる。壁に掛けられた先祖たちの肖像画は、まるで今を見つめているかのようだった。過去と現在が交錯するこの場所で、先祖の宝物や思い出が静かに息づき、時間を超えて繋がりを紡いでいるように感じられた。
ランタンの淡い光が地下室全体をじんわりと照らし出す。その光が過去の闇を溶かし、まるで封じ込められた歴史が少しずつ蘇ってくるような感覚だった。
二人はその異様な空間に息を呑み、しばし立ち尽くしていた。
リヴィアは興奮を隠せず、すぐに行動を開始した。
「私はこの本棚を調べてみるね!」と、好奇心に満ちた声で言った。
レイは少し不安を感じていたが、リヴィアの積極的な様子に励まされ、「ありがとう!」と大きく返事をし、自分も調査を始めようとした。
その時、レイの視界の片隅で一瞬何かが光るのを捉えた。
彼は目を細め、その方向へと足を向けた。何かに引き寄せられるように、ゆっくりと歩き出す。
一方、リヴィアは本棚を前に、興奮を抑えきれない様子でレイに声をかけた。
「レイ!見てよ、この本棚、すごいよ! こんなに古い本がたくさんあるなんて、これだけでもこの家がどれだけ歴史ある場所か分かるね! ちょっとこっちに来て!」
しかし、彼女の声はレイには届いていなかった。
不審に思ったリヴィアは振り返り、レイの姿を見つめた。
彼はまるで何かに取り憑かれたかのように、その場でじっと動かず、光のほうを凝視していた。
「レイ…!?どうかしたの?」リヴィアは不安げに声をかけた。
その声でようやく我に返ったレイは、リヴィアに向き直りながら言った。
「なあ、リヴィア。あそこ、見えるか? 何かが光ってるんだ。」
リヴィアはレイが指差す方向を見つめた。そこには、確かに何かがぼんやりと光を放っていた。
「本当だ…何あれ?」
リヴィアもその光に目を奪われ、呆然と立ち尽くした。
レイはその光の正体を確かめようと、静かに歩を進め、慎重にその前に立った。
小さな光源は、埃にまみれたガラス張りの小物ケースの中に収まっていた。そのケースは横の面に開閉式のガラス扉がついていたが、天井部分はほとんど割れており、古びた雰囲気を漂わせている。レイは慎重にケースを持ち上げ、地下室の中央にあるアンティーク調の大きなテーブルの上にそっと置いた。
二人は顔を寄せ、ガラス越しに中を覗き込んだ。光を放っていたのは、一枚のコインと一つのネックレスだった。
レイは興味深そうにコインとネックレスを手に取り、二人でじっくりと観察した。リヴィアは目を輝かせながら、「ねえ、私にも見せて!」と頼み、レイからネックレスを受け取った。手にしたネックレスをじっと見つめ、リヴィアは感嘆の声を漏らした。
「新品みたい…すごく綺麗…。」
彼女の手のひらで小さく光を放つネックレスは、まるで神々しいオーラを纏っているかのように、穏やかでありながらも神秘的に輝いていた。
その輝きに二人はしばらく言葉を失い、ただその美しさに見入っていた。
一方、レイはコインの裏面をランタンの光にかざして観察していた。光が反射して刻印が浮かび上がり、そこに刻まれている言葉を読む。「ベネ…ヴォリ…ア?」彼は小さく呟いた。
その言葉を聞き逃さなかったリヴィアが、レイの隣に寄り添いながら「何か言った?」と尋ね、コインを覗き込んだ。
「これ、どこかの国のお金? それとも古代のもの?」
レイは困惑した表情で首を振った。「いや、聞いたことないな。見たこともない言葉だし…」と答えるが、そのコインとネックレスはどちらもまるで新品のように輝いていた。
重厚な質感や精巧な刻印からは、ただの装飾品やおもちゃではないことが明白だった。
その時、リヴィアがふと小物ケースの中敷きに不自然な隙間があることに気づいた。彼女は慎重に中敷きを持ち上げてみた。すると、そこには一枚の古びた手紙が隠されていた。
「レイ! これ見て!」リヴィアは興奮気味にその手紙を差し出した。手紙は茶色く変色しており、明らかに長い年月が経っていることがわかる。
二人は並んで手紙を広げ、その内容に目を走らせた。そこには簡潔な言葉が記されていた。
『これは特別な記憶である。鍵と共に世界は再び動き出す。エル』
その文字を読み終えた瞬間、二人は顔を見合わせ、息を呑んだ。
リヴィアが最初に口を開いた。
「この手紙、書き主は『エル』っていうんだね。なんかすごいね…」と、彼女の声にはまだ驚きと興奮が混ざっていた。
レイは手紙をじっと見つめながら答えた。
「いや、この名前、途中で消えてるみたいだ。『エル』っていうのが本名かどうかもわからない。この人も僕の先祖なのかな?」
リヴィアはふと何かを閃いたように目を輝かせて言った。
「あ! レイ! もしよかったら、その手紙を私のお母さんに見せてもいい? わたしのお母さん考古学者だから、もしかしたら何か手がかりがわかるかもしれない!」
レイはその提案にすぐに同意した。
「確かに、リヴィアのお母さんなら頼りになるよ! 是非お願いする。僕らが調べるより、ずっと早く解決しそうだ。」
レイは続けて言った。
「そろそろ出ようか? 地下室にずいぶん長い間いたみたいだし。」
リヴィアも頷き、「そうね、ここに来てから結構時間が経ってるし。」と言って二人は地下室を後にし、重く古びた扉をゆっくりと閉めた。気がつけば、日はすでに西の空に沈みかけ、外は夕闇が迫っていた。
二人は後日、またレイの家で会う約束をし、その日は別れた。
「お母さん、この手紙をちょっと見てほしいんだけど…。」
リヴィアが鞄から古びた手紙を取り出すと、サビーナ・セレーンは手にしていた
メモを机に置き、電話のスピーカーモードを切った。
「手紙?」
彼女は少し眉をひそめながら、それを手に取る。
指先が手紙の表面をなぞると、サビーナの瞳が微かに鋭くなる。
「これは…かなり古いわね。」
彼女はゆっくりと手紙の縁を撫で、細かい繊維の質感を確かめる。
「この紙、パーチメントよ。羊皮紙の一種で、中世の書簡や契約書に使われたものね。現代ではほとんど残っていないはず。
保存状態も悪くないけど、端がほんのわずかに焼けてる……何かから逃げるように、急いで隠されたのかもしれない。」
サビーナは次に筆跡を確認する。
「この書き方。普通の手紙より筆圧が強くて、急いで書かれた跡があるわ。」
彼女の視線が、手紙の一部に刻まれた文字へと移る。
「『エル』…と読めるけど、はっきりしないわね。筆跡の特徴からすると、これは男性が書いたものね。」
リヴィアは母の知識量に圧倒されながら、そっと息を呑む。
「ねえ、何が不思議なの?」
サビーナは少し黙った後、ゆっくりと視線を戻した。
「書き方と内容が一致していないのよ。急いで書かれた跡があるのに、文章はまるで『未来に向けたメッセージ』のように構成されている。」
「未来に?」
「何かの事態が起こって、その時に託された可能性が高いわ。
歴史の中でこうした手紙は、重要な情報や秘密を残すために書かれることが多い。
特に、緊急性の高い状況では、紙の選び方にも意味がある。」
リヴィアは手紙を見つめながら、背筋がひやりとするのを感じた。
「レイの家の地下室にあったんだよ。それが何か関係あるの?」
サビーナの指が、手紙の端をかすめる。
「レイの家……」
その言葉を呟いた彼女の表情が一瞬だけ強張った。
「この手紙、もう少し詳しく調べてもいいかしら?」
彼女の瞳には、単なる好奇心ではなく、考古学者としての確信が滲んでいた。
母の急な態度の変化に戸惑いながらも、リヴィアは頷いた。
「うん、まあ大丈夫だと思うけど、一応レイに聞いてからでいい?」
「もちろん、お願いね」とサビーナはすぐに答え、深刻な表情のまま自室に戻っていった。彼女はパソコンを開き、何やら急いで連絡を取っている様子だった。
一方その頃、レイはパソコンを閉じてベッドに横になっていた。
首にかけたネックレスが肌に当たり、手に持ったコインを天井にかざしてその表面を見つめていた。
『ベネヴォリア』と刻まれた文字が部屋の明かりを受けてキラキラと輝いている。
その不思議な光景に心を奪われながら、彼はぼんやりと考え込んでいた。
そんな時、パソコンにメールの通知が入った。レイは再びパソコンの前に座り、メールを確認した。送り主はリヴィアだった。
[お母さんが、この手紙が気になるみたいで、もう少し調べたいから少し借りたいって言ってるんだけど、いい?]
レイは少し驚きつつも返信した。
[もちろん! 全然構わないよ。ところで、何かわかったことある?]
すぐにリヴィアから返事が届いた。
[少し見てもらっただけで色々わかったよ。手紙は羊皮紙に書かれていて、中世の時代のものみたい。あと、書き方と内容が合ってないって言ってた。それに、名前が途中で消えてるし、男性が書いた可能性が高いって。]
レイはその詳細な分析に驚きを隠せなかった。
[そんなに色々わかるなんて、リヴィアのお母さん、本当にすごいね。単なる学校の課題だと思ってたのに…ありがとう。]と返信した。
こうして二人は、リヴィアの母サビーナによる手紙のさらなる調査の結果を待つことになり、コインとネックレスについては、明日また自分たちで調べることにした。
そして後日、二人はレイの部屋にいた。
リヴィアはパソコンに向かいながら、ため息をついた。
「『ベネヴォリア』だっけ? やっぱり何もヒットしないよ。もう!こんなに情報がないなんて、どうして?」
レイはベッドに横たわりながら、「本当は昔の誰かが作った偽物かもな…」と冗談交じりに言ったが、その言葉には少しの不安も混じっていた。
リヴィアはしばらく考え込んだあと、興奮し何か気付いたように言った。
「いや、待って! そんな簡単な話じゃないかも。おかしい点がたった一つだけある!?」
(……続く。)
***
【次回予告】
地下室で見つけたコインとネックレスは、ただの遺物ではなかった。
埃ひとつつかぬ輝き、そして羊皮紙に記された“鍵”と“記憶”の言葉――
二人が踏み込んだのは、“現実”と“歴史”の境界だった。
次回『透明な覚醒(後編)』――
”導かれる先に待つのは、世界の始まり。”
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