第2話 無色の息吹 ―見えざる始点―
【前回のあらすじ】
医者を目指す高校生・レイは、家の地下室で脈打つ謎のコインを見つけた。
それは、受験や家族との軋轢といった日常を一瞬で飲み込み、世界を揺るがす異変の始まりだった。
動揺する心を抱え、彼は親友リヴィアのもとへ走り出す。
彼の手の中には、まだ答えの見えない“光”があった――。
*
今から少しだけ、時を巻き戻そう。
レイとリヴィアが通う学校は、国内でも屈指の伝統を誇る、古びた石造りの校舎が印象的で数々の著名人を多く輩出した高校だった。長く続く廊下の壁には、歴代の校長たちの肖像画がずらりと並び、無言で生徒たちを見守っている。そこを歩くたびに、足音が石に反響し、この場所に刻まれた長い学びの歴史を静かに語りかけてくるようだった。
レイとリヴィアが初めて出会ったのは、入学して間もない頃だった。
一年生で同じクラスになった僕らには、もう一人、ひときわ目立つ存在がいた。ツンツン頭にパンクロッカーのような風貌――学年一の問題児として名を馳せるサルカスという名の生徒だ。
彼はいつも周囲に圧倒的な威圧感を漂わせ、教室中がその存在に怯えていた。
特に彼が目をつけた一人の生徒には、執拗ないじめが日常的に降り注いでいた。誰もそれを止めることはできず、ただ見て見ぬふりをするしかなかった。
その日も、教室の空気は重苦しかった。
「おい、てめぇ、何ジロジロ見てやがる? 俺は見世物か? だったら見物料でも払えよ。」
サルカスが標的を睨みつけながらニヤリと笑う。
その声には嘲りと威嚇が混ざり合い、教室全体に緊張が走った。誰もが俯き、息を潜めている。
その光景を教室の隅から見ていたレイの胸に、じわじわと怒りが沸き上がってきた。
「やめろ、サルカス!」
その声が教室に響いたとき、レイの体はすでに動いていた。
迷いはなかった。ただ、目の前の光景が、あまりにも見過ごせなかった。
サルカスが振り返る。
冷たく細められた目がレイを射抜き、唇の端が歪んだ。
「……何だよ、お前。文句でもあんのか?」
吐き捨てるような声。
その瞬間、鋭く振り上げられた拳が、容赦なくレイの頬をとらえた。
衝撃とともに視界が傾き、体が床に崩れ落ちる。
頬が焼けるように痛み、後頭部に鈍い衝撃が広がった。
けれど、レイは目を逸らさなかった。
痛みの中で、彼はただまっすぐにサルカスを見ていた。
怒りでも、虚勢でもない。
その目に宿っていたのは、退かないという意思だった。
教室が静まり返る。
クラスメイトたちの呼吸までもが止まったような、重い沈黙。
レイはゆっくりと手をつき、上半身を起こした。
指先は震えていたが、その動きに迷いはない。
痛みを押し込め、立ち上がろうとするその姿は、何かを抱えたまま、決して崩れようとはしなかった。
サルカスが、わずかに動きを止めた。
予想していた反応ではなかったのだ。
「ちっ、しらけちまった。次はないと思えよ!」
吐き捨てるようにそう言い残し、サルカスは教室を出て行った。
静まり返った教室に、重苦しい空気が漂う。レイは床に手をついたまま、痛みを堪えて息を整えていた。
そのときだった。突然、目の前に一枚のハンカチが差し出された。
顔を上げると、そこにはショートカットの黒髪が軽やかに揺れる一人の女の子が立っていた。端正な顔立ちで、どこか冷静さを感じさせるその表情は、教室の張り詰めた空気とはまるで別の世界にいるかのようだった。
「大丈夫? ほら、これで拭いて。」
彼女の柔らかな声は、重く張り詰めた教室の空気を一瞬で和らげた。
レイは驚きつつも、「あ…ありがとう……」と戸惑い気味に答え、差し出されたハンカチを受け取った。手はまだ少し震えていたが、その温かな行為に心が少し軽くなった気がした。
その女の子は、レイが礼を言う間もなく、ハンカチを渡したまま立ち去ろうとした。
「僕の名前はレイ。君の名前は?」
慌ててレイが声をかけると、彼女は軽く振り返り、ふんわりと微笑んだ。
「リヴィアよ。よろしくね、レイ! そのハンカチ、ちゃんと洗って返してよ。一応お気に入りだから。」
そう言って、彼女は軽やかに教室を後にした。
その姿を見送るレイの胸には、不思議な温かさが残った。それが、レイとリヴィアの初めての出会いだった。
翌日、学校では特別科目の選択制度が始まっていた。レイは将来、精神科医を目指しており、心理学を選択していた。この日、彼は心理学の資料を集めるために図書室を訪れていた。図書室には古い本の匂いが漂い、歴史の深さが感じられた。
だが、どこも満席で、彼は席を探してさまよっていた。
「ここ、空いてるよ?」
不意に、優しい声が後ろから響いた。
レイは振り向きながら、「すみません…」と言い、大量の資料を机に置いた。
そして隣を見ると、そこにはリヴィアがにこやかに微笑んでいた。
「君は… リヴィア! あっ、そうだ! ハンカチ、ありがとう!」
レイは嬉しさのあまり、図書室の静けさを忘れて大声を上げてしまった。
静かな図書室にレイの声が響き渡った瞬間、彼は顔を赤くし、リヴィアも「シーっ!」と小さく呟きながら同じく顔を赤らめた。
二人はまるで照れ隠しをするように 一瞬視線を逸らし、その微妙な空気を共有した。互いに言葉を探しているような沈黙がしばらく続いた。
やがて、リヴィアが先に沈黙を破った。
「ところでレイ、そんなにたくさん資料を集めて、何を調べてるの?」
彼が抱えている本の山を見て、少し驚いた様子で問いかけた。
レイは照れ笑いを浮かべながら答えた。
「心理学を勉強してるんだ。少しでも多く知りたくて、いろいろと調べててさ。」
「え!?本当? 私も!」リヴィアは思わず身を乗り出し、その瞳が一層輝きを増した。
「そうなんだ!」と、レイは驚きながらも嬉しそうに微笑んで彼女を見返した。
リヴィアは興味を抑えきれない様子で続けた。
「どうして心理学を選んだの?」
レイは一瞬、言葉を探すように視線を落とし、それから真剣な表情でゆっくりと話し始めた。
「精神科医を目指してるんだ。心も体と同じで、傷つくことがあるだろ?でも、その違いは、心の傷は『見えない』ってことなんだ。僕は、その見えない傷を癒せる人になりたいんだよ。」
「素敵だね、レイ。きっと、絶対になれるよ。あなたならできるって信じてる!」
その声には、ただの励ましではなく、彼に対する本気の応援が込められていた。
レイはその言葉を受け取ると、心がじわりと暖かくなるのを感じた。彼もまたリヴィアに問いかけた。
「リヴィアは、どうして心理学を?」
彼女は少し照れたように笑いながら答えた。
「私もね、心理カウンセラーになりたくて。それが私の夢なんだ。」
レイは思わず目を見開き、笑いがこぼれた。
「まさか、同じ目標を持っているなんて!?」
リヴィアも笑い返し、二人の間に広がる空気が一気に温かく、柔らかいものへと変わっていくのを感じた。その瞬間、互いの存在が以前よりもずっと身近に感じられた。
時の流れはあっという間で、レイとリヴィアが同じクラスで過ごすようになってから、早くも三年目に突入していた。高校生活最後の夏休みまで、残り1ヶ月。季節は確実に終盤へと向かい、教室内には独特の緊張感が漂い始めていた。
生徒たちは、目前に迫る夏休みへの期待に心を躍らせつつも、『特別課題』の存在に暗い影を落とされていた。浮かれた笑顔の裏に潜む不安が、教室の空気を微妙に重くしていた。
この『特別課題』は、学校が毎年用意する一大イベントだ。ただの課題ではない。学校が指定するテーマに基づき、研究や調査を行う大規模なプロジェクトで、完成までには膨大な時間が必要となる。内容の重さにより、ほとんどの生徒は夏休みをすべて犠牲にしなければならない。
いつしか生徒たちはそれを『夏休み全潰し課題』と恐れを込めて呼ぶようになり、今年もその噂が廊下や教室で飛び交っていた。
とりわけ今年は、最後の夏休みという特別な意味を持つだけに、教師たちも容赦なく難解な課題を用意してくるだろうと言われていた。
しかし、そんな中でもレイとリヴィアは、この特別課題をただの『厄介な宿題』としか捉えていなかった。
レイは浮かれた様子で「どうせ、さっさと終わらせて夏休みを楽しめばいいだけだろ?」とどこか余裕のある素振り。
「そうね。深刻に考えたって仕方ないし、適当にやり過ごすだけね。」とレイと同じ調子のリヴィア。
二人とも軽い調子でそう話し、他の生徒たちの悲壮感には目もくれなかった。彼らの頭には、特別課題の先に待つ夏休みの楽しい計画しかなかったのだ。
だが、二人はまだ知らなかった。
その特別課題が単なる宿題などではなく、彼らの人生を大きく揺さぶる運命の扉であることを。
(……続く)
***
【次回予告】
学校から告げられた“最後の特別課題”は、
レイとリヴィアに「過去」を向き合わせ、
やがて“扉”を開かせることになる。
埃に覆われた地下室。
微かに輝く謎のコインと手紙。
――それは、時を越えて託された記憶の断片。
次回『透明な覚醒(前編)』――
―影なき世界の兆し―
その手紙を読んだとき、歴史は静かに動き出す。
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