第参話:ふぁいあ〜
*
本当に大量の時間を勉強に費やした。まあでもずっと勉強というよりかは、睡眠なども適度にとっていたし、食べ物などはローブの影が外へ行ってとってきてくれた。
まあ大体ざっと二週間くらい。
「なあ、ここに来てなんだが名前聞いてもいいか? お前の事少し恥ずかしいけど……ローブの影とか思ってたし……」
ローブの影///は申し訳無さそうに首を横に振った。
「名前……ない。だから……貴方が……つけて」
俺がこの子に名前をつけるのか? そんな大役俺に務まるのだろうか。しかし誰かに初めて名前を与えるという行為に心の奥底で小さな喜びが湧き上がってくるのを俺は確かに感じていた。
少しの間真剣に悩んだ後、俺は意を決して言った。「じゃあ……知恵という意味の英語からとって……ウィズ、というのはどうだ? 単語を覚えるのが早かったからな」
「ウィズ……」ローブの影は、その新しい名前をまるで宝物のように、ゆっくりと丁寧に繰り返した。そして、顔を上げフードの奥の瞳が、今まで見たどの光よりも明るく希望に満ちた輝きを放った。「私の名前、ウィズ。うんとても……気にいった……次は……貴方の名前を……教えて!」
「俺の名前は………………………。紫原 吹雪……」
…………。この名前は思い出せないけど、どこか遠くで聞いたことがあったような気がする。
「フブキ……美しい」
…………。
「フブキ、これから…………よろしく……お願い」
…………。
その言葉はこの絶望的なこの世界でも希望を見いだせるような光だった。まあそんな都合の良い希望なんて存在するのか信じて無いけど。
「……でまず、ウィズさんや、そのよろしくってのは……」
俺は、その言葉の真意を確かめたくて、少し躊躇いながら問いかけた。
「その……ままの……意味……だけど……だめ……なの?」
ウィズは、少し不安げに首を傾げた。その透き通るような蒼い瞳の奥には、拒絶されることへの、ほんの小さな、けれど確かに存在する恐れが見えた気がした。
警戒心は、まだ完全に消え去ったわけじゃない。拭いきれない不信感も心の片隅にこびり付いている。それでも、どこか昔の弱くて誰かに頼るしかなかった俺を見ているようだ……?
この頼りないけれど、確かにそこに光を灯している小さな存在を今は信じてみよう、と。他に、この絶望を打ち破る術なんて、見当たらないのだから。
心の絶望
「……ウィズ」
俺は、真剣な眼差しでウィズを見つめて、問いかけた。「……この死界から、本気で出たいか?」
ウィズは俺の目をしっかりと見つめ返し迷うことなく、力強く頷いた。「……うん。絶対に出たい」
その短い言葉には、彼女の小さな体には不釣り合いなほどの強い意志と、この先の長く険しい道のりを照らす、かすかな、けれど希望に満ちた光が込められているように感じられた。
俺は、そっとウィズの頭を撫でた。
「じゃあ、決定だな。ここから一緒に出て絶対にここから抜け出そう!」
俺の言葉を聞いた瞬間、ウィズの表情がパッと明るくなった。まるで、長らく閉ざされていた心のダムが決壊したみたいに、勢いよく俺に抱きついてきた。
その小さな体から伝わる確かな温かさが、氷のように冷え切って、もう二度と温まることはないと思っていた俺の心に、じんわりとそして深く広がっていくのを感じた。ああ一人じゃないって、こんなにも心強いものなのか……
「ありがとう……フブキさん」
ウィズの声は、ほんの少し震えていた。それは再会を喜ぶ子供のような純粋な喜びの震えなのか、それとも、この先の不確かな未来に対するまだ拭いきれない不安の表れなのかは、俺にはまだ分からなかった。でも、その小さな震えが彼女の心の奥底にある、様々な感情を物語っている気がした。
「ああこちらこそ、ありがとうな、ウィズ」
俺はウィズの背中にそっと手を回して、優しく抱きしめ返した。
「さてと」
俺は、ウィズからそっと体を離すと、改めて真剣な顔で向き直った。
「じゃあ、さっそくここの節理について教えてほしい。ここから出るためにはこの忌まわしい世界のことを、誰よりもよく知っておく必要があるだろうからな」
ウィズは、俺の言葉に力強く頷くと、近くにあった、ひび割れた石の椅子にちょこんと座った。その小さな体には、これから語られるであろうこの世界の根源的な法則が確かに宿っているように見えた。彼女の瞳の奥には年齢不相応なほどの知識と、この世界に対する深い理解が宿っているように感じられた。
そしてウィズは、言葉を選びながら、ゆっくりと、でも真剣な眼差しで語り始めた。その声は、小さくとも、確かな重みを持っていた。その言葉一つ一つが、俺にとって、この絶望的な世界を理解するための、最初の一歩となるはずだ。
少し聞きづらかったので要約した。
まず死界全体は終わりのない、深く暗い森らしい。見渡す限り黒ずんだ樹木が生い茂り、その枝葉はまるで天を覆い隠すように絡み合っている。足元には常に冷たく湿った土が広がり時折、ぬかるんだ泥に足を取られることもある。そして何よりも空を見上げても、太陽や月といった生きた光を感じることは決してない。ただ、重く淀んだ灰色の雲が永遠に垂れ込めているだけなんだと、ウィズは言っていた。
時折このトンネルのように、自然に形成されたのかあるいはかつてこの世界に存在した強大な何かの力によって穿たれたのか定かではないが、巨大なトンネルのような広い人工物のようなものはよく現れるらしい。そう、人には理解しがたい事実なのだ。そしてトンネルなどの人工物はほんの少しだけ森の鬱蒼とした暗闇から解放される休息地となるらしい。
この俺たちが身を寄せている場所は、ウィズが長い年月をかけて少しずつ土魔法で広げていった部屋だという。土でできたとは思えないほど滑らかな曲線を描くソファや、安定感のある椅子が簡素ながらも休息の場所を提供してくれている。土魔法はこのじめじめとした環境下でも、比較的魔力の消耗が少なく扱いやすい魔法の一つらしい。あの家具たちは彼女の魔法の熟練度を物語っているのだろう。無機質な死界の中でウィズの魔法によって生み出されたこの小さな空間は、俺と彼女の間のささやかながらも確かな絆の象徴のように思える。
そして……俺も何度も目にしている、この暗い森を蠢いているおぞましい姿の怪物たち。腐敗した肉体を引きずり飢えた瞳で獲物を探す彼らは……この死界の頂点に君臨する、絶対的な存在が生み出したものだとウィズは考えている。
そう、死界の頂点こそ――“リバース・アビス”。
あらゆる生命を嘲笑し死と絶望を撒き散らす、全世界で最も恐ろしい怪物の一匹、と……。そのアビスはこの死界の中央にそびえ立つ、巨大な塔のような場所にいるはずだ。黒い瘴気に覆われ登ることすら困難な忌まわしい塔……そしてこの終わりのない苦しみから解放され、元の世界へ戻るためには……その塔の最も高い、天を衝くような尖塔の先に存在する歪んだ門を通過するしかないのだ。
ウィズの言葉は重くそして容赦のない現実を突きつけてきた。俺は、彼女の語る死界の広大で絶望的な構造そしてそこに君臨する絶対的な支配者の圧倒的な力に、改めて打ちのめされるような感覚を覚えた。終わりのない暗い森、そこで蠢く無数の怪物、頂点にいる最恐の化身、そして中央にそびえ立つ巨大な塔の遥か頂上にある門……。それはまるで幾重にも重なる悪夢のように俺の希望を蝕んでいくようだ。
「そして……ここで……フブキさんに……言わなきゃ……いけない……ことがあります……死界の王女……と魔物たちに……恐れられて……いる者が……この私で……あるという……ことです」
「死界の王女!?」
まさか、こんなにも小さくて、どこか頼りない印象の少女が……信じられない。でもあの時、俺たちを襲ってきた怪物たちがウィズを一目見た瞬間に見せたあの忠誠は確かに本物だった。今、ようやく、その理由が分かった気がする。
「はい……実は……死界の……王に……目を……つけられて……います……私は……ほとんどの……魔法を……無詠唱かつ……同時に……はなつ……ことができます……」
「……それはもう、最強と言っても過言ではないのでは?」
そんな信じられないほど強い力があれば、死界の王なんて簡単に打ち倒せるんじゃないか? 希望の光が、一気に視界に広がる。でもなんでそんな強大な力をウィズが?
「ウィズ、なんでお前はそんな強いんだ?」
「……」
ウィズは黙り込む。もしかしたら聞かれたくないことだったのかも知れない。確かに俺もウィズと友達? になってから、ゆうて数週間しか経っていないからな。
「ごめんな。嫌なこと聞いちゃって」
「いえいえ……そんな……ことは……」
「あと……ここの、王は……すべての……攻撃を……反射する……能力を……しょじ……して、います」
ん? ……そんなチートみたいな能力を持つ相手に、一体どうやって立ち向かえばいいんだ?
また深い絶望の淵に突き落とされた気分だ。
「だから……その……フブキさんの……力を……借りたい、です……」
ウィズの言葉は俺の胸に小さな波紋を広げた。
俺の力?
一体このろくに戦うこともできない俺に、何ができるっていうんだ? 自嘲にも似た感情が湧き上がってくる。死界の王女である彼女の言葉は、期待というよりも、むしろ俺の無力さを改めて突きつけるように感じられた。
「いや俺の力? 俺に何ができるっていうんだ……」
問い返すと、ウィズは少し困ったように首を傾げた。その蒼い瞳は、真剣そのものだ。
「えっと……じゃあ……まず、本当に簡単なことから……試してみましょう。あの……心の、奥底に眠る、小さな炎を……イメージしてみてください」
炎、炎……か。言われた通り俺は目を閉じて、頭の中で揺らめく炎を思い描いた。それは遠い記憶の片隅に残る、祭りの夜の篝火の残像かもしれない。あるいは、あの全てを焼き尽くした業火のほんの小さな名残かもしれない。いずれにしてもぼんやりとした、頼りない炎だった。それを見ていると幼少期時代の哀れな自分を見ている気分だ。そんなの想像にきまってるのに。
「イメージ……したら、ゆっくりと手を前に突き出してみてください。そして、少しだけ勇気を出して、『ファイアーボール』と言いながら、そのイメージを解き放つように、力を込めて打ってみてください」
言われるがままに、俺はゆっくりと両手を前に伸ばした。手のひらを相手に向ける。心臓が少しだけドキドキしている。まさか、本当に火が出たりするわけないよな……? 半信半疑のまま、俺は小さく息を吸い込んだ。
「……ふぅ、ファイアーボール!!」
声に出してみたものの、何の変化も起こらない。手のひらは冷たいままだし、空気も静かに淀んでいる。やっぱり、そんな都合の良いことなんて……
「………………あれ? ファイアーボール!」
もう一度、少しだけ声を大きくして言ってみる。今度は、手のひらに意識を集中させてみた。けれど、やっぱり何も起こらない。ただ、自分の声が洞窟の中に虚しく響くだけだ。
「………? ファイアーボー! ファイアーボール! ファイアーボール!」
意地になって、何度も何度も唱えてみた。まるで、子供が駄々をこねるみたいに。手のひらを凝視したり、少しだけ力を込めてみたりもした。でも、現実は残酷だった。
……何も起きなかった。
ウィズは少しだけ目を丸くして、俺の手のひらを見つめていた。その表情には驚きと、ほんの少しの困惑が混ざっているように見えた。
「え……こんな……簡単な……魔法も……使えない……なんて……」
彼女の言葉は、まるで小さな針のように、俺の心にチクリと刺さった。簡単な魔法、か。それが、俺にはできない。……やっぱり、俺は本当に無力なんだな。
諦念にも似た感情がじわりと胸の奥に広がっていく。イタイ。痛いよ、ウィズ。
「あ、待てよ! ウィズは魔法バカ何じゃないのか?」
「まほう……ばか?」
「そう! 魔法の天才すぎて常識をしらない人の事!」
「??」
ウィズは首をかしげる。
「どういう……こと……ですか?」
「……もういいよぅ」
フブキは自分で言っておいて、恥ずかしさと情けなさ、そして後悔に襲われた。
「え〜っと……」ウィズは、少しだけ考え込むように顎に手を当てた。
「もしかしたら、フブキさんの魔力の質とかそういうのが関係しているのかもしれません。うーん……じゃあ、本当にどんな人でも使える、基礎の基礎みたいな魔法って、存在するんでしょうか?」
彼女は、まるで最後の望みを託すように、俺に問いかけてきた。その瞳には、まだ諦めたくないという、強い光が宿っているように見えた。俺も、藁にもすがる思いで、ウィズの言葉に耳を傾けた。もしかしたら、本当に、俺にでもできる魔法が、この世界には存在するのかもしれない……。そんな、微かな希望を抱きながら。
藁にもすがる思いで尋ねると、ウィズは少し考えてから慎重な口調で答えた。
「……存在……します……でも……戦闘に……役立つ……かは……わかりません」
「……まあでもまずは魔法というものを使う感覚に慣れたいんだ。だからその誰でも使える魔法を教えてほしい!」
ウィズは説明をし始めるが、要約するとこんな感じだ。
まずこの世界には、根源となる五つの基本の魔法が存在するらしい。
火、水、土、風、雷。それらは、行使する際に魔力という、生命エネルギーのようなものを使うのが一般的だという。まるで、呼吸をするように、意識せずとも微量の魔力は体から流れ出ているらしいが、強力な魔法を使うには、明確な意思と集中的な魔力が必要になる。
だが、その五つの基本魔法とは別に、例外的に魔力を使わなくても誰にでも発動させられる魔法が、ただ一つだけ存在するらしい。それが
"移動魔法"
ウィズによれば、この移動魔法は、本当に、生まれたばかりの赤ん坊でさえ、無意識のうちに使っていることがあるという。例えば、寝返りを打つほんの少しの動きやミルクを探して身をよじる動作。それらは、彼らがまだ言葉を持たない代わりに、世界と意思疎通するための原始的な魔法の表れなのだとか。
「赤ちゃんでも……魔法を……使えるなんて……ちょっと……信じられない……ですよね」
ウィズは、そう言って小さく微笑んだ。俺も、正直耳を疑った。魔法といえばもっと大掛かりで、特別な力を持つ者が使うものだというイメージがあったからだ。生まれたばかりの、何もできないと思っていた赤ん坊が、すでに魔法の力の一端に触れているなんて……
「それで移動魔法……? どういう魔法なんだ?」
俺は移動魔法にかすかな希望の光を感じた。誰にでも使える魔法。それは非力な俺にとって、この過酷な死界を生き抜くための、唯一の手段となるかもしれない? からだ。心の奥底でほんの少しだけ期待が膨らんだ。もしかしたら想像もできないような、すごい力を持った魔法なのかもしれない……。いや、そんなわけないけど。
しかしそんな淡い期待は、次のウィズの言葉によって脆くも打ち砕かれた。
「……何センチか……移動する……魔法です」
「……はぁん?」
ウィズのあまりにもあっさりとした説明に、俺は間の抜けた声しか出せなかった。何センチか、だと? それだけ? そんなものがこの死と絶望に満ちた死界で、一体何の役に立つというんだ? ア゙ア゙ア゙ア゙ァ゙〜まるで、子供のお遊びじゃないか。
期待していた分、落胆は大きかった。胸の中に広がったのは、先ほどの微かな希望とは真逆の重く冷たい絶望感だった。
……待て、ウィズはもしかして俺をからかっているのか? いやいやいや、彼女の真剣な表情を見る限り、そんなはずはない。とういうことはこれが現実なのか? やっと俺にでも使える魔法が出てきたと思ったら、ほんの数センチの移動が出来ますよ^^と……。
「……一つ大切なことを聞きたい。俺はそれしか使えないのか?」
思わず弱々しい声が漏れた。こんなに酷いことがあるはず無いと……
ウィズはローブ越しでもわかるくらい、申し訳なさそうな表情をしていた。その蒼い瞳には俺の落胆を察してかわずかな痛ましさが宿っているようにも見えた。
「……そう……かも……です……実は……魔法は……生まれた……時に……才能が……あるか……どうか……わかっている……から」
その言葉は、まるで宣告のように、俺の心に深く突き刺さった。やっぱり、俺は魔法の才能なんて持ち合わせていないんだ。生まれた時から、無力であることが決まっているなんて……。
「うぁっはぁ〜……終わったぁぁ〜ぃ……」
乾いた笑いが俺の口から漏れた。全身から力が抜け落ちていくような感覚。やっぱり俺はこの世界では、ただの役立たずなのか……そんな暗い思いが再び頭の中を覆い始める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます