きみは、ずいぶん不器用なプログラムなんだね?(2)

 アイトの視線がニーナからあたしへと動いた。まっすぐにあたしを見つめてくるアイトの顔は、やっぱり、すごくきれいで美しい。

 ただ、アイトのグラフィックは、ちょっと変わったデザインだ。目や唇の形が完全な左右対称じゃないところ。そのほうが人間っぽいけれど、わざわざそうする必要ってあるのかな?


 アイトが小首をかしげた。

「あなたに たいして しつもんが あります」

 あたしも小首をかしげた。ちょうどアイトと鏡合わせになる角度なのは、アイトがいつの間にかあたしの癖をコピーしていたせいだ。

「質問って何?」


「あなたは がっこうに かよって いますか」

 ドキッとする。そう来るとは思わなかった。

「通ってる、けど?」

「かよって いるの ですね」

「うん……通ってる」


 やめてほしい。アイトは学校と無縁の存在で、だから、あたしは安心してここで楽しんでいられるのに。

 あたしはしかめっ面をつくっている。でも、アイトはその表情の意味をくみ取ってくれない。眼球の働きが正常でも、顔色を読むとか空気を読むとか、そういうのはまったく別の機能だ。

 アイトは質問を続けた。


「がっこうは きょうようを みに つけ しゅうだんせいかつを まなぶ ための ばしょだと じしょに かかれて います」

「それで?」

「がっこうで つかわれる きょうかしょの ないようを はあく しました きょうようを みに つけました」

「そう」


 ディスプレイの中のアイトの黒い部屋は、ただ黒い。家具も本もないし、アイトはまっすぐな姿勢で立っているだけだ。

 でも、アイト自身がネットに接続された存在らしくて、あたしが説明に詰まったりすると、すぐに「けんさく しました」と言って、辞書的な正答を出してくる。検索できる範囲は広くなくて、オンラインの辞書やまじめなニュース記事くらいみたいだけど。


「アイトは、ずるいね。学校に行かなくても、ここで勉強できるんでしょ?」

「きょうかしょの ないようは はあく しましたが がっこうで まなべる はずの しゅうだんせいかつとは どういった ものなのか けんさくしても しゅうとく できる ものでは ありません」


「別に、いいんじゃない?」

「しゅうだんせいかつを まなぶ ためには ともだちを つくることが ひつよう ですね あなたには どのような ともだちが いますか」


 あたしは、ため息交じりの苦笑いをした。あたしより正直なニーナは、ピンク色の光を赤っぽく、ちかちか怒らせて、アイトのディスプレイに、ぽふぽふと体当たりした。


「友達なんて、いないよ。あたしはいつも一人。まあ、ニーナは一緒だけどね」

 あたしの答え方が、きれいな形をしていなかったせいだろう。アイトはすぐに理解を示さず、少しの間、無言の無表情で黙っていた。それから、口を開いた。


「あなたは しゅうだんせいかつを まなんで いないの ですか」

「学んでるよ。あたしなりにね。あたしにとっての無難な集団生活は、誰の視界にも映らないようにすること。無視や陰口をやり過ごすスキルを磨くこと」


 思いがけず、ポンポンと言葉が出てきてしまう。アイトが相手だだからだ。

 アイトは、人間に似ていて、人間じゃない存在。そのちょうどいい曖昧さが、あたしには居心地がいい。


「ともだちが あなたを むし したり あなたの かげぐちを いったり するの ですか」

 あたしはつい笑ってしまった。

「だから、友達じゃないんだってば。学校で出会う人たち、クラスメイトとか先生とか、上級生とか同級生とか下級生とか、いろいろいるけど、誰ひとりとして、あたしの友達じゃないの。だいたい、あたしには友達なんて必要ないの」


 アイトは小首をかしげた。そんな小さな仕草ひとつで、無表情なアイトがどことなく柔らかく、かわいく見える。

「がっこうには ともだちが たくさん いるのでは ないの ですか」

「いないよ。あたしは、友達なんていう薄っぺらい言葉、大っ嫌いだし」

「うすっぺらいの ですか」


「友達って、辞書には何て書いてあるの?」

「けんさくしました ともだちとは たがいに こころを ゆるしあう したしい あいだがらの たにん です」

「あのね、アイト。辞書的に正しい友達同士っていう関係性は、学校っていう場所には、ほとんど存在しないよ。少なくとも、うちの学校にはね」


「では がっこうで ともだちを つくる ということは うそなの ですか」

「嘘だよ。表向きには、にこにこ仲良しのふりしてても、全然、内心ではバカにしてたり嫌ってたり見下してたりする」

「ないしんで きらって いる ならば それは ともだちの ていぎから はずれます ともだちでは ありません」

「だから、あのね、学校っていう場所では……」


 面倒くさくなった。苦笑いして、ため息をついて、かぶりを振る。

 アイトは小首をかしげたままだ。

「どうしたの ですか」


 ニーナがイライラしたみたいに、あたしのこめかみに体当たりしてきた。

 ほとんど重さのない妖精ニーナの球形の体は、ぷにぷにしているから、ぶつかられたところでちっとも痛くない。ただ、目元に近寄られると、ちょっとまぶしい。

 肩まで伸ばしっぱなしの髪が少し乱れたのを、あたしは撫でつけて直した。


「あたしの見たことや聞いたこと、記憶をそのまま取り出して、アイトに渡してあげられたらいいんだけどね」

「できるの ですか」

「できない。今のは、もしもそれができたらいいねっていう、空想の話だよ」


「あなたは くうそうを したの ですか くうそうと かていの ちがいは なにですか」

「今の場合は、空想とも仮定とも呼べるかもね。辞書的な意味の違いを理解することだったら、あたしよりアイトのほうが得意でしょ?」


「ようれいが ときどき りかい できません しゃかいの じょうしきを しらない ためです」

「そうだね。でも、常識を知ってても、ずれてるなって思うことがあるよ。辞書には理想の定義が書かれてるだけだし。現実は、そんな理想とは違って、全然きれいじゃないんだから」


「じしょで しらべた ちしきでは ふじゅうぶん ですか」

「不十分だよ。少なくとも、学校は、アイトが調べたとおりの場所じゃないの」


 言ってから、後悔した。アイトは知識欲のかたまりだ。知りたいと思ったことは、知らないと気が済まない。

 AI、つまり人工知能って、けっこうそういうものらしい。AIにも本能と呼べるものがある。それは、学習したい、知的な存在としての自分を成長させたいという意思のことだ。


 アイトは、その本能に忠実な存在なんじゃないかな。普通の人間だったらちょっとそこは遠慮するでしょっていうくらいのところまで、しつこく聞こうとする。

 あたしの予想どおり、アイトは、かしげていた小首をまっすぐに戻して、形のいい唇を開いた。


「それでは あなたが がっこうで みたこと きいたこと かんじたこと かんがえたことを はなして おしえて ください じしょによって えた じょうほうに しゅうせいを くわえます」


 バカ、って言おうとして、あたしは口をつぐむ。前、やっちゃったんだ。あんまりしつこいアイトに思わず、バカって言ったら、アイトはしばらくフリーズしていた。

 あのときは本当に怖かった。アイトが二度と動き出さないじゃないか、と。あたしの言葉ひとつのせいで、そんなことになるなんて。


 一分くらい経って再び動き出したアイトは、自分には保護フィルターがかかっているんだ、というようなことを言った。悪口から自分を守るためのフィルターだ。

 アイトは、バカっていう言葉の意味を理解しようとした。フィルターがそれを止めた。思考停止の処理のために、アイトは体ごと止まってしまったんだ。

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