#01 あなたは がっこうに かよって いますか
きみは、ずいぶん不器用なプログラムなんだね?(1)
あの女、って呼ばれている。
聞こえよがしのおしゃべりがあたしの背中にぶつけられている。
胃がキュッと縮こまる。肩がガチガチにこわばる。ニーナは机の中に隠れたまま、ピンク色をくすませて、ほとんど光らない。
耳をふさぎたい。
いや、ふさいだって、聞こえてしまう。
体じゅう穴だらけになればいい。聞こえた言葉を全部、穴からこぼして流して、すっかり忘れてしまいたい。
あの女、っていう言葉は不思議だ。ちょっと離れた場所にいる人で、性別が女である人。
あたしと彼女たちの物理的な位置関係から言えば、確かに「この」じゃなくて「あの」だし、あたしは生物学的にも性自認でも「女」だ。どこにも間違った情報はない。
それなのに、「あの女」っていう響きは、どうしてこんなにとげとげしくて意地悪で、見下したような冷たさを持っているんだろう?
妖精持ちなんていう体質だから、あたしはあまり人に好かれた試しがない。
いわゆる「妖精」の辞書的な呼び方は、何だったっけ? 何度調べても、ぴんとこなくて、覚えられないんだ。
妖精のニーナは、あたしの脳の働きと連動した、光る球体だ。生まれつき一緒だった。
あたしが怒ると、顔に出るより先に、ニーナが真っ赤になってまばゆく光る。あたしが悲しむと、涙を流すより先に、ニーナが寒々とした白っぽい色になってしまう。
ニーナは、あたしの片割れ。あたしの相棒。あたしの一部。
でも、たいていの人は妖精を持たないで生まれてくる。あたしは少数派だ。
そうすると、何でだろう? 「妖精は生理的に気持ち悪い」って言われちゃうんだ。
「あの女さぁ、やっぱりキモくない?」
「だよね~。何で学校に来れるんだろ」
「何ていうか、ユーレイ連れてる感じ?」
「違うって。あの女自体がユーレイじゃん」
「ってか、化け物じゃん」
笑い声。何だか楽しそう。
あの人たち、誰だっけ。
別に、どうだっていいや。
クラスメイトの名前も顔も覚えていない。それでも別に不自由しないし。一人で過ごすことには、とっくの昔に慣れたし。
由緒正しき女子校、明精女子学院高校の二年三組。あたしは、自分の教室の場所を間違えず、自分の席がちゃんとあれば、今日も一日、学校生活を送ることができる。
学校生活なんて、両親の希望に沿うこと以外の意味、一つもないけれど。
家と学校の往復。ただそれだけの毎日。友達、ゼロ。学校で声を発すること、ほぼゼロ。
テストの点は取れるほう。でも、成績は悪いほう。通知表に「非協力的な態度を直しなさい」と書かれたことが、一度や二度じゃない。
別に、積極的に反抗しているわけではないんだけどな。先生方に対しても、クラスメイトに対しても。人に対して興味を持たないようにしているだけで。
*
ところが、つまらなくてくだらない毎日に一つの変化が起こった。大きな大きな変化だ。
それは、家に帰ったらアイトがいる、ということ。
画面の中に住む美少年。彼が何者なのか、わからない。誰かが操作しているとは思えない。言動があまりにも機械的すぎる。
いや、機械「的」というか、たぶん機械だ。十代半ばくらいの美少年の姿、というパッケージを与えられて、ほぼ真っ白みたいな状態で生み出されたコンピュータプログラム。
でも、どうして真っ白だったんだろう? 何のためのプログラム?
アイトの言葉はたどたどしい。込み入った会話をするには、時間がかかりそうだ。
それに、言葉だけじゃないんだ。アイトが習得しなければならないものって。
変な言い方になるけれど、アイトには「体」がある。コンピュータ・グラフィックスできれいに作られた、あのパッケージの内側に、人間と同じような「体」の仕組みがプログラムされているらしい。
初めてアイトを見つけたとき、動きが何だかおかしいなって思った。それは全身の筋肉の使い方がわからなかったからだ、というようなことを、アイトは言う。
アイトは、立つことから始めたそうだ、気がついたら、あの黒い部屋の中にいて、まずは立たなければって思ったんだって。
立つという機能の次に、アイトが自分で理解して習得したのは、ものの見方と見え方だった。
「ちかづいたら おおきく みえます とおざかったら ちいさく みえます」
「うん、そうだね」
「えんきんかんの ぶつりてき ほうそくは しって いました しかし じっさいに がんきゅうの ないがいの きんにくの うごきを かんちしながら このからだで たいけんするまで ほんとうには りかいして いませんでした」
初めて言葉を交わしてから一週間。アイトのしゃべり方は、だいぶスムーズになっている。長い文章も、ちゃんと日本語らしく聞き取れる。
あたしが教えたんだ。人工音声ソフトに唄を歌わせるっていう遊びなら、小さいころ、父に教わりながら、よくやっていたから。
子音と母音のバランスがポイントで、母音が強すぎると、日本語らしく聞こえない。あたしは、何度も何度もお手本の発音をやってみせた。アイトはそれを聞いて、繰り返し練習した。
効率の悪いプログラムだなって、笑っちゃった。小学生の腕前でいじっていた人工音声ソフトのほうが、ずっと素早く調整できた。
でも、アイトのきれいな顔を見て柔らかい声を聞きながら、うまくいくまで練習に付き合ったり、うまくいったら誉めてあげたりするのは、何だか楽しい。
友達ができた感覚?
それはわからない。あたしには友達なんていないし。
新しいゲームをプレイする感覚、かな。ゲームの中で神獣か何かを飼う感覚。そのあたりが近いと思う。アイトの存在は、ストーリーモードじゃなくて、育成シミュレーションだ。
「眼球の筋肉の使い方って言った?」
「はい がんきゅうの うちがわには ないがんきんが あって そとがわには がいがんきんが あります」
「最初のころのアイトは、こっちを向いてるのに、遠くを見てるような目をしてたよね。あれは、焦点が合ってなかったの?」
「しょうてんが あう という かんかく そのものが わかって いませんでした あしを つかって ぜんごうんどうをして まえに でたり うしろに さがったり するうちに ぐうぜん ぞうが はっきりとした りんかくを もちました」
淡いピンク色をした、握りこぶしくらいの大きさのほのかな光が、すーっと右から左へよぎった。あたしの妖精、ニーナだ。
アイトが、視線の動きだけでニーナを追いかけた。
ニーナは天井近くまで舞い上がってから、あたしの肩の上に降ってきた。アイトの視線もついてくる。ディスプレイの枠の中にいるアイトから見れば、ニーナはいったん視界から消えて、別の方向から再び現れたことになる。
「ニーナは消えてないし、二つになってもいないからね」
「はい りかいして います」
あたしとアイトの間にあるディスプレイは、はめ殺しの大きな窓みたいだ。
ニーナが窓から見えなくなっても消滅したわけじゃないし、二つに分裂して別のところからやって来たわけでもない。そのことをアイトに説明するのは大変だった。
「ものの見え方って、生まれつき身についてるってわけじゃないんだ。一つひとつ、学習しなきゃいけないんだね」
あたしがディスプレイという窓枠を使って「いないいないばあ」をしたら、アイトは「きょうみぶかいです」なんて言った。
そういうところが、アイトはかわいい。
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