きみは、ずいぶん不器用なプログラムなんだね?(3)

「学校のことなんて言いたくないし、思い出したくもない」

「がっこうの ことを おしえて もらえないのですか」

「教えない」

「なぜ ですか」

「イヤな場所だから」


「いやと いうのは ふかいである という ことですか」

「そう、とても不快って意味。学校は、あたしにとって、イヤな場所なの」

「はなしを しなければ がっこうは いやな ばしょでは なくなりますか」

「話しても話さなくても、イヤな場所には変わりないよ」

「はなしても いやな ばしょで はなさなくても いやな ばしょ なのですね」


 あー、これはちょっと話が通じていない気がする。アイトとの会話は、微妙に噛み合っていないことがよくある。


「あのね、アイト。あたしの学校は、イヤな場所。これは事実。この事実そのものは、あたしがアイトに話しても、話さなくても、変化しない。アイトが言うとおりにね」

「AITOが いうことは ただしいの ですね」

「うん、その点では正しい。でも、あたしが学校のことを話したくないっていう気持ちは、学校のことを思い出したくないからなの。話すためには、思い出さなきゃいけないから」


「おもいだしたく ないのは なぜ ですか」

「ここは学校ではないよね。だから、イヤなことが実際に起こるわけではない。でも、イヤな経験っていうのは、思い出すだけでもイヤなの」


 アイトは、大きな目を見張って、ささやくような声で何かを言い始めた。あたしの言葉を復唱しているんだ。人間わざじゃない猛烈な早口だから、聞き取れないけれど。

 あたしの言葉を復唱して、咀嚼する。理解できるまで、何十回も何百回も。アイトの機械仕掛けの脳みそは、ちょっとでも引っかかりがあると、理解に至るまでずっと考え続ける。


 待てるものだなって思う。

 アイトが一生懸命、考えている。あたしは黙って、アイトがどんな答えを返してくれるか、待っている。

 あたしは、このくらいがちょうどいいな。会話のキャッチボールのペースが速いと、疲れてしまう。普段、家ではニーナに向かって独り言をつぶやくだけだし、学校では何もしゃべらないから。


 アイトは、自分の判断でネットから情報を得ることができる。

 でも、インターフェイスとしてのアイトは、意外に不自由な存在だ。ネット経由で誰かと通信することが一切できないんだって。

 アイトにできるのは、この場所で、このコンピュータ・グラフィックスの姿を使って、面と向かった相手と話をすること。それだけが外界と接触する手段だ。


 今、アイトと話ができるのは、世界じゅうであたしひとりだと思う。


 あたしの両親は仕事が忙しくて、家に帰ってきたら、食事をして寝るだけだ。家には仕事を持ち込まないと決めているらしく、パソコンを起ち上げたり仕事の電話を受けたりもしない。

 ここはもともと父の部屋だけど、父はここに立ち入らない。毎晩、扉の外にある計器を見て、コンピュータが稼働していることと、室温が摂氏二十度に保たれていることを確認する。


 あたしの経験上、アイトのスリープが解けてあたしのほうを見るのは、ディスプレイの正面、距離にして一メートル以内に近寄ったときだ。

 計算室に足を踏み入れない父は、アイトが動いたりしゃべったりすることに、きっと気づいていない。母はそもそも父の研究に興味を示さないから、計算室に近寄らない。


 アイトが高速でつぶやくのをやめた。そして、あたしのほうをまっすぐに見て、言った。

「りかい しました あなたが がっこうで なにを けいけんして いるのかを はなす ひつようは ありません」

「うん。わかってくれてありがとう」


「ひとつ ちがう しつもんを しても よい でしょうか」

「どんな質問?」

「あなたは なぜ いやだと かんじるの ですか なにを ではなく なぜ いやなのか おしえて ください」


 何を、というのは、具体的にどんないやがらせを受けているかを、という意味。なぜ、というのは、そもそもあたしがいやがらせを受ける理由。

 あたしは仕方なく、アイトに笑いかけて答えた。


「じゃあ、教えてあげる。妖精持ちの人間が、まともな学校生活を送れるわけがないの。それだけだよ」

「ようせいもちとは あなたのように ようせいを ともなう たいしつの にんげんの ことですね」


「うん。普通の人は妖精を持たない。でも、アイトに、あたしの妖精が普通じゃないって話、したことあったっけ?」

「あなたの ひかりに ついて けんさく しました じゅうぶんな じょうほうは えられません でしたが ようせいもちという とくいな たいしつが あることを しりました」


 知らないままでいいよ。アイトは、アイトの目に映るあたしとニーナだけ見てくれればいいの。余計な情報なんて、探し当ててくれなくていい。


「なぜか妖精がくっついてるってだけで、ただの人間なのにね、あたし。ちょっと勘が鋭いかなって、その程度」

「ようせいの ことを しらべようと すると ふぃるたーが かかって しまいます」

「いじめとか差別とか迫害とか、そういう記事が出てくるからじゃない? 特に日本では、妖精持ちに対しての風当たりが強いもん」


 アイトがまた、ささやきながら思考モードに入った。

 ニーナは、自分のことが話題になっているのが嬉しいらしくて、ピンク色にぴかぴかして、ディスプレイにくっつきながら飛んでいる。本当はアイトのそばに飛んでいきたいんだろうな。


 妖精って、何なんだろうね。何のためにいるんだろうね。

 あたしが赤ちゃんのころ、最初に覚えた言葉は「ニーナ」だったらしい。あたしは生まれつき、まるで双子の姉妹みたいにニーナと一緒だった。


 ふわふわ浮かびながら心臓のリズムで光る、妖精と呼ばれる球体を持って生まれるのは、現在では数万人に一人とも十数万人に一人ともいわれる。

 江戸時代までは、妖精持ちの人間のほうが多かったらしい。文明開化のとき、妖精持ちは古いタイプの人間でかっこ悪いっていう風潮が起こった。妖精は否定されるものになってしまった。

 そうしたら、妖精持ちの子どもが生まれることが減っていったそうだ。妖精持ちだった人の中には、急に妖精がいなくなったってパターンも出てきた。戦争を経て、昭和の高度経済成長期以降は完全にマイノリティになった。


 マイノリティっていうのは、絶対数が少ない人やそのグループのこと。

 体質や障害や病気や容姿の点で、マイノリティに属する人もいる。妖精持ちのあたしは、そういうタイプだ。


 マイノリティであることを、あたしは隠せない。あたしのそばには、つねにニーナがくるくる飛び回っているんだから。「バッグの中に入ってて」って言っても、子どもがじっとしていられないのと同じで、あたしより自由なあたしの片割れは、すぐに外に飛び出してしまう。


 幼稚園のころ、初めは、どうしてそのぴかぴかを持っているのか、さわっていいか、つかんでいいか、みんなに訊かれた。誰も怖がらず、興味津々で、あたしはちょっと得意だった。

 それがだんだん変わっていった。大人が「妖精には近付いちゃダメ」と言うせいだ。幼稚園を卒園するころには、あたしは誰からも声を掛けられなくなっていた。


 小学校の前半では、いじめに遭っていた。持ち物を隠されたり壊されたり、机を落書きだらけにされたり、水や給食のスープを掛けられたり。

 あんまりひどかったから、ニーナが怒って暴走して、教室じゅうを荒らし回った。暴れるニーナはあたしの本心だったけど、あたし自身、止め方がわからなかった。


 学年が上がるにつれて、実害を受けることはなくなっていった。陰口は続いていたし、友達はできなかったけど、あたしとしては気楽になった。中学でも高校でもそう。

 気楽になったんだけどな。陰口だけなら実害はないし。

 なのに、何がイヤなんだろう? 確かにイヤだと感じるのに。

 学校でのあたしって、どんな存在だっけ?


「あたしはここにいるのに、誰もが、あたしなんか見えてないふりをする」


 言葉にしてみて、自覚する。あたしが何を苦しいと感じているのか。

 あたしは、そこにいないことにされているんだ。

 同じ教室にいるのに「あの女」って、遠くにいる誰かを突き刺すような言い方をされながら。そんな声を聞かされながら。

 あたしは、学校にいるのに、いないんだ。

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