孤独な鳥

@oioioi30

雲を目指して

鳥は孤独だった。生まれつき狩りが下手で、どんなに小さな虫を狙ってもことごとく逃げられてしまう。仲間たちはそんな鳥を見て嘲笑った。


 「お前、なんで鳥なのにエサも取れないんだ?」

 「こんなやつが群れにいても邪魔なだけだ」


 それでも鳥は頑張ろうとした。狩りの練習をしてみたが、どうしても上手くいかない。何度も空腹に苦しみながら、それでも群れについていこうとした。だが、ついには誰も相手にしてくれなくなった。


 さらに、鳥の囀りはどこか濁っていて、どんなに鳴いても美しい声にならなかった。仲間たちはみんな澄んだ声で囀っていたが、鳥の声だけが異質だった。


 「耳障りだから鳴くなよ」

 「お前の声を聞いてると気が滅入る」


 そんな言葉を浴びせられ、鳥はもう鳴くのをやめた。


 群れは鳥を見放した。誰も助けてくれない。誰も励ましてくれない。ただ一羽で生きていかなければならなかった。


 ──だが、鳥にはひとつだけ得意なことがあった。


 それは「飛ぶこと」。


 仲間たちと比べても、鳥は驚くほど高く、そして長く飛べた。どこまでもどこまでも、誰よりも速く、誰よりも高く飛べる。それだけが鳥の誇りだった。


 だから鳥は決めた。


 ──飛び続けよう。


 どうせ自分は狩りもできず、囀りも醜い。仲間に受け入れられることもないのなら、せめて誰よりも高く飛び、雲の上の景色を見よう。そして、いずれまた地上に降りたときに、仲間たちに自慢してやろう。


 「雲の上はこんなに綺麗だったぞ」


 ──それだけが、鳥が生きる理由になった。


 鳥は翼を大きく広げ、力いっぱい羽ばたいた。地上の木々がどんどん小さくなり、空が広がっていく。仲間たちは驚いたように鳥を見上げていたが、すぐにどうでもよさそうに目を逸らした。


 だが、鳥は気にしなかった。ただ、ひたすらに上を目指した。


 飛ぶことだけが、鳥に残された唯一の存在証明だった。


鳥は上へ、さらに上へと飛び続けた。地面が遠ざかり、木々が小さな点のようになっていく。


 「もっと高く……もっと……」


 羽を動かすたびに風が身体を叩きつけた。冷たい空気が羽毛の隙間から入り込み、鳥の体温を奪っていく。それでも鳥は飛ぶことをやめなかった。


 雲の上に行って、それを仲間たちに自慢する──その目的だけが、鳥の心を支えていた。


 だが、次第に鳥の身体は悲鳴を上げ始めた。翼は重く、筋肉は軋む。飛び続けることで肺が焼けつくように苦しい。息を吸っても、薄くなった空気は喉を冷やすだけで、体に力が入らない。


 「なぜ……?」


 鳥は疑問に思った。なぜ自分はこんなに苦しい思いをしてまで飛び続けているのか。なぜそこまでして雲の上を目指すのか。


 ──そもそも、仲間たちは本当に雲の上の話を聞いてくれるのだろうか?


 鳥の胸に、ほんの小さな迷いが生まれた。


 これだけ苦しい思いをして飛び続けても、地上に戻ったときに誰も聞いてくれなかったら?誰も興味を持たなかったら?


 「お前がどこまで飛ぼうが、俺たちには関係ない」


 そう言われてしまったら?


 鳥は、ふと怖くなった。


 それでも羽ばたくのをやめることはできなかった。いや、やめられなかった。


 なぜなら、ここで飛ぶのをやめれば、待っているのは墜落だけだから。


 鳥は空を見上げた。


 もう地面は見えない。雲はすぐそこにあるように感じる。しかし、本当に近いのか、それともただ遠すぎてそう見えるだけなのか、それすら分からなかった。


 ──ここで止まったら死ぬ。


 鳥は恐怖に駆られた。翼が痛くても、喉が渇いても、息が苦しくても、飛び続けるしかない。生きるために。


 「飛べ、飛べ……!」


 鳥は自分に言い聞かせるように、必死で羽を動かした。


 もう理由なんて分からない。ただ、本能だけが飛ぶことを求めていた。


鳥は飛んだ。


 ただ上へ、上へと。理由など、もう分からなかった。


 最初は「仲間に雲の上の景色を自慢するため」だった。だが、その目的はどこかへ消えてしまった。ただ、生きるために飛ぶ。それ以外に考える余裕はなかった。


 翼が痛い。羽ばたくたびに、関節が軋む音がする。空気は冷たく、肺に吸い込むたびにナイフで切り裂かれるように苦しかった。


 ──それでも、飛ばなければならない。


 地上はもう見えない。どれほど高く飛んだのか、自分でも分からなかった。だが、雲はすぐそこにある。目と鼻の先まで迫っているように思えた。


 「もう少し……あと少し……」


 鳥は自分に言い聞かせるように羽を動かす。だが、その動きは鈍くなっていた。


 翼が重い。


 筋肉が、まるで鉛のように固まり、思うように動かなくなっていた。


 「おかしい……」


 鳥は焦った。今まではどれだけ飛んでも、こんなことはなかった。けれど、今は違う。羽ばたくたびに激痛が走り、全身が悲鳴を上げている。


 ──もう、限界なのか?


 そんな言葉が頭をよぎる。


 だが、鳥はそれを振り払った。今やめたら、落ちる。墜落する。死ぬ。


 恐怖に駆られて、鳥はさらに必死に羽を動かした。だが──


 その瞬間、 バキッ という音がした。


 それは、自分の翼の骨が折れる音だった。


 「……え?」


 鳥は理解できなかった。何が起きたのか、分からなかった。


 だが次の瞬間、鳥の身体はふわりと浮いたかのようになり、そして急激に落ち始めた。


 落下する。


 雲が遠ざかる。


 風が耳を裂くように吹き抜ける


 上へ、上へと飛んでいたはずなのに、今はただ地面へ向かって落ちていく。


 冷たい風が全身を切り裂く。目に映るのは、遠ざかっていく空。そして、迫りくる地面。


 ──嫌だ。


 ──落ちたくない。


 ──ここで終わりたくない。


 だが、もはや抗うことはできなかった。翼は動かない。折れた骨が痛み、体は鉛のように重い。


 仲間の元に戻ることもできない。誰かに助けを求めることもできない。


 「どうして……?」


 鳥の心に、ふと疑問が浮かんだ。


 そもそも、なぜ自分は飛び続けていたのだろう?


 雲の上を目指したのは、仲間に自慢するためだった。


 ──でも、本当にそれだけだったのか?


 鳥は思い出す。


 仲間に見放され、群れを追われ、ひとりぼっちになった。狩りも下手で、囀りも醜かった。何をやっても誰にも認めてもらえなかった。


 けれど、飛ぶことだけは上手かった。


 だから飛んだ。


 飛び続けた。


 飛ぶことで、自分が「生きている」ことを証明しようとした。


 雲の上を目指したのは、自分の存在を肯定するためだった。


 ──でも、それに何の意味があった?


 雲の上にたどり着いても、誰かが褒めてくれるわけではない。認めてくれるわけではない。結局、自分は孤独なままだった。


 だったら……。


 最初から飛ぶ必要なんて、なかったのではないか?


 そう考えた瞬間、鳥の心から、何かがスッと抜けていくのを感じた。


 ──ああ、もういいや。


 考えるのをやめた。


 力を抜いた。


 目を閉じた。


 次の瞬間──鳥の体は、地面に叩きつけられた。


 べちゃっ


 柔らかかったはずの羽毛は潰れ、骨は粉々に砕けた。鮮血が土に染み込み、わずかに風が舞い上がる。


 そこに、一羽の鳥の姿はなかった。


 ただ、地面にできた赤黒いシミだけが、かつてそこに鳥がいたことを示していた。


 ──それを見て、誰かが悲しむことはなかった。


 誰かが気に留めることもなかった。


 空は、何事もなかったかのように澄み渡っていた。

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