第2話 居住者

 咄嗟にテーブルと椅子の陰に身を隠す。ダイニングから玄関ドアまでの距離はおよそ10メートル。彼らは基本、視界に入らなければ襲ってくることはないので、遮蔽物がある状況であればまだ安全な距離と言える。ミトンの様子を伺うと、テーブルの上に転がって微動だにしていない。ただの手袋のふりで通すつもりのようだ。マフラーも口を閉じて襟巻きに徹している。居住者に死んだふりが通用するとも思えないので、潔く戦闘の準備を始めることにした。


 端末でストレージからアイテムを選択、空中に浮かんだ半透明の映像を指でつまむ。すると、重みを持った物体として収納していたアイテムが手の中に現れる。この数日で身についた習慣により、慌てることなくストレージから<ポインター>を取り出すことができた。


 ポインターは蝋石の見た目をしたアイテムで、わたしがこの世界に来た時に与えられた能力のひとつが形をとったもの、だそうだ。もちろん本物の蝋石ではないのだろうが、外見や質感はほとんどそのまま。灰色がかった白く細長い立方体で、指触りはなめらか、少しひんやりしている気がする。


 狭い室内だ。向かってくる動線は限られる。かがみ込んだまま手にしたポインターを滑らせ、自身の前、玄関からのルート上にできるだけ大きく丸を描く。すると、古ぼけてところどころくすんだ板張りの床に、薄く発光する円形の領域ができあがった。

 これで大丈夫なはず。息を潜め物音を探る。

 ……なかなか入ってこないな。

 様子を確認しようと顔を向けると、椅子の背越しに目が合ってしまった。首を不自然なほど傾けてこちらを覗き込んでいる。

(ガワ持ち! 侵食の少ない部屋を選んだのに……)


 今までの探索で、居住者にはいくつか成長段階があることがわかっている。形がはっきりしないやつは幼体。例外もいるが、だいたいは動きものろくあまり脅威ではない。形がはっきりしてくると成体。中でも、おじさんとか若い女とか子供とか、外見が形成されていて、特徴がわかりやすいやつほど育っていてやばい。挙動は外側の——ガワと呼んでいるが——ふるまいを踏襲しているのか、人間らしい動作はひととおり可能なようだ。律儀にドアを開けて入ってきた時点で想定できたはずだった。


 今回エンカウントした個体は、痩せた男。年の頃は四十すぎくらい、長めのぺたっとした前髪が額に張り付いている。なにかの染み跡のあるスウェットを着ており、漫画やアニメに出てくるいにしえのオタク、その実写版、といった雰囲気だ。肌のテクスチャがまだできかけなのか、ところどころ中の黒いぶよぶよが見えている。


 ガワはなんであれ、敵として向き合った状況での彼らの挙動は、ゲームのモンスターそのものだ。こちらを発見するとまっすぐ向かってくるので、間にあったテーブルに勢いよくぶつかり、中身の残ったペットボトルとゴミの詰まったコンビニ袋が床に転がり落ちた。

 このままテーブルを乗り越えられるとまずい。部屋の狭さが裏目に出た。先ほど床に描いた円に目をやると、まだ発光している。逃走ルートには使えない。もしかして自分で自分を追い詰めてしまった……?


 いにしえさんはほとんどテーブルに身を乗り出している。ゾンビ映画のワンシーンを観ているような気分だ。感情のない、ただ物理的な反応で発せられているような声も耳障りで、ゲージを確認せずとも<情緒>がじわじわ減少しているのがわかる。

 向こうの体重が天板にすべて乗ったタイミングで、しぶとく死んだふりを継続していたミトンを掴み、テーブルの下をくぐり抜ける。あちこちぶつけはしたが思ったより上手くいった。自分が幼女の姿をしていて良かったと、初めて感じたかもしれない。

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