充実錬金術師の裏話

山口いずみ

コスタンツィ侯爵家

旅立つクロードを執務室の窓から見送り、侯爵夫妻は静かに息を吐いた。

これでやっと、約束が果たせる。



侯爵夫人ティオリエは、遠縁の娘が小さな命を抱いて懇願する姿を思い出す。まるで昨日のことのように鮮明な、悲痛な泣き顔を。


『どうかこの子を貴族にしないでください』


お願い、お姉様。


何もかもすべてを失った後に、飛び立つ為の翼すら踏みにじられた哀れな娘。


望まぬ命を授かった娘は、己に宿ったその小さな輝きを愛してしまった。臨月間際でも目立たなかった腹は、子が流れてしまえば秘密裏に処理できたのだ。しかし、娘はそれを拒んだ。

己の尊厳を踏みにじった男への恨みはなく。その男への愛もなく。ただただ、己に宿った小さな命のために。



「アレッタ……おまえの子が今、羽ばたきましたよ。見守っておやりなさい」


- - - - -


没落した子爵家の一家心中から、唯一生き残ったアレッタ。血の繋がらない遠縁の娘は、ティオリエにとっては年の離れた妹のような子であった。

ティオリエの実家である伯爵家は、アレッタの生まれた子爵家の寄親。元々は何代か前に伯爵家から枝分かれした家であり、親戚のような関係だった。


4歳ですべてを失った娘を実家が保護した際、ティオリエは行儀見習いとして自身の側付きにした。婚約者にも相談して、2年後には嫁ぎ先にも連れて行った。

夫レオニスと共にアレッタに相応しい相手を探して、婚姻まで世話をするつもりだった。アレッタが望むのであれば、子爵家の再興も視野に入れて動いていた。

ティオリエの実家である伯爵家も、寄子であった子爵家の再興……それが叶わずとも、せめてアレッタの幸福を望んでいた。侯爵が後ろ楯であれば、良縁に恵まれると信じていた。



そうして手塩にかけて育てた娘は、よりにもよって、夫の父……当時の侯爵に手折られてしまった。

暴行を受けたことを伏せ、目撃した侍従長を必死に口止めした娘は、しかし半年経って体調不良が目立ち診察を受けたことで妊娠が判明したのだ。

夫妻は侍従長の報告を受けたことで、侯爵の罪を知る。


「なんてこと……」


妊娠の事実、そして腹の子の父親を知ったティオリエは絶句した。彼女の肩を支えるレオニスも、青ざめながらも怒りに震えていた。

家令が努めて冷静に、淡々と口を開く。


「旦那様は、ご当主としてのお役目はもう十分に果たされたのではないでしょうか。近頃はお酒を過ごすことも多いようで……」


「うむ……父上には、そろそろゆっくりしていただくのが良いだろうな。

 私の地盤を固めるのに長いこと粉骨砕身していただいたのだ。もうこれ以上の負担を強いるのは心苦しい」


「……ええ。お義父様には、休息が必要ですわね……」


その日の夜、侯爵は息子と飲んでいた。

希少な赤ワインを手に入れたレオニスを上機嫌で部屋に招き、家令が給仕の真似事に興じて、深夜まで三人で過ごした。


翌朝から、侯爵は自室を出なくなった。

加齢と過労、そして近年の酒の影響であろう。侯爵家は王家に世代交代を告げ、侯爵は前侯爵となり、人前に姿を表すことはなくなった。

人間族の平均寿命は70前後。50歳ともなれば、肉体は最盛期からは見劣りする。不摂生が祟れば尚更に、酒は毒になり得るのだ。

前侯爵は気持ちが若かったから、ご自身の限界を見誤ったのでしょう。そんな同情の声がレオニス=コスタンツィ侯爵の周囲を取り巻いた。



前侯爵が病で天に召されたのは、それから一年後であった。



当主の毒殺。それは実の息子とその妻、そして家令と侍従長の間でのみ共有する罪である。

一年もの間当主の死を隠し療養と擬装した四人は、この罪を墓まで持って逝くことを誓っている。決して、他の誰にも知らせぬように。



そして葬儀の裏で、新たな命が誕生した。



一年ほど前から、コスタンツィ侯爵には噂があった。

曰く、屋敷の敷地内に愛人を囲っていると。

父親の療養に滅入って癒しを求めたのではないかと。

助産師を家に招いたと暴いた者がいて、さらに面白おかしく触れ回られた。


仲睦まじい侯爵夫妻の様子を陰で嗤いながら流れる噂を、当の夫妻は諌めるでもなく聞こえないふりをしていた。


夫妻と親しい者は噂を無視して、何らかの事情で妊婦を保護して、その母子が姿や身元を知られぬように保護しているのだろうと推測していた。



助産師もまた、この高い壁に囲まれた邸宅に住む妊婦を侯爵の愛人と認識していた。

そのため、出産に立ち会うことを頑として譲らない侯爵夫人を警戒していた。

侯爵夫人もまた、助産師を警戒していた。取り上げた子の不幸な人生を案じて、死産を装い善意から子を連れ去るのではないかと。

そんなピリピリした空気の中、アレッタは敬愛する「お姉様」の姿に安心していた。




「アレッタ、よく頑張りました。おまえによく似た子です……誰が見ても、おまえの子です」


役目を終えた助産師はすぐに追い出した。最後まで心配そうに夫人を見ていたが、侍従長が連れ出した。


子どもが少しでも父親に似た要素を引き継いでいたら、もうここから外には出してやれなかった。

もはや侯爵の愛人とその子、いう立場でしか貴族にはなれない。それでは守ってやれない。

子どもがアレッタの要素だけを引き継いでいたのは幸いだった。これなら、使用人とその子として外に出してやれる。

かつての子爵家が所有していた、侯爵領内の別荘。そこは今、ティオリエの名義で侯爵家が所有している。生活拠点として与えるつもりだ。


「よかった……お姉様、どうかお願いします」


気力も体力も使い果たしたアレッタが、最後の力を絞るように必死に縋る。


「どうか……どうか、この子を貴族にしないでください……お願いします」


「もとよりそのつもりです。さあ、もう休みなさい……男の子です。目覚めたら、名を与えてやりなさい」


「……もうひとつだけ、わがままを……お姉様が、名付け親になっていただけませんか?」


「……いいでしょう。いくつか、候補を考えます。ですが、おまえが選びなさい……さあ、いいからもう休むのです」


結局どの候補も素敵で選べないと迷い続けるアレッタを見かねて、子どもはティオリエによって「クロード」と名付けられた。




成人前という未成熟な身で出産した娘は、それから極端に虚弱な体になった。それでも我が子可愛さに気力で踏みとどまること幾度か。6年の時を息子と過ごしたのだ。


侯爵は、クロードが授けの儀を受けるまではこの家で保護することを約束していた。優しい子だから、きっと戦ったり危険な目に遭ったりするような技能は授からないだろうと。

一人でも生きていけるような、技術で食べていけるような技能に恵まれることを祈った。


アレッタは言葉を覚えた息子と、とにかくたくさん会話をした。考えることを覚えさせた。

いつかこの家を出なくてはならないと。自分の力で生きていけるようになりなさいと。

自分が長くないことを察して、可能な限りの知識と知恵を授けたのだ。



- - - - -


クロード、とティオリエが名付けた子。アレッタの息子が、今旅立った。

当初考えていた形の旅立ちではなかったが、我が子たちが随分とクロードに肩入れしているのは知っていた。社交界では気に入りの使用人ということになっているので、問題はないだろう。


まだまだ詰めの甘い子たちだ。自分たちが表立って支援できない分、綻びくらいは繕ってやらなければ。







〈あとがき〉

この、地獄のような……なにこれ……。

ええと、つまり、クロードくんは望まれて生まれて愛されて育ったのですよっていう……。

侯爵とクロードは親子ではなく異母兄弟でしたっていう誰も幸せになれない事実は、今後も誰にも明かされることはないのです。

これは今後も主要人物は誰も知らない話で、本編の雰囲気ぶっ壊しちゃうので別の場所の方がいいと判断しました。

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