第5話 冷たい世界
私を見る冷たい目、無表情の母を見るといつも思うことがある…
——私は、何か悪いことをしたのだろうか?
少し離れた場所には、車の中で待っている父の姿。
エンジンをかけたまま、ただ前を見据えている。
さっきまで思い出していた祖母の家の静けさとぬくもり。
あの優しい時間は、私の中に小さな灯りをともしていたのに、車のドアが閉まった音で、そのぬくもりは一瞬にして吹き飛ばされた。
「向こうでは迷惑かけてなかったのか?」
父のその言葉に、優しさも期待もなかった。
そこにあるのは“責め”だけ。
正解なんて、最初から用意されていない。
私はただ、黙ってうなずいた。
車が走り出し、エンジンの唸りとともに父がふいに言った。
「算数の問題を出してやる。これは簡単だぞ。お前でも解けるか試してやる」
心臓が激しく動く。
祖母の家から帰る道がこんなにも早く地獄に変わるなんて。
数秒後、私は答えを間違えた。
その瞬間、父の怒鳴り声とともに、後部座席へと手が伸びてきて頬を打たれた。
「だからバカなんだよ、お前は!」
バックミラー越しに私を睨む父。
助手席の母はそれを見て鼻で笑いながら言った。
「ほんと、なんでこんなに物覚え悪いの?
ばあちゃんに甘やかされたから余計バカになったんじゃない?」
その声には、皮肉と嘲笑しかなかった。
優しさも、心配も、かけらひとつなかった。
私はただ頬を押さえて小さく泣いた。
声を出すこともできなかった。
窓の外の景色は、祖母の家を離れてからどんどん色を失って、今ではもうただの冷たい影のようだった。
縁側に座って一緒に食べた冷えたスイカ。
静かに流れていたラジオの昭和歌謡。
穏やかな祖母の声。
全部、全部が遠く離れていく。
車内は灰色に淀んで、息苦しさだけが漂っていた。
「もうすぐ小学生になるのに、こんなんで大丈夫かしらねぇ」
母の吐き捨てるような言葉が心を突き刺した。
私は体を小さく丸めて、カバンの中のノートの存在を思い出した。
祖母がくれた、言葉で自分を守るためのノート。
でも、今の私は、そのノートを開くことすらできないほどに小さく、弱かった。
——ああ、また戻ってきてしまった。
誰も守ってくれない日々。
息をひそめて、音を立てないように生きるしかない、あの家に。
「ばあちゃんに会いたい」
「時間が戻ればいいのに」
そんな叶わないことばかりを心の中で繰り返していた。
この家は、妹だけでよかったのに。
なんで私なんか、産まれてきてしまったんだろう。
——もうすぐ、小学生か。
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