第6話 終わりの始まり

小学校の入学式を、明日に控えた夜。


私は眠れなかった。

不安と緊張が喉の奥に絡みついて、息苦しくて、気づけば吐き気が込み上げてきた。


また、あの子たちがいるかもしれない。


保育園で私を無視したり、いじめたりしていた子たち。

名前を呼ばれるたびに笑われた。

手をつなぐ相手がいないとき、わざと目を逸らされた。

だから、私は保育園に行けなくなった。


明日からは小学生。

でも、制服を着たって、ランドセルを背負ったって、あの子たちの目の前に立つ自分を想像すると、どうしても心が冷たくなった。


夜中、静かな部屋で私はこみ上げるものを抑えきれず、近くにあった袋に吐いた。

涙と一緒に、それまでに飲み込んできた言葉まで全部出そうな気がした。


朝。


目を覚ました瞬間、母の怒鳴り声が部屋に響いた。


「は!?なんでこんなとこに吐いてんの!?」


その袋の中には、今日着る予定だった制服が入っていた。

袋の外側は濡れていたけれど、制服自体はきちんと別のビニールに包まれていて無事だった。


でも、母はそんなことお構いなしだった。

私の体調よりも、制服が入っていた“袋”に怒っていた。


私は何も言えず、ただ黙って怒鳴られるまま、重たい足取りで着替えを済ませた。

吐き気も、涙も、もう枯れていた。


入学式。

新しい環境とピカピカのランドセル。

なのに、心の中は曇ったままだった。


式場の体育館には、保育園で私をいじめていた子たちがいた。

何も変わっていない顔。何も変わっていない空気。

こっちを見て、何かをひそひそと話して笑っている。


私はもう帰りたかった。


なのに、母は外では優しい母親の仮面をかぶって、笑顔で私の背中を押した。


「ほら、ちゃんと前向いて。写真撮るよ〜」


父もまた、よく通る声で担任の先生に挨拶をして、「よろしくお願いします」と深々と頭を下げた。


「うちの子、人見知りなんで。迷惑かけたらすみませんね」


そう言って笑う顔は、家で怒鳴りつけたり殴ったりするときのそれとはまるで違っていた。

父の言葉に先生が「そんなことないですよ〜」と微笑んだとき、私は一歩後ろで立ちすくんでいた。


外では「いい母親」と「いい父親」を演じる二人。


なんで、私のお母さんとお父さんは、こんな人たちなんだろう。


私は心の中で、何度もそう呟いた。

ほんとうは叫びたかった。


大っ嫌いだ。

お母さんも、お父さんも、大っ嫌いだ。


ランドセルが肩に重く食い込む。

まるでこの先の毎日がその重さの様に…


私はただ、淡々と今日という“はじまり”の一日をやり過ごそうとしていた。

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