壊れたアタマの発条まわせ

藤田桜

徒労


 糸車のような音がする。からからから。

 机には親指大の人形が二つ。これらはささやかな魔法がかけられていて、背中に嵌めた結晶が擦り切れるまでは両腕を振り回しつつ前進するのだ。彼らは顔を突き合わすようにしてぶつかっていた。互いの進行を妨げるように拳を振るい、抱き合いながらよろめいている。ブリキ缶の胸が押し合いへし合いする様は、カンガルーの喧嘩によく似ていた。ところどころ擦れて塗装が剥げている。

 徒労だ。魔法というかぎりある奇跡の力を消費しながら、一切進むことができない。左手首を枕にするようにして机に突っ伏せば、人形たちを見上げる形になった。必死に殴り合っている。横へ後ろへよろめきながら、相手を押し倒そうとしゃにむに手を突き出しているのだ。

 やがて彼らに装填された結晶の寿命が来て、緩やかに動きを停止する。まるで風見鶏のように素早く回っていた腕が、粉挽き風車のように鈍くなり、花が萎れるようにだらりと垂れ下がる。それを俺はずっと眺めていた。身を起こしたり、椅子に凭れかかったり、また突っ伏したり。影が伸びていく。赤く染まった窓辺では、人形たちの表情を確かめようにもおぼつかない。ふいに人形の片割れが死んだみたいに倒れて転がる。悲しくなるな、と思った。

 左手で机を掴みながら椅子をぎったんばったんと揺らす。まるで揺り籠だ。どこへも行けない赤子をあやすための籠。前はこんなもので暇を潰す必要もなかった。右腕があるときは大手を振って往来を歩けたのだ。俺は宮殿で引っ張りだこだった。王の信厚い魔術師だったのだ。休む間もないほどの仕事があった。

 まあ、お前を蘇らせるために右腕を捧げてからはネズミのように隠れて生きていかなければならなくなったのだけれど。

 俺とお前は恋人だった。ある日俺はお前に暴力を振るった。横っ面を殴り飛ばした。当たりどころが悪くてお前は死んだ。だから禁術を使って蘇らせた。流し台に背を凭せかけるようにして白目を剥いているお前の姿を覚えている。まるで骨が抜き取られたみたいにくたりと傾くお前の首。俺はお前の頬に触れた。まだ生温かい。それが呆然としているうちに冷めていく。最初はなんてことのない言い争いだった。お前は宮仕えに忙殺されてなかなか帰ってこなくなった俺を引き留めようとしたのだ。あの日の俺はいらいらしていた。朝までに式典用の魔術を整備しておかなければならなかったから。いつものように突然降って湧いた仕事だった。俺はお前を振り払った。怒ったお前は俺を詰って問い詰めた。当然だが、何を言ってもお前は納得しない。俺は答えるのが面倒になった。

 ──なあ、答えろよ。

 震えるお前の声に、じゃあ今度こそ一撃で答えてやるよと横っ面を殴り飛ばした。人差し指の第一関節がお前の涙で濡れる。お前の左目が損傷したのはこれのせいだ。蘇生の魔法を使っても視界の端に黒いもやが残ることになった。よろめいたお前が後ずさる。椅子の足に躓いて転ぶと、後頭部が流し台の角にぶつかった。それでお前は死んだのだ。呑気なことに、直接の死因になったのが俺でなくて部屋の備品というのが気に入らなかった。お前の命が完全に失われたことを確かめた俺は、そっとお前を抱き上げると、寝室まで運んでベッドに寝かせてやった。俺は仕事をすっぽかして塔の禁書庫へ行き、蘇生の魔術が記された本だけ盗んで帰った。部屋の中をひっくり返して儀式に必要なものを用意すると、俺は金ぴかの剣で己の右腕を切り落としてお前を蘇らせる。学生時代、お前と呪文の共同研究で賞を取ったときにもらったやつだ。こういう場合は、思い出の品を使うのがふさわしいだろう。果たしてお前は蘇った。お前は俺の襟首を掴んで詰った。

 ──なんで殺したんだ。なんで俺なんかのためにお前の右腕を捨てた。馬鹿野郎、どうして、

 言いたいことはたくさんあるようだった。きっと俺はそのすべてに答えることもできただろう。でも声が出なかった。「ごめんよ」「愛しているから」「正気じゃなかったんだ」どれも言葉にならなかった。お前は俺の答えがひとりよがりなことに怒りはしなかった。代わりに、餌を求める金魚のように口をぱくぱくさせる俺の姿に怒りを募らせる。困った。怒っているはずのお前が泣きそうな顔をしていたから。

 ──ふざけてるのか、

 お前が続きを口にする前にその喉元に齧りついた。抵抗するお前に圧し掛かって喉仏からうなじにまで噛み痕を広げていく。愛している、愛しているんだ。痛みを与える度にお前が呻く。こんなもの愛とは呼べないだろうし、あまりに陳腐な感情だけれど、俺はお前に執着している。俺はお前のものだしお前は俺のものだ。なあ、そうだろう? 縋りつくようにお前に傷を刻み続けた。

 太陽が天の中心に昇って、時計の針が十二時を指すころにはお前も俺も疲れ果てていた。森の獣のように塊になって横たわる。

 ──お前、仕事はどうするんだよ。

 ふいにお前が問い掛けた。答えようとして、また言葉がでなかった。何度試しても喉が動かない。右腕以外にも払う代償があったのかと苦笑した。俺は抽斗から諸々の書類を取り出すと、手当たり次第に燃やしてみせる。発火の魔術だ。青い光が灯っては消えていく。何だか爽快だった。声もなく大笑いしながらお前に近寄ると左腕で抱きしめる。肩を組んでいるみたいな格好だ。

 それから俺たちの生活は変わった。王宮魔術師から指名手配の禁術師に落ちぶれた俺を匿うようにして、お前は住まいを転々とせざるを得なくなった。とはいえ悪いことばかりでもない。仕事を辞めたぶん、お前のための時間を取れるようになったのだ。お前が前より楽しそうな顔をしているから、きっといい変化なのだと思う。あまり上手に抱いてやれなくなったのは残念だが。

 お前が用事で外に出る度に、俺はひとり留守番をすることになった。暇なのは別に構わなかったが、俺の知らない知り合いの話をするお前がどうしようもなく嫌だった。俺にはお前しかいないのに、お前はいつでも外の世界へ出ていける。お前が俺のものでなくなっていくようで、気が気でなかった。

 机の世界で二人きり寄り添って眠る人形を眺める。どこへも行けないこいつらが羨ましかった。日が傾いて暗くなる。

 鍵の音。ドアノブの音。軋む蝶番。お前が帰ってきたのだ。俺は椅子から立ち上がってお前を迎えに行く。外套を壁にかけながら笑うお前を抱きしめると、甘く瑞々しい匂いがした。問うと、懐から花束を取り出しながら知り合いからもらったのだと返された。きれいな細工の紙で包まれた花束だった。別に俺のために買ってきたわけでもないらしい。もう限界が近いのかもしれないと思った。お前が俺を捨てるまでのタイムリミット。俺はお前を突き飛ばす。左腕で懸命に部屋の奥へと引きずっていく。馬乗りになって何度も殴りつける。利き腕でやるよりずっと力を入れにくい。行くな、行くなよ。戻らないままの声で必死に叫びながら殴り続けた。

 ああ、こんな力じゃお前を引き留められない。

 お前は俺を押しのけた。それでも飛び掛かろうとする俺を蹴りつける。お互い必死だった。あばら骨が折れて痛んだ。目的を見失ったお前が動かない俺を踏み続ける。お前が何かを叫んでいる。でも俺には聞こえない。お前は夢中になって俺を蹂躙する。今はお前が俺だけを見ていることが嬉しかった。

 やがて、意識を取り戻した俺が目にしたのは右脚を失ったお前の姿だった。蘇生の奇跡を使ったのだろう。泣き腫らした顔が真っ赤だ。

 ──なんだ、お前だってそうじゃないか。俺と同じ轍を踏むなんて。

 ところどころひしゃげた体でお前に歩み寄る。まるで魔法仕掛けの人形のようによろめきながら俺はお前に抱き着いた。応えるようにお前の腕が俺の背中に回される。痛いくらいに強く抱き締められた。愛してる。愛している。流れ込んでくる不格好な感情が、どうしようもなく愛おしかった。

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壊れたアタマの発条まわせ 藤田桜 @24ta-sakura

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