見守り猫
(もうすぐかな)
壁時計を見上げて、膝の上の子猫を撫でる。
鼻の横に片ブチの付いた、白猫が気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
さくらは今日、結城に告白の返事をしに行った。
きっと、満面の笑みで帰ってくるだろう。
そのために、お菓子も用意した。
カップケーキをトレーに乗せて、オーブンを覗く。
クッキーが焼き上がっていた。
(お姉ちゃんの好きなクッキーも焼いたし)
抹茶のクッキーをお皿に盛り付けて、マグカップを取り出した。
さくらが帰ってきたら、結城の話をして、それからー。
お湯を沸かしていると、ガチャリと玄関が開いた。
「ただいま」
声と共にさくらがリビングに顔を出す。
「おかえりニャー」
子猫を抱き上げて言うと、さくらが目を丸くした。
「その子は?」
「紗也のとこで貰ってきたの。子猫、沢山産まれたんだって」
「へー!可愛いわね。その子、名前は?」
「ルナだよ!女の子なんだ」
「可愛い!ルナちゃんね。…なんか、甘い匂いがする」
「クッキー焼いたの。カップケーキもあるよ」
「えー!どうしたの結梨!?珍しいわね」
「それはー……ねぇ?大好きなお姉ちゃんが、新しい恋に踏み出した日ですから」
火を止めておどけて見せると、さくらが顔を赤くしながら笑った。
「…………もぉ〜!まぁでも、結梨のおかげで素直になれたのは本当だから」
紅茶を入れたマグカップとお菓子を乗せたトレーを持って、さくらの部屋に向かう。
先に上がっていたさくらが、クッションとコースターを履いてくれた。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「私もお菓子ありがとう。嬉しい。暖房も、付けてるから温まってくると思うよ」
さくらの隣に腰を下ろし、マグカップに口をつける。
さくらは、抹茶のクッキーを嬉しそうに食べた。
「…付き合ったよ、結城と」
「本当!?よかった!よかった!」
カップを置いてさくらの手を握りしめる。
彼女は嬉しそうに笑った。
「ありがとう、結梨」
「本当に、本当に、よかった。私すごく嬉しい!」
たまらなくなってさくらに抱きつくと、頭を撫でてくれた。
「お姉ちゃん、よかったね。勇気、出せてよかったね。お姉ちゃんが笑ってくれてると私も嬉しい」
「ありがとう、結梨。“勇気”を出すって怖いことだけど、それができたからこそ、今があると思うんだよね」
さくらの言葉に顔を上げた。
そこには、いつかの失恋に悩んでいたさくらはいない。
(結城さんのおかげだなぁ)
彼がいなかったら、さくらのこんな顔は見られなかっただろう。
「結城さんの、おかげで“勇気”を出せたんだね。お姉ちゃん、幸せになってね」
「ありがとう、結梨。……ところで」
クッキーを食べたさくらが、意地悪く笑う。
「私に何か、言うことあるでしょ?」
結梨はドキリとして、視線を逸らした。
(……バレてる)
春輝にフラれたことは話しているが、小説を書いていることは、さくらに話していなかった。
(メモに書いてたのを、小説投稿サイトで書くようになったなんて、言えないよね)
疑うように見てくるさくらの前に、スマホを突き出した。
両親には話せないけれど、さくらには話しておきたかった。
「これって…?小説?結梨が書いたの?」
「そうだよ」
「いつから?沢山書いてるみたいだけど」
「……3週間前くらいから」
「え!?割と最近じゃない!」
画面をスクロールしていたさくらが、驚いたように顔を上げた。
それもそうだろう。
3週間ほど前に始めたと言いながら、4作も小説を書いているのだから。
「読んだもいい?」
「もちろん」
さくらが小説を1つ、タップした。
「あ、それ」
彼女が読み始めた『暗い雨を遮る傘』は結梨がサイトを始めて、すぐに書いたものだ。
少し恥ずかしくなり、さくらから視線を逸らす。
クッキーをたべながら待っていると、さくらがマグカップを取り上げた。
とても真剣に読んでいて、彼女は何も言わない。
(………面白い、かな…?)
不安に思いながら、クッキーをもう1つ食べる。
チラリとさくらを見ると、画面に視線を向けたまま動かなかった。
落ち着かなくて、さくらの部屋を出る。
自分の部屋から紙とペンを持ってきて、さくらの隣に座る。
(うーん……この続き、どうしようかな)
風に吹かれた桜の花びらが、彼を柔らかく包み込む。
まるで、安心させるかのように。
杏奈は舞い踊る花びらに手をのばした。
1つを握りしめて、暁人に笑いかけた。
「暁人と出会えて、本当によかったよ。ありがとう」
(……んー、何か違う?…杏奈と暁人の別れのシーンだから、いいのかな?………引っ越しちゃう暁人に伝えたい気持ち……杏奈の思い)
さくらが結城に思いを伝えたように、素直な気持ちを伝えるのがいいかもしれない。
素直な気持ちを伝えるならー。
(…うん。これが、いいよね)
杏奈が思っていることを真っ直ぐに。
暁人に、1番伝えたいことを。
「暁人、大好きだったよ。今まで本当にありがとう!…向こうでも頑張ってね」
そこまで書いた時、視界に影が落ちた。
「へー…今までもそんな風に書いてたの?」
隣から覗き込んでいたさくらが、興味深そうに言う。
「うん、そうだよ。……私の小説、どうだった?面白かった?」
「とっても!特にここ!ユリの成長が現れててすごくいい!」
さくらが目をキラキラさせながら、結梨の作品を褒めてくれる。
(お姉ちゃんに読んでもらえて、よかったな)
文学作品が好きなさくらなら、いい反応をくれると思っていたが、予想以上だった。
ここまで素直に感想を伝えてくれるのも結城のおかげだろうか。
感激していると、そこにイトが入ってきた。
「ニャーン」
さくらの足元に擦りよるのを見て、分かったような気がした。
さくらが勇気を出せたのも、結梨が小説を始めたのもイトのおかげかもしれないと。
(それってー)
まるで、見守り猫みたいに。
さくらに頭を撫でられているイトを見て、頬を緩めた。
ーこれからも、よろしくね。
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