近づく距離

「無事に引っ越しできて、よかったね」

「そうねぇ、ご飯食べに行くから、結梨を呼んできてくれる?」

「わかった」

手に持っていたコップを置いて、キッチンを出ていく。

「結梨ー、起きてる?」

階段を上り、手前の部屋に声をかける。

中から物音はしない。

「開けるよ?」

ガチャリとドアを上げると、結梨が驚いたように立ち上がった。

「お姉ちゃん!どうしたの?」

「お母さんが、ご飯食べに行こうって」

「わかった、すぐ降りるね」

部屋を出る直前、結梨が放り出したスマホの画面が一瞬見えた。

(通信制の高校?◯……qb、2?)

この辺りの通信制の高校だ。

確か、さくらの友達にもその学校に通っていた人がいたはずだ。

(結梨、もしかしてー)

学校に行こうと思っているのだろうか。

「結梨ー」

「お待たせ!お姉ちゃん」

それを聞く前に、結梨が上着を羽織って飛び出して来た。

彼女に押されて、階段を降りて行く。

(……まあ、後からわかるよね)

玄関の外に出ると、まだ少し暑い夜風が頬を撫でていった。


引っ越してから2週間後。

結梨は◯qb2高校に通い始めて、前よりも表情が明るくなった。

「結梨、学校はどう?」

「楽しいよ!あのね、猫友の春輝くんと今度遊びに行くんだ」

「いいじゃん!楽しそう。結城は、忙しいかなぁ」

「お姉ちゃん、結城さんと遊びたいの?」

「………遊びたい…わけじゃ、ない……けど最近、結城が休んでるから心配なだけよ」

そう、本当にそれだけだ。

(単位が足りなくなったら、どうするのかしら?)

今週は、大事な講義があるが、結城は一昨日から学校に来ていない。

昨日の4限は見かけたが、今日は来ていなかった。

(体調が悪いのかしら)

イトを抱き上げてニコニコしている結梨を見て、階段を駆け上がる。

ベッドに置いていたスマホを取り上げて、結城に電話をかけた。

(お願い、出て……!)

祈るような思いでスマホを握りしめていると、ワンコールで結城が出てくれた。

「さくら?」

ホッとして胸を撫で下ろす。

机からレポート用紙とパソコン、教科書を取り出した。

「そうだよ。結城、体調悪いの?」

「ん、あー……ちょっと頭痛と熱が出るくらいだよ。昨日は大丈夫だったし」

「本当に?明日は大事な講義だけど、いける?オンラインもあったはずだけど」

そう言いながら、パソコンを立ち上げる。

課題提出をしている間も、電話の向こうは沈黙したままだった。

(……やっぱり、しんどいのかな)

課題を提出して、パソコンを閉じた。

机からルーズリーフを取り出す。

この間の課題の範囲をまとめようとペンを走らせた時、電話の向こうで物音がした。

「……オンラインで、受けよう……かな。…連絡、ありがと……さ、く…」

途切れ途切れに聞こえる声と、バタンと何かぎ倒れるような音がした。

「結城?結城!?どうしたの?」

呼びかけても、反応がない。

もしかしなくとも、倒れたのだろうか。

(電話の声も、しんどそうだったし…)

ガタッと立ち上がり、上着と財布を掴む。

急いで階段を駆け降りて、リビングに入る。

(何か…消化にいいもの!)

「お姉ちゃん?どうしたの?」

キッチンで水とゼリーを探していると、結梨が顔を覗かせた。

「ウニャ?」

イトが不思議そうに首を傾げている。

「結城のとこ、行ってくる」

「今から?結城さん、どうしたの?」

「多分、倒れてるから」

水とゼリーを袋に放り込み、玄関に走る。

後ろから、結梨が心配そうに追いかけて来た。

玄関ドアに手をかけたとき、「ウニャ」とイトが鳴いた。

トコトコ、やって来てさくらの手に擦り寄ってくる。

その頭を撫でながら、さくらは頑張れと応援された気がして、結梨にイトを渡して玄関を出た。

「行ってくる」

「気をつけてね」

結梨に頷いて、結城の家に向かって駆け出した。

ーお願い、間に合って!


「結城!!」

ドアフォンを押すと、結城が出て来た。

その顔は赤く、熱があるのか辛そうにしていた。

「さくら?……どうして、ここに」

「説明は後、上がってもいい?」

「おう」

「お邪魔します」

結城がフラフラしながら、部屋に通してくれる。

足元がおぼつかないところを見ると、あまり状態は良くないのだろう。

結城をベッドに連れて行き、袋から水とゼリーを取り出す。

「熱は?」

「測ってないけど、体がダルイ」

「……ちょっと、失礼。……あつっ!熱あるじゃない!なんか食べた?」

「食べてない……一昨日から何も」

「はぁ?ダメじゃない、そんなの!ゼリー食べられる?」

結城のおでこに冷えピタを貼りながら、言う。

「うん」

「わかった、はい、これ」

ゼリーとスプーンを取り出して、蓋を開けてから結城に渡す。

「ありがとう」

結城が食べている間に、彼に断ってキッチンに向かう。

冷蔵庫を開けると、何かを食べた形跡はなかった。

(…おかゆがいいかな。卵と梅、どっちが食べやすいだろ?…あ、卵みっけ)

冷蔵庫から卵を取り出して、炊飯器を開ける。

ご飯もまだ残っているのでこれでおかゆが作れる。

「さて、と」

鍋に水を入れて、炊飯器からご飯を取り出した。

(ちゃんと、食べてくれるかな)

鍋を火にかけながら、ため息をついた。

寝室からは物音ひとつしない。

そっと、中を覗くと結城は寝ているようだった。

ゼリーの空き容器を捨てて、シンクに溜まった食器を洗う。

(……不思議)


「ん……」

ハッと起きると、肩から何が滑り落ちた。

「……?毛布…?」

キョロキョロと周りを見ると、結城が隣にいた。

さくらの作ったおかゆを食べている。

「…えっ!今何時?」

「6時半」

「嘘!?私、寝てたの?」

「おう。あ、おかゆ作ってくれたんだろ?洗い物も」

「え?うん」

「ありがとな」

毛布を拾って振り向くと、結城が嬉しそうに笑う。

その顔は、熱が下がってきたのかスッキリとしていた。

「……どういたしまして。体は?しんどくない?」

「ん、大分よくなったよ、ありがとう」

「よかったわ、私はそろそろ帰るね」

立ち上がり、床に置いていた上着と財布を取り上げる。

結城が玄関まで見送ってくれた。

「寝てていいのに」

「いーや、見送りはするよ」

手を振って、結城の家を出る。

歩き出しながら、胸の奥に響く、鼓動を聴いていた。

「…よかった」

ホッと呟いて、空を見上げた。


「さくら」

「結城」

翌日、3限の授業に結城が来ていた。

体調はよくなったらしく、いつも通り元気な顔をしている。

「熱、下がったのね」

「さくらのおかげだな」

さくらの隣に座り、結城がニッと笑う。

その笑顔にドキッとして、顔を背けた。

(何だか、距離が近くなったような)

祭りの後から、結城と一緒にいる時間が増えた。

彼と過ごす時間は心地よくて、楽しい。

もっと、隣にいたいと思ってしまう。

(……いつか、自信が持てたら、その時はー)

ーいつか、必ず。

今はまだ咲きかけの花を見守ることにする。

この花の名前はー。

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