元カレの記憶と祭り

「水無月、休憩いいぞ」

「はい」

午前9時半、今はバイトの休憩時間だ。

後1時間で祭りに行くことができる。

(後、1時間くらいで、結城に会えるんだ!)

さくらは自分でも驚くほどに、ウキウキしていた。

今年は祭りを楽しめるといいけれど。

ふと、嫌な記憶が脳裏をよぎり首を振る。

(結城は、きっと大丈夫)

そうだ、結城は“誰かさん”とは違うのだから。

お茶を飲んでいると、休憩室のドアが開いて、店長が入ってきた。

「水無月、この後バイト、入れるか?」

店長は困ったように言う。

(後1時間で終わりのはずだけど…)

もしかすると、お客さんが増えてきて手が回らないのかもしれない。

「他に、入れる人はいないんですか?」

「午後からのシフトの山田くんはいるんだけどねー、山端さんは体調不良で今日は休みなんだ」

「それならー」

代わります、と言いかけて、さくらは口をつぐむ。

(あの時もー)

去年の夏、夏祭りの日、さくらは今日と同じようにバイトだった。

そして、その日はバイト時間を延長したのだ。

当時の彼氏にその事を伝えると、軽い返事しか返ってこなかった。

落胆しながら、バイトをしている間に、夏祭りは終わりかけていた。

『お疲れ様でした!』

さくらはバイト先を飛び出すと、急いで祭り会場に向かった。

『バイト、終わったよ』

彼氏にメッセージを送ったけれど、既読にはならなかった。

夢中で走っているうちに花火が上がり、気づけば会場に着いていた。

待ち合わせ場所に向かうと、彼がいた。

『あー!』

瞬間、さくらは駆け出した。

彼は1人ではなかったのだ。

ー浮気してなんて、聞いてない。

その後、すぐに彼と別れた。

それはもう、笑ってしまうほどに、あっけなく終わった。

(それにあの時、お前のせいで浮気したとか言われたんだよね)

だから、今日バイトを延長することに頷くことができない。

迷っていると、ふっと影が落ちた。

「俺、いけますよ」

「おお!東雲くん!ありがとう」

「…東雲先輩……」

顔を挙げると、東雲槇が笑った。

「大事な用なんだろ?そっちが優先だ。それと、休憩終わりだ」

「はい!ありがとうございます!!」

槇に頭を下げて、さくらは休憩室を飛び出した。


「お疲れ様でした!」

バイトが終わるなり、さくらは家に駆け出した。

夢中で走り、玄関を上がると、リビングに荷物を放り出す。

「お姉ちゃん、おかえり。浴衣とカバン、出してるよ」

「ありがとう、結梨。シャワー浴びてくるね」

足元に擦り寄ってきたイトを撫でながら、洗面所に向かう。

『バイト、終わったよ』

待っていてくれている結城にメッセージを送り、スマホをしまった。


「ありがとう、結梨。駅まで来てくれて」

「ううん。お姉ちゃんがナンパされたら困るからね」

揶揄うように笑い、結梨が扇子を渡してくれる。

そこに隣町行きのバスがやって来たので、急いで乗り込んだ。

バス停から見送ってくれている結梨に手を振り、スマホを握りしめた。

『今、バス乗ったよ』

『おう』

15分程バスに揺られながら、さくらの心音は次第に大きくなっていった。

(結城と出かけるなんて、初めてじゃないのに)

きっと、彼のことを意識している証拠だろう。

(別に、好きじゃないし)

扇子でパタパタと顔を仰ぎながら、窓の外を見ると、バスが止まっていることに気がついた。

祭りのせいで渋滞が起きているらしい。

(このままじゃ、結城を待たせちゃう…)

また、去年のトラウマが脳裏をよぎり、ギュッと拳を握りしめた。

窓の外を見ると、近くにバス停が見える。

あそこで降りれば祭り会場に近づけるはずだ。

さくらはバスを降りて、窓から見えたバス停に向かう。

(……どっちだろう)

キョロキョロと辺りを見ていて、バス停から少し行ったところに灯りがあるのを見つけた。

「あっちかな」

そうして歩き出した途端、腕を掴まれた。

「どこ行くんだよ」

「え、結城」

振り返ると結城が肩で息をしながら、さくらを見ていた。

渋滞していることに気づいて、迎えに来てくれたのだろうか。

「行くぞ」

いつもより、少しぶっきらぼうに言いながら、結城がさくらの手を引く。

スルリ、と彼の手がさくらの指に絡まってギュッと握りしめられる。

(……っ!)

急にうるさくなった心臓に気づかないフリをして、灯りの方を見た。

結城と手を繋いだまま、ゆっくりと歩いていくと、段々と周りが明るくなり祭り会場に着いた。

「わぁで!大きいね」

「だろ?どこから行く?」

「結城の見たいところでいいよ。待たせちゃったし」

屋台の間を歩きながら言うと、結城は困ったように眉を下げた。

その顔がいつもより愛おしく見えて、鼓動が早くなる。

(もう、誤魔化しようがないのかもしれない)

ー私、この人のこと……。

その続きは、今はまだ言わないことにした。

「お前の行きたいところがいい!」

屈託なく笑う彼を見ていたら、トラウマなんて吹き飛んでしまったのだから。

「じゃあ、いちご飴!」

結城と繋いだ手に力を込めて、フルーツ飴の屋台に向かう。

(結城となら、楽しいんだ)

それからは、本当に楽しかった。

去年は回れなかった屋台を回り、好きなものを食べて、半分こしたり。

射的でぬいぐるみを取ってもらったり、金魚掬いをしたり。

バイトでの疲れが無くなるほどだった。

(こんなに楽しいの、久しぶりかも)

さくらはたこ焼きを食べながら、隣に座る結城を見た。

彼は、夜空を見上げてボンヤリとしている。

もうすぐ花火が始まるからと、場所取りまでしてくれたのだ。

「結城」

たこ焼きを持ち上げて、振り向いた結城の口に差し出した。

「はい、あーん」

「は…はぁぁ!?」

結城が見る間に赤くなっていく。

目を泳がせて、さくらを見ようともしない。

それがたまらなく可愛くて、たこ焼きを更に近づける。

「食べないの?せっかく、あーんしてあげようと思ったのに」

「…うぐぐ……んー…」

結城が迷うようにチラッと見た。

そして、パクンとひと口でたこ焼きを食べた。

「美味しい?」

モグモグしている結城にといかけると、頷いた。

さくらがたこ焼きを食べたところで、夜空に花火の花が咲いた。

「綺麗…」

チラッと結城を見ると、その横顔が花火に照らされて輝いていた。

(……本当に、綺麗)

再び花火に目を向けた時、どこからか視線を感じた。

さくらは、そんなことが気にならないほどだった。

夜空に咲く綺麗な花火、隣には結城がいる。

ーこの時間が、ずっと続けばいいのに。

だけど、そんな願いも叶わず、花火は終わってしまう。

バス停に向かって歩く間、結城もさくらも何も話さなかった。

(どうしよう…ドキドキしちゃって、何も話せない)

さくらが焦っているうちに、バス停に着いてしまった。

「今日はありがとう、楽しかったよ」

「俺も楽しかった」

結城と見つめ合い、ふっと笑う。

照れくさくなって目を逸らした時、腕を引かれた。

「さくらじゃん!バイト三昧のさくら!」

その瞬間、血の気が引いた。

「……何で、あんたが…ここに?」

そこにいたのは、元カレの橋本伊吹だった。

「伊吹、あんた、どうしてここに?バイト三昧だったのは謝るけど、離しなさいよ」

伊吹の手を振り解き、ギュッと両手を握りしめた。

伊吹は連れないと言ったように眉を上げる。

「何だよ。あれ、結城じゃん。何、付き合ってたの?」

そう聞いてくる結城の隣には、あの時とは違う女の子がいた。

胸がザワザワとして、結城の腕に抱きついた時、彼に腕を引かれた。

「えっ…」

抵抗する暇もなく、結城に引きずられるようにして歩く。

「は?」

伊吹の不満そうな声を背中で聞きながら、気づけばさくらは、バスに乗っていた。

「いけよ、さくは」

結城がいつになく低い声で言う。

伊吹を見て、さくらが震えていたことに気づいたのだろう。

「ありがとう」

素直に甘えることにして、座席に座る。

窓の外から伊吹が何か言っていたけれど、バスの中にいるさくらには聞こえなかった。

「ふぅ…」

目を閉じて、髪を解くと、足音が近づいて来た。

「え…」

結城だ。彼はゆっくりと近づいて来て、さくらの顔に影を落とした。

「ーー!」

頬を抑えて結城を見上げると、彼は今みでに見たことがないほど、赤い顔をしていた。

「………それじゃ」

聞き取れないくらいの声でささやいて、結城がバスを降りていく。

彼の落とした熱を閉じ込めるようにして、バスが発車した。

ー結城の気持ちは、私には甘すぎる。

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