第3話 ノンレジ~non-resident(ノン・レジデント)
少佐は、その日記帳らしき帳面を手に取り頁を開く。
ペンが挟まれていたのは昨夜の日付の頁で、そこには見慣れない文字らしきものがびっしりと書き込まれていた。他のページをめくってみると、どこも同じように文字が書き綴られている。
……まるで宇宙人が書き残したような、ひどく記号的で対称性の強い文字。時々、九〇度回転している文字まである。普通の人が見たらこれが文字であることすら分からなかったかもしれない。しかし、その不可思議な文様のような文字の隣には、まるでルビを振ったかのように王国で使う共用語が並んで寄り添っていたのだ。
この見慣れない文字は、この国に伝わる独自の民族文字の中でもかなり古いもので、これが読める人は地元でも殆どいないらしい。
本文が古文字で書かれており、ルビが王国語(世界共用語)。地元の人間は、現在の奈陀国語しか読めない者が殆ど。……偶然ながら、見事にそれぞれの使用言語を外しており、誰も読めないものになっていたというわけだ。
「ほぉ……?」
もちろんエリアス少佐にも、その不可思議な古文字は読むことが出来ない。しかし、ルビのように振られていた王国文字の方は数行読んだだけで何が書かれているのか、すぐに察しがついていた。
そこには、
─────空は濃紺に染まっていた。無数の星が瞬き、その深さをどこまでも映し出している。その中に人工の光もいくつか混じり、人々が今や
そんな文章が綴られていた。
エリアスは確信する。
「これは──……有名な小説の一部分の書き写しだね、間違いない。以前見たことがある内容だよ」
少佐がそうロイド巡査に伝えると、
「ありゃ、そうなんですか? 俺はてっきり、何かの伝言分みたいなものかと思って──」
そう言ってバツが悪そうに頭を掻いていた。わざわざ呼びつけておいて内容がそれでは、彼も拍子抜けだろう。エリアスは、ページを捲りながら続けて答える。
「ああ、ざっと見た感じ……どれも単なる書き写しのようだね。たぶん、翻訳の真似事でもしてたのではないかな」
全てのページをしっかり見聞しなければ確実なことは言えないが、少なくともここ数日の記述はすべて、記憶にある小説の一部に間違いなさそうだった。
隣で聞いていたハリス警部が、頷きながら口を挟んだ。
「へぇ~……、じゃあ、少なくともそれ自体は犯罪性のある内容では無い……てことですかね……」
ハリスも、やや恐縮している。
「────なんか、すみませんね。無駄足させてしまって」
たしかに、これなら写真を撮って端末で送ってくれるだけで解決できたことだろう。だが、なるべく現場に足を運ぶ主義であった少佐は、少しも気にした様子も無く答える。
「いえいえ、直接見なければ分からない事もありますから。懸念が無いようで何よりですよ」
その言葉通り、少佐は部屋の雰囲気を見て内心では来て正解だと思っていた。いかにも労働者然とした部屋と痕跡なのに、この小説の内容……写真で文面を見ただけでは、この違和感は感じられなかっただろう。
このまま事件性が無ければ、この日記帳はただの「忘れ物」として地元警察署で保管されるはずだ。
そう思い、内容に興味を覚えた少佐は、回収されてしまう前に椅子の上着と共に頁の内容を手持ちの端末で手早く写真に収めていった。仮に、何かまずいものでも記されていたなら問題行為にもなろうが、内容はただの小説の書き写しだ。見ていたハリス警部も別段気にした素振りは見せなかった。
ざっと写し終え、少佐は日記帳を椅子の上に戻し今度はロイドの見ている宿帳を脇から覗き見る。
「……労働旅券の写しには、本籍地が書いて無いから……『ノンレジ』って事ですね。一ヶ月の予定でこの街に就労滞在、その間の宿としてこの部屋を借りた、そんな感じです」
彼の云う『ノンレジ』とは──自由労働者の中でも特に、土地に依存せず自宅さえ持たずに、各地を放浪しながら仕事を求めて渡り歩く先祖の移牧民的な生き方を踏襲する者たちのことだ。彼らは所持品もごく最小限、生活スタイルも質素なことを旨としており、なるほど……部屋に残された痕跡からもそれが伺えた。
宿帳の日付では、確かに部屋の借上げ期間はあと一週間ほど残っているようだ。
「──客の名前は『セリオ・モーガン』、えーっと出生年が……だから、二十一歳かな……これ、男の名前ですかね? なんとなく優男っぽいけど」
そう言って、
「ああ、ここいらじゃ聞かない雰囲気だな」
それを聞いたハリス警部も、そんな事を言う。
確かに、この地方の男性名は土地に根ざした力強い名前を好む傾向がある。一概に言えることでは無いだろうが、そう云えばどことなく女性らしい異国の柔らかい響きを感じる。
「ん……男?」
少佐は思わず呟く。
……椅子にかけられているのは女物の上着だ。それから察するに、部屋にいたのは女であるはず。服も持たずに部屋を飛び出したということは、食事中にトラブルに巻き込まれたのだろうか。
服は女物で、宿帳の記載名は男──。
日記帳の手書き文字と共に、少佐は何か引っかかるものを感じた。
「もしかして、外国人労働者っすかね?」
「いや、奈陀人だろう。ほれ見ろ、旅券の国籍欄も空欄になってる」
二人の刑事は、宿帳の記録を見ながら、そんな事を話している。
国外から来て『労働旅券』の発行を受けた労働者は、国籍欄にその出身国が記載されるはずだ。彼らの言う通り、空欄ということは自国民なのだろう。
残されていた日記帳といい名前といい、手に入る情報に繋がりらしい要素が全く無く、どれもばらばらであった。どこから見当をつけたらいいものか、判断に迷う状況だろう。
少佐は、手っ取り早く本人に連絡を取ればいいではないか、などと一旦は考えてしまったが、生憎この国では携帯電話の普及率はそれほど高くなく、ノンレジなら持っていないことがほとんどだった。恐らく刑事たちも事前に端末登録から名前を検索しており、その上で彼の名は出てこなかったのだろう。
少佐は思索にふけりながら、何気なく開いたままの窓に近寄り外を確認する。
窓の下は、一階にある炊事場の屋根になっており裏通りに面している。ここから外に出ようと思えば出られる作りだった。屋根もそれほど高くない上に裏は人目にも付きにくい……ひょっとしたら、客はここから逃げ出したのかもしれない、と少佐は思った。
そこへ、宿の周りで聞き込みをしていたのであろう、制服を着た地元警官が部屋に入ってきて無造作に告げた。
「──外の住人で、騒ぎを見かけた者はいませんでしたよ~。まぁ、見てたってわざわざ知らせはしないだろうけど、ハハハ……」
こちらの警官は見覚えのある顔ではなかったので、現場の応援に呼ばれた者だろう。彼は、慣れた様子で言葉を続ける。
「……宿に商売女を呼ぶなんて珍しくもないから、騒ぎがあった時にはお楽しみ中だったのかもしれないっすね。大方、女絡みのトラブルじゃねぇかなぁ」
その警官はさほど興味も無さそうに、誰ともなく言っていた。そして、刑事の二人もそれに頷く素振りをしていた。
「ふぅむ……。けが人も宿への被害も無い、ということだし……『騒ぎに関しては事件性無し』で、一旦報告しておくか。もし被害があったら、後からでも知らせに来るだろう」
だが少佐は逆に──その、投げやりな言葉で気づくものがあった。そして先ほど感じた違和感の正体にも。
……再び懐から端末を取り出し、先ほど撮影した日記帳の写真を呼び出して拡大し、もう一度文字を確認する。
専門家ではないので筆跡を鑑定するような真似はできない。が、古文字は力強くて男性的、それと比べて共用語文字の方は丸みを帯びた、どことなく女らしい文字に思えるのだ。
つまり、この日記帳の文字は二人分の筆跡という事になる。
仮に、夜の相手に女性を呼んだとして、日記帳にこんな事を書くであろうか? 別のページも確認してみたが──やはりどのページにも、同じ二人分と思しき筆跡が並んでいる。
明らかに、同じ人間によって継続して綴られた文字だ。
少なくとも、その日限りの
「ふむ……」
少佐は頷いていた。
色々想像できることは多かったが、自分はあくまで翻訳を頼まれただけだ。部外者である以上、捜査に関わることには軽々に口出しできないし、そもそも自分は国外の人間である。興味はあったが深追いは禁物であると、自らに言い聞かせていた。
そんな考え事をする少佐の脇で、
「──万が一、ヤクの取引情報とかだったら洒落にならんからな。文面の無害性が分かっただけでも朗報だ。一応、テーブルの上の皿とペンは指紋検査と薬物反応検査に回しておこう。あとの物品は、遺失物係に送っておけ」
「了解っす!」
……警官たちは先ほどとは違い、引き締まった顔でそんなやり取りをしていた。法的にグレーな喧嘩や街娼などには意外なほど
少佐はその後、当たり障りのない程度に警官たちの見聞を手伝ってから、現場の部屋を出ることにする。
だが、書かれていた日記帳の内容がどうしても気になったエリアスは、個人的にひとつ言伝を残しておこうと思い、自分の名刺の裏にメッセージを書いた。そしてそれを、宿の主人へ手数料の一〇ドル札と一緒に渡し、ある伝言を頼んでから宿を後にしたのだった──。
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