第2話 簡易宿~サライ

 列車が駅に止まると、乗客たちは一斉に動き出す。この街はそれほど大きくはないが、田園地帯と市街地の境目にあり、近年発展が目覚ましい地域で客の乗り降りも非常に多い。

 人混みに交じり少佐も列車を降りようと立ち上がると、「がこん」という振動が足元に低く伝わり、ほんの少しだけよろける。後ろの労働者らしき男から、

「今日の連結係、下手くそだなぁ……」

 などと冷やかす声が聞こえた。


 ……この黄金鉄道は、今では珍しくなった貨客連結編成が主流である。

 国の大動脈たるこの鉄道は、常に最大効率で運行することを至上命題としており、機関車の牽引容量が間に合う限り、客車であっても後ろに貨車を引かされる。緻密なダイヤの中、こうして乗客が乗り降りしている最中でも、寸暇を惜しんで貨車が後ろに連結されているのである。


 ホームから出ると、エリアスは労働者たちが提示する旅券のように『外交官手帳』をさり気なく提示して改札をくぐる。この国の労働者たちのアイデンティティである『労働旅券』は、残念ながら外交武官であるエリアスには発行されない。赴任時に鉄道会社とは契約がしてあり基本的にエリアスも無料である。しかし、身も心もこの国の自由労働者と一つになりたいと思っていた彼は、わざわざ労働旅券に似せたデザインの革の手帳を作り、表紙に外交官の身分証カードを埋め込んでそれらしく見せているのだ。ちなみに手帳の色は黒で、これもこの国の公的機関の手帳の色に合わせてある。傍目には偽造の身分証にも見えるだろうが、中身は正式な物なので何の問題も無いはずだ。


 駅舎を出ると、すぐそこに見知った若い私服の警官が立っており、少佐の姿を見つけて軽快な敬礼をしていた。先程の電話の男の相棒で、名前はロイドと云う。


「おはようございます、少佐殿!」

 彼の警察式の礼に対して、同じように真似をして敬礼を返す少佐。普段の少佐は海軍式なので、少々ぎこちなかった。

「おはよう。出迎えまでしてもらって、済まないね」

 エリアス少佐がそう言うと、

「いえいえ、無理を言っているのはこちらですから、このくらいは──」


 言いながらも、彼は促すように歩き始める。雑踏を見やると、これから仕事場に行く労働者たちが、思い思いの方に向かって足早に歩いている。王国ではあまり見られなくなった、騒がしき活気とでも言うべき国力の息吹が感じられる光景だった。


 すぐ目の前のバスプールに、労働者向けの市内巡回バスが停まっているのを見つけるとロイド巡査は、

「あ、これで行きましょう。ちょうど行き先同じです」

 そう言うので、連れ立って発車間際のバスに小走りで駆け寄る。


「はいはーい、ちょっと待って、まだ乗りますよ!!」


 ロイドがバスの運転席に向かって声をかけ、手すりに捕まって後方の入口に飛び乗る。少佐もそれに続いて、ひしめき合っている乗客の隙間に身体を滑り込ませた。

 バスとは言うが、テーマパークで走っている園内シャトルバスのようなもので、屋根がついている他は窓も扉さえもついていない。座席も最低限で立ち乗りがほとんど。まるで収穫期に作物を詰む荷車の荷台にでも乗っているような趣だ。このバスも、労働旅券を提示すれば誰でも無料で乗ることができる。それもいちいちチェックも無く、飛び乗った際に運転席に向かって旅券を掲げて振って見せるだけで済ませる。確認しているかどうかさえ怪しいが、それがこの街でのやり方だ。警官であるロイドは旅券の代わりに警察手帳を振って見せていた。それに倣い、エリアスも自前の外交官手帳を呈示した。


「──もう、いいみたいだぞ。発車オーライだ」


 前方の入口の手すりに掴まって半ば身を乗り出していた一人の乗客が、運転席に向かってそう声をかけていた。ここではこうして、出入り口に一番近い客が、乗客の乗り降りを確認して運転手に声をかけ補助するのが習いなのである。なんともアバウトで牧歌的な運用だが、こういう雰囲気が好きだった少佐エリアスはこの乗合バスを好んで利用していた。


 ゆっくり走り出したバスに揺られながら、車内をぐるりと見回す。


 先程の列車にも増して、殆ど全てが作業服姿の労働者。農業者や鉄道作業員、工場作業者などが多いようだが、やはりというか、どこにでもいる行商の老婆がちらほら混ざっていた。それを見つけた若者が席を譲って座らせ、お礼に果物を貰ったのだろう、にこやかに談笑していた。

 ほんの数人だが、足元に小さな子どもの姿も交じって見える。このバスは労働者専用で、子どもは基本的に乗ってはいけないのだが、親が連れている場合に限り無料で乗せることができる。それを利用(?)して、乗りたい子どもは目に付いた人の良さそうな大人に頼んで手を繋いで親子のふりをして乗せてもらうのだ。どうせ、バスが動き出してしまえば確認すらしない。運転手もそんな事は承知の上なのだ。


 ちらり、とエリアスに視線を注ぐ地元労働者と目が合う。

 エリアスが軽く帽子のつばに手をやり挨拶の仕草をすると、その労働者の男はちょっと恥ずかしそうにしながらも同じように帽子に手をやった。

 ……この国は原住民族をルーツとする者が多く、有色人のほか黒人もそれなりに含まれる。諸外国では多数を占めるはずの白人系は寧ろ珍しいくらいだ。エリアス少佐のように背広を着た白人というのは、労働者の多いこの街では目を引く存在なのだろう。


 母国なら珍しくもない外国人差別が、この国では驚くほど少ない。彼の視線も差別意識などではなく単に白人が珍しかっただけなのだろう。


 世界最先端などとおだてられているが、この国の純朴さと平和な空気に比べれば祖国の民度など決して褒められたものではないと、エリアスは自嘲的な笑みを浮かべた。

 


 ………………………………



 ロイド巡査に連れられ、たどり着いたのは賑やかな表通りから一本奥まった通りにある簡易宿だった。


 この形態の宿泊施設は、地元の言葉で『サライ』と呼ばれ、自由労働者のための拠点となっている。小さめの部屋に寝台と机、共同利用のシャワー室と屋外炊事場などが備わっており、多くの労働者がこのような宿を利用して就業しているのである。

 以前帝国へ赴任中に見かけた「湯治場」のような趣の宿泊施設で、自由労働者が好んで使う安価で長期滞在が容易な施設だ。ホテルのように立派な作りではないが、寝るだけなら十分な設えで、これも労働旅券を提示すれば格安で泊まることができるのだ


 入り口をくぐる前に、一通り辺りを見回す。

 この手の宿の周りには必ずと言っていいほど、近くに酒場やカフェがあったりして賑わっているものだが、建物の向かいにあるのはこじんまりとした立ち飲み酒場だけ。その店の入り口では、制服姿の警官が聞き込みをしていた。


 受付のある一階を素通り、二階に上がって騒ぎがあったという部屋に案内され入ると、中はいたって簡素な造り。寝台ベッドとテーブル、そして椅子が目に入る。

 ベッドはマットレスが敷いてあるだけの高床で、自前の毛布などを併用する方式の質素なものだった。


 部屋にいるのは、ロイド巡査の相棒……こちらはやや年嵩でベテラン警部、名をハリスという──が、宿の主と状況確認をしていたようだった。彼はエリアスの姿を見ると、軽く会釈をして会話を続けている。


「……宿賃は先払いなので損害は無いんですが、一応騒ぎがあったわけですので……後で事件になっても困りますし……」

 そう言って宿の主は、恐縮したように警部に説明していた。


 耳に入った、会話の内容をかいつまんで解釈すると──

 件の騒ぎがあったのは昨夜のことで、大きな声が建物の中と外で聞こえたらしい。言い争うような声とドアを叩く音を他の宿泊客らが証言していていた。

 それが収まった後、おそるおそる部屋を確認するとドアは開いており、部屋の借り手も侵入者らしき男たちもいなくなっていたらしい。チェックアウトの手続きも、当然されていないという。


 ──少佐は、部屋の中をぐるりと見回す。


 テーブルの上には、金属製の皿の上に炙って焼いた手捏ねパンに干し肉を挟んだものの齧りかけがひとつと、付け合せの野菜と皮も剥かずに切った果物が少しだけ残っていた。いかにも独身男性の自由労働者の食事といった風情だ。

 テーブルには向かい合わせに椅子が二脚、そして日記帳のような少し厚い革表紙の帳面にペンが挟まって乗っていた。向かいの椅子には無造作に上着が掛けてある。


「遺留物はこれだけかな?」

 少佐が尋ねると、ハリス警部は、

「そうですね……日記帳と服が一着、あとは見ての通り食べ残しが少々、それだけのようです。荷物らしいものはありません。部屋の中には争ったような形跡もありませんでしたが、怒鳴り合うような声を聞いたという複数の証言があります。……部屋の窓は開いたままで、鍵もかかっていませんでした」

 そう答えてから、再び宿の主と話を続けていた。


 少佐は持参していた手袋を着けつつ、日記帳を指差してロイド巡査に尋ねる。

「例の読めない文字というのは、これの事かな。……確認してもいいだろうか?」

 すると、改めて気づいたように頭を下げながら、

「あぁそれです。お願いします……俺等じゃ何書いてあるのか、さっぱり分からなくて」

 そう言って検分を促していた。

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