人有る中に人無し その②

 ……二四、右に曲がる。二五、右に曲がる。二六、真っ直ぐ進む。失敗。

 ……九、右に曲がる。十、左に曲がる。十一、右に曲がる。十二、左に曲がる。失敗。

 ……七七、真っ直ぐ。七八、右。七九、右。八〇、左。八一、右。失敗。

 ……一〇三三、真っ直ぐ。一〇三四、真っ直ぐ。一〇三五、真っ直ぐ。失敗。

「……………………ゼロ、後ろを向く。失敗」

 前方に広がる──本来なら背後に広がっているはずの──〝四辻〟の光景に思わず深いため息を吐く。半身の姿勢のまま首だけで振り返ってみれば、背後には似たような外観の民家がお行儀よく整列しており、それらと道とを遮断するように、或いは囲い込むように背の高い塀が伸びているだけだ。もちろんそこに〝四辻〟は無い。

 視線を戻すゆるやかな勢いのまま取り残されていた左足を前に出し、続き右足を出し、そうして重い体を引きずるように眼前の〝四辻〟へと足を運ぶ。やがて道の隅に佇立ちょりつするカーブミラーにぶち当たって歩みを止めれば、十数秒、或いは数十秒の後、俺はとうとう抑えきれなくなって、目の前に立つカーブミラーの支柱に殴る蹴るの暴行を加え始めた。

 ガイン、グオンという鈍い音と共に右へ左へ歪曲わいきょくする鉄柱。それだけでは飽き足らず、その歪曲した部分を両手で鷲掴み、まるで雑巾でも絞るようにしてそれを引きちぎった。

 半ば叩きつけるように地面に放り投げた頭でっかちの鉄の棒が思いのほか跳ねなかったことにも若干ムカついたが、だからといってもう一度アレに当たっても虚しいだけなのが分かっていたので思いとどまり、頭を失っていながら未だ健気に地面に根を張り直立する鉄柱の横にずるずると腰を下ろした。

 もうかれこれ何百回、下手すりゃ或いは四ケタ回は経験した〝四辻〟の光景ふりだしにもどるだったが、流石に今のはこたえた。

 何万回もサイコロを振り続け、この〝四辻〟に戻る法則性や出口そのものを探し続けた末にお出しされた『サイコロを振るどころか、手に持っただけで失敗する』という結果は摩耗しきった俺の心をへし折るには充分すぎるものだった。

 ポケットから引きずり出したスマホの画面を睨み付ける。現在時刻、二五時十七分。

 火車猫とはぐれ、この〝四辻〟に迷い込んでから体感既に数十時間が経過していたが、デジタル時計は始まりから今までの数十時間に亘り、俺の体内時計を否定し続けていた。最初の数時間こそただスマホが壊れただけだと考えていたが、天上に座した半月とそれにかかるヴェールめいた薄い雲、周囲に散りばめられた明暗様々な星々がその場に陣取って微動だにせず、また彼らの停滞を原因としてか一向に太陽が東の空に見えないのを見るにスマホ画面に表示された〝現在時刻二五時十七分〟がどうやら俺の体感時間を否定するに値する正確な情報らしいということは疑いようの余地もなかった。

 つまりは、俺が火車猫とはぐれ、この〝四辻〟に迷い込み、何百、何千と繰り返された『ふりだしに戻る』の果ての数十時間は、その実一秒たりとも経過していないのである。

 数字の羅列から目を逸らすように地図アプリを開き、画面をスワイプしたり縮小拡大の操作をしてみるが、やはり結果は変わらず。画面には十字の白線が大きく表示され、その交差点の中心やや右下よりに矢尻のような形で俺が示されているだけで、この直線の先に何があるのかを見ることも、縮小してこの住宅地の全体図を確認することも出来ない。

 意識の覚醒から早二日、どれだけ試してもエラーを吐くだけで一切開くことの無かったアプリ群のうちこの地図アプリだけが開けるようになっているのに気付いたとき、思わず閑静かんせいな住宅地のど真ん中で──そのときは閑静な住宅地だと思っていた──吃驚きっきょうと歓喜の叫び声を上げるところだったが、それが一切の操作を受け付けず、俺の視界と同じ広さの範囲しか描画していないことを確認すると、今度は失望と怒りに歯を食いしばりながら、喉を締め上げるようにして怨嗟えんさの声を漏らしていた。

 中途半端に見せられた希望が、その実ただの空の箱だったことにむしろ吹っ切れた俺はそれから手当たり次第に民家の戸を叩き、窓を覗き込み、声の限りに見ず知らずの誰かを呼んでみたが結果は振るわず、とうとう総当たり的に脱出経路を模索する手段に講じるも得られた答えは今のそれ。まさに万策尽きたと言っていいだろう。

 スリープモードに切り替わった画面に心身疲労の色を滲ませた俺が現れ、閉口のままにその眼でもって俺に訴えかける。

 ────お前はこの〝四辻〟から出られない。



        * * *



 失意に天を仰ぎ見てから数分ほど経っただろうか。突如として右手が振動するとともに〝四辻〟に滞留していた無音を、手中から発生した通知音が切り裂いた。

 空っぽになっていた頭がその軽さ故かガクンと素早く視線を落とせば、右手に握られたスマートフォンのホーム画面、そこに乱雑と並べられたアプリアイコンの一つに赤い丸。通知の出処はあの鳥居アイコンのアプリだった。タップしてみる。画面が切り替わる。

 果たして表示されたのは、一枚の写真だった。

 錆びた門扉もんぴ越しに写された南欧風の古い二階建て。室内に明かりは灯っておらず、また周囲に街灯も設置されていないようで、月明かりのみに照らされて浮かぶ輪郭が儚げだ。

 そんな建物を中心に捉えた写真にいだいた感想は、一言に概するなら〝既視感〟だった。

 俺はこの写真に写る地面に見覚えがある。奥に写り込む民家の屋根にも見覚えがある。家と外界とを遮断するかのように門扉の左右から伸びる背の高い塀にも、そこに貼られた南欧風の建築物には不釣り合いな表札にも、写真の隅で佇立する頭でっかちな鉄柱にも、その隣に見切れている地べたに座り込む男の足にも。

 顔を上げ、周囲を見回す。

 背中を預けた塀とともに直線的に伸びた道は少し先にある突き当たりで左右に分かれ、地面には石ころ一つすら落ちておらず、傍らに立つ赤の鉄柱を見上げれば、俺を見下ろす鏡面の中で上下反転した俺が俺を見上げている。

 ギギ、ギィィ……と重く鋭く耳障りなきしみの音に眉をしかめつつ立ち上がれば、先程は背の高い塀に隠れて見えなかった後方、塀の向こうに〝南欧風の古い二階建て〟が、さもそこにあるのが当然かのような態度でそこに立っていた。

 ギギギ……ギ……と断続的な蝶番ちょうつがいの悲鳴を響かせていた門扉がとうとう開ききる。と、スマホに新着のメッセージ──『わたしたちの家にようこそ』。

 ガチャリ、と軽妙な音──おそらく正面ドアの鍵が解錠されたであろう音──がして、それから一瞬間の後、先程の錆びた門扉とは打って変わった〝きぃい〟という音とともに木製のドアが半分ほど開かれた。

 停止した時間、俺以外の生き物がいない空間、絶対に〝四辻〟へと戻ってくる怪現象、鳥居アイコンのアプリに送られてきた写真、眼前に聳える南欧風の古い二階建て、そして『わたしたちの家へようこそ』というメッセージ、地図アプリが開けるようになったのは偶然か……そんな、ここ数十時間にわたって俺に襲い掛かってきた諸々の〝怪異〟の答えがおそらくこの『わたしたちの家』の中にある。

 スマホの画面右上に表示された現在時刻、四時四四分。

 これをおあつらえ向きととるか、B級ご都合な展開ととるか。

「なんにせよ……行くしかないか」

 ドアの隙間から覗く室内を染める黒に招かれるまま、俺は家の中へと足を踏み入れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

有心的神化論 雑踏 @Traffic0606Jam

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ