第二章

人有る中に人無し その①

        ∞ ∞ ∞



「はあ……はあ……」

 ──男が角を曲がる。

「はあ……くそ……」

 ──男が角を曲がる。

「どうなってんだ……」

 ──男が角を曲がる。

「また……」

 ──男が角を曲がり、立ち止まる。

「また〝四辻ここ〟に戻ってきやがった……」

 ねえちょっとアイツ頑張りすぎじゃない? ワタシもう飽きてきちゃった。

 もうそろそろだろ。そら、カーブミラーにあたり始めた。

 あたり始めたっていうか折っちゃったんだけど……アレほんとに人間?

 さあな。殺せば分かる。

 あ~~~! カーブミラー壊してんじゃんアイツ直すの大変なのにバカ!

 まあまあ落ち着いて……。



        * * *



「いいですか? 夜間は境内の外には出ないように。昨日も言いましたが……」

「分かった分かった、分かってるよ。『夜は怪異の時間です』だろ?」

 鬱陶しそうに手を振ると、式は不満気に唇を尖らせながら社務所の戸を閉めた。

「はぁ……うるせえやつだ、ホントに」

 溜息を吐きつつ、境内を斜めに横切るようにして、静かに佇む鳥居に向かって歩く。

「あ! 鳥居の外出たらダメですからね! 外出ようとしてたでしょ今!」

「違ぇよ階段んとこで星見るだけだわ! いいからはよ寝ろよお前!」

「本当ですかぁ~~~? そんなロマンチストには見えませんけどね~~~…………」

 式は数秒前よろしく唇を尖らせながら社務所の戸を閉める。

「ちっ……俺だって星なんか見てないで部屋ん中でケータイいじりたいっての……」

 愚痴を吐きつつ、鳥居を境にして下に伸びる階段へと両の足を投げ出し、スマホを右の

「ホントに出ちゃダメですからね!」

「うっせえなお前そっから引きずり出して俺の隣に一晩中座らせとくぞコノヤロー!」

 式は数秒前と十数秒前よろしく唇を尖らせながら社務所の戸を閉めた。

 俺は思わずぶん投げ、そして戸に跳ね返って足元に戻ってきたスマホを拾い座り直す。

「こんのヤローがマジで…………にしても、綺麗だな~~~、星」

 夜空を見上げ、鳥居を天蓋にして視界に広がる満天の星々に思わず感嘆の声を漏らす。こんなに綺麗な星空を見たのは人生初めてだ……たぶん初めてだ。二回目かもしれない。いや、肉眼で見たという意味では人生初めてで合ってるだろう。

 まるで高性能カメラのレンズを通して見たような、夜の藍色に散りばめられた光の粒。

 これも俺の中の神様のおかげなのか、はたまたこの神社が街から離れた小高い丘の上にあるからなのか、いや、とはいえ街の光は神社まで届いてるわけだし……とそんなことを考えていると、背後で鈴の鳴る音がした。振り向いてみれば、あの二又尻尾の猫が大きく伸びをしている。猫は突き上げた尻と伸ばした上半身を水平に戻し左の後ろ足を伸ばすとこちらの方に歩いてきた。猫は俺の横を抜けて階段を降りていく。散歩の時間のようだ。

「うしっ……じゃあ行きますか」

 俺はなるべく音を立てないように立ち上がると、猫に続いて階段を降りた。



        * * *



 猫とは気ままな生き物だ。

 それまで道や塀の上を我が物顔で悠々歩いていたかと思えば、ふとその場に寝転がって毛づくろいや日向ぼっこを始めたり、仕舞いには寝てしまったりする。すれ違う人間からしてみればそれはただの気まぐれで、なんてことのない光景だと素通りしていく。しかし普通の人間が信号の色で進んだり止まったりするように、警告音を鳴らしてバーを下ろす踏切に立ち入らないように、それらの行動がれっきとした意味のある行動なんだと、今の俺には分かる。

 目の前に現れるそれらは昨日の昼間に見たような姿形を持ったものは少なく、ほとんど黒いモヤの塊だったり空気の歪みのように見え、俺の前を歩く猫はそれらが現れるたびにその場に座り込んで毛づくろいを始めてみたり、道を脇に逸れてみたり、或いは来た道を戻ってみたりしているのだ。それら黒いモヤや空気の歪みは俺達を気にする様子はなく、そもそも意思や意識があるのかすら分からない。考えるに猫のこの行動はそれらを恐れてというよりは木が邪魔で進めないから、車が道を塞いでいるからルートを変えようというようなものなのだろう。

 そんな自由気ままな足取りに続きあてもなく歩いていれば、今日の昼間に来たあの海の見える公園に辿り着いた。

 耳を澄ませれば、枝葉が微風そよかぜに揺れる音に混ざって誰かが歌を歌う声が聞こえてくる。猫が軽快な足取りで向かえば、海の方に向けられたベンチには女性が一人。

「今日も来たんだね」

 彼女の膝の上に飛び乗り丸くなった猫にそんなことを呟いて、彼女は鼻歌を再開した。

「こんばんは。俺も座っても?」

「あ、猫ちゃんの飼い主さん。こんばんは」

 彼女はにこやかに答えながら、自身の隣をとんとんと軽く叩く。

「どうも。今歌ってたのは?」

「え、聞いてたんですか? はずかしっ」

「すいません。盗み聞きするつもりはなかったんですけど、つい」

「いやいや別にいいですよ謝んなくて。さっきのは『翼をください』です」

「あの合唱で歌うやつ?」

「はい。合唱で歌うやつ」

 そう言いながら微笑む彼女。顔や雰囲気を見るに二十前後、俺と同い年ほどだろうか。

 彼女と会うのはこれが二度目だった。一度目は昨日、今と同じような時刻同じ場所で、やはり今と同じように火車猫かしゃねこの後を尾けてきた先に、やはり彼女は鼻歌を歌っていた。

「ここにはよく?」

「毎日。っていってもつい最近来始めたばかりなんで」

「家はこの辺なんですか……ってのは、ちょっと問題あるか」

「あはは、そうですね」

 そうですね、という彼女の回答は、家はこの辺ですよ、なのか今のは問題ありですね、なのかいったいどっちなのだろうか。まあどっちでもいいか。

 そんなくだらないことを話していると、彼女の膝上にくつろいでいた猫がふいに起きて地面に飛び降りた。やはり大きく伸びをすると、自分を撫でようとした彼女の手を避けて公園の入口の方に向かっていった。

「あ、行っちゃった」

「すいませんワガママなやつで。じゃあ俺も行くんで、お邪魔しました」

「あはは。お邪魔されました、また来てください」

 その言葉に反応してか、猫が振り返ると小さく「ぅや」と鳴いた。彼女はそれを聞くと今度は猫に向かって「またね」と手を振り、そして海の方に向き直った。



        * * *



 街の中心を離れているとはいえ、まったく人がいないというわけでもない。先の公園で話したあの女性しかり、参考書を片手にブツブツと呟き自販機でジュースを買う浪人生、「そりゃないっすよオヤジ!」と大袈裟な身振りで電話口に叫ぶ妙な口調の青年──

「なあ知ってるか、ここら辺のお化け屋敷のウワサ」

「ああ知ってるぜ。ここら辺のゴーストハウスのウワサ」

 ──すれ違いざま、そんなことを話し始めた二人組。

 好奇心に負け、俺は足を止める。

「知ってるか、ここら辺のお化け屋敷のウワサ」

「知ってるぜ。俺の兄貴の先輩の友達が肝試しに行って帰ってこなかったらしいんだぜ」

「知ってるか、お化け屋敷に出る幽霊のウワサ」

「知ってるぜ。先住霊に憑り殺されたヤツらがその無念から化けて出るんだぜ」

「お化け屋敷は今もどこかで……」

「新たな犠牲者が来るのを待っているんだぜ……」

「「うぅ~っ怖えぇぜ~っ!」」

 来訪者を憑り殺すお化け屋敷……記憶を失くす以前ならバカバカしい話だと流していただろうが、今となっては大事な命綱だ。遠ざかる二人組を見送り、視線を前に戻す。

「…………しまった。猫を見失った」

 目の前に直線的に伸びる道に猫の姿は無かった。同じく左右に伸びる道の先にも。

 俺は辺りを見回す。道に沿って続く俺の目線ほどの高さの塀にも猫の姿はなく、後ろに振り返って念のため確認してみるが、やはり猫はいない。ついでにあの二人組もいない。道は真っ直ぐ一直線に伸び、見たところ分かれ道は無いようだが、姿が見えなくなるほど遠ざかるにはあまりにも速すぎる。彼らの目的地が左右どちらかの民家なら話は別だが。

「……そういえば…………」

 あの二人組の会話を盗み聞きしようと足を止めた時、左右にこんな道なんてあったか?

 前後左右に、道が真っ直ぐ伸びている。つまり、俺は今……四辻の中心に立っている。四辻の中心に立つ俺の傍らには錆びたカーブミラーが、じっと俺を見下ろしている。

「……………………」

 俺を見上げる上下反転した俺の視線に耐えかね、たまらず俺はスマホを取り出した。

 現在時刻、二十五時。スマホをポケットに戻し、とりあえず一歩を踏み出してみる。

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