幕間

ネコノナマエ

 朝まだきに聞こえる鳥のさえずりが、変わらずまた今日が始まったことを告げている。

「こちらにいらしたんですか」

 石段の階下へと両足を投げ出し、朝ぼらけの空を仰ぎ見る俺に、背後から声がかかる。見るまでもなく、聞くまでもなく、思い出すまでもなく、あの男である。

「おはようございます」

「どーも」

「随分と朝が早いんですね。意外でした」

「どういう意味だよ」

 見上げていた首をぐいと後ろに倒し、予想通りのにやけ面をしている式を睨み付ける。式は俺の質問に答えることなく本題に入った。

「これから朝ごはんを作ろうと思うのですが、ヒト用と神様用、どちらが良いですか?」

「……ちなみにメニューは?」

「人間用であれば、白米、お味噌汁、んー……今日はだし巻き玉子の気分ですね」

「神様用は?」

「お塩、生米、お酒です」

「だし巻きは甘めでよろしく」


        * * *


 テーブルに置かれた二つの膳。上にはそれぞれ白米、味噌汁、ほうれん草のおひたしが乗せられている。その膳に挟まれるようにテーブルの真ん中には太切りのだし巻き玉子。湯気とともに上る甘い匂いが食欲を刺激する。対面に座る式に続き、両手を合わせる。

 まずは味噌汁。うん、美味い。ほうれん草のおひたしを一口、米を少しだけ口に運ぶ。だし巻き玉子を白米の上に置いて箸で半分に切り分け、食べる。ほどよい甘さで最高だ。まるでうなるようにうんうんと頷く。人間は美味いものを食うと納得せざるを得ないのだ。

 と、美味い飯に納得させられている俺に式が話しかけてきた。

「ジン、というのはどうでしょう?」

「何が?」

「名前ですよ、名前! 昨日少し考えてみたんです」

 言いながら、まるで空でも掴むように箸の先を開閉させる式。俺がだし巻きの片割れを咀嚼そしゃくする間に式は続ける。

「アナタの記憶が戻るまでの間、アナタを呼称するものがないと不便じゃないですか」

「そうか? そんなことないだろ」

「そんなことありますよ、私が困るんです。だって想像してみてください。私がアナタを呼ぶたびに、あ、とか、もし、とか、あのー、すみませーん、とか」

「おいとかお前でいいだろ」

「ダメです。良くてご主人様です」

「なるほどな。そりゃ確かに俺が不便だ」

 うん、うん。甘いだし巻きの後に渋みのあるほうれん草のおひたしが最高に美味い。

「はい。ですので、わたくしめからひとつ提案をば」

 昨日のものとは若干柄の違う湯呑みを、握り割らないように注意深く持ち上げる。

「ジンねえ。その心は?」

「はい! そも名前というのは、その人を表す簡潔な説明で無ければなりません。なのでわたくし考えました。この神社の代表の名前が無ければ、代表が神社を名乗ればいいじゃない」

 ほどよく温いお茶のこの安っぽい味が体に染み渡る。これが詫び寂びの心か。

「《怪異》に心を蝕まれ、助けを呼ぶ人々の声に颯爽と現れる一人の青年。襲い来る《怪異》をちぎっては投げちぎっては投げ、では私はこれで。いえ待ってください! 名前、せめてお名前だけでも……その言葉にアナタは振り返りこう名乗るのです。鬼焚ジンじゃ、と」

「ダジャレじゃねえか」

「ははは」

 ははは、じゃない。第一、鬼焚ジンってどこの少年漫画の主人公だよ。

「え~? かっこよくていいじゃないですか、鬼焚ジン」

「かっこいい、よくないの話じゃないだろ。仮にも俺が名乗るんだぞ。想像してみろよ。俺が病気か怪我かで病院に行き、受付を済ませ、待合室でボケっと座ってたら受付の人が大きい声でこう呼ぶんだ。ジンさん、鬼焚ジンさーん。……な?」

「人間レベルの病気や怪我ならここにいれば勝手に治りますよ、アナタ神様なので」

「そんな話じゃ……それに! お前の想定だと俺の語尾『じゃ』になってんじゃんかよ。お前から見て俺はそんなに年寄りに見えるのか?」

「いえ全然?」

「そら見ろ」

「高校生と言われてもギリ信じますし、上に見積もってもせいぜいが二十前半ですかね」

「ギリ悪口だろそれ」

「何でですか、落ち着いてください」

「うるせえ!」

「あ、最後のだし巻き! 私まだ二切れしか食べてないのに!」


        * * *


「それ、売るのか?」

 空っぽになった授与所に、式の手によって交通安全のお守りだけが並べられる。

「売る、ではなくお渡しするものですよ、お守りこれは」

「あ、そ」

「《火車猫》が帰ってきましたからね。嬉しや嬉しや」

「お前の方がよっぽどジジイじゃねえか」

「言葉が強すぎる」

 拝殿の欄干で丸まっている猫に目を向ける。うん、猫だ。尻尾が二本なところ以外は。

「あれはいわゆる〝化け猫〟とか〝猫又〟ってやつなのか?」

「まあ簡単に言えばそうですね。年老いた猫は妖になり、人をさらったり殺したりします。その中で特に死体を攫うことに特化したのが《火車》ですね。葬式の最中に現れて死体を攫い、主に地獄へと連れて行くそうです。ですが時に生者の前に現れることもあったり、徳の高い人間は逆に天国に連れて行くこともあるとか」

「じゃあこいつは死肉荒らし……スカベンジャーってことか?」

「違いますよ、別に死体を食べるわけじゃありません。あくまで死者の魂を地獄や天国に連れて行くのが仕事です。その証拠に、ほら、かれたでしょ? アナタ」

「轢かれたな。盛大に」

「怪異も人間と同じように、時代や場所、環境に合わせて生き方を変えていくものです。《火車猫》は人間の魂を攫う方法を、葬式を襲って遺体を奪うというものから、《火車猫》自らが大型トラックに化けて轢き殺す──ならぬ轢き攫うというものに変えたんですね」

「大型トラックが魂を連れ去る……まるで異世界転生ものの導入だな」

「異世界転生の神がいるなら、そちら様の使役する生き物が猫だったんでしょうね」

 欄干から飛び降り、大きく背伸びし、二又尻尾の猫が石段に向かって歩いていく。

「お散歩にでも行くのでしょうか。ちょうどいい、アナタもどうですか?」

 猫がこちらを振り返り、俺も式に振り返る。

「もしかしたらまた、運よく《怪異》の方から来てくれるかもしれませんよ」

 式はおみくじの箱をこちらに差し出し、にこりと笑う。

「お散歩の前に、運試しでもしていきますか」


        * * *


 公園のベンチに腰かけ、山折り谷折りの跡が残る小さな紙切れを睨む。隣には化け猫。目の前を横切る健康志向ランナーや親子を見るに、どうやらこの化け猫は普通の猫として見えているようだ。もしくは猫は俺にしか見えていなくて、単に態度の悪い座り方をする俺に奇異の目を向けているだけなのか。

 道を挟み、落下防止の柵越しに一望できる海から『人有る中に人無し』と書かれた紙に視線を戻す。溜息混じりに半ばベンチをずり落ちる。後頭部が背もたれに逆撫でられる。

 式はそれとなしに話をズラしていたが、昨日の『猫も杓子も』のおみくじと今俺の隣で毛づくろいする化け猫を見るに、怪異とおみくじ双方に何かしらの関連性はあるはずだ。果たしてそれが予知なのか、あるいはそれとも現実改変、もしくは平行事象の選択……。まあ何にせよ、

「なーんも分からん」

 どうやら俺は賢くなかったらしい。ベンチから跳ね起き、凝り固まった全身を伸ばす。付け焼き刃じゃ〝?〟ハテナは切れん。まずは砥石になりそうなものを足で稼ぐか。

「Nは多ければ多いほどいい……お前もそう思うよな、〝化け猫〟N=1

 記念すべきN=1エヌイチはベンチから俺の前に飛び降りると〝ぷゎあ〜〟みたいな声で鳴いた。

「そのうちお前の名前も考えないとな~……」

 俺の前を優雅にしゃなり歩く猫の左右に揺れる二本の尻尾を見つつ俺は呟く。


        * * *


「それで、成果の程は?」

「いーや、全然。俺もお前と同じでネーミングセンスには恵まれてないみたいだ」

「まあ感受性はヒトそれぞれですから」

 式は俺の前に湯呑みを置くと対面に腰を下ろした。二人してお決まりの位置である。

「ついでに言っとくと〝怪異〟も見つからなかったよ、残念なことにな」

「そうですか、それは残念」

 お茶を啜る式。俺は深く溜息を吐き、長らくかじりついていたスマホを置く。

「昨日はあんなに街中に溢れてたんだけどな。今日はさっぱり見えなくなった」

「それは多分、アナタが力を取り戻したからでしょう。ほんの少しですけどね」

「ほんの少しね」

「ええ、ほんの少し。おそらくはアナタが昨日見た有象無象うぞうむぞう魑魅魍魎ちみもうりょうとさしたる力量の差もない程度ですね。下手したらそこらへんのヤツより弱いぐらいかも」

「それで? なんで俺がそこらへんのヤツぐらい弱かったらそこらへんのヤツが一切合切姿を見せなくなるんだよ」

「それはアナタが《怪異》を探しているからですよ。自分らと同じ武器を持ち、自分らと同じくらいの強さを持った、自分たちのエサであるはずの人間アナタが。たまにあるでしょう? 野生動物が人間レベルの知能を得て人を殺しにくるタイプのパニックホラー」

「なるほどつまり、〝怪異〟たちには俺が猟銃持った猿に見えてるってことか」

「それと、あと考えられるのは反動によるものですね」

「反動?」

「昨日のアナタは《怪異》を視認するという、まだ手にしたばかりの勝手知らざる力を、手にしてからずっと全力で行使していたわけです。両目をずっと見開いて、視認した情報全てを脳で処理しようとした結果、脳が無理やりにリミッターを取り付けた。アナタから隠れそびれた、あるいはアナタの存在を気にせず跋扈する《怪異》たちの存在をアナタは認識していながら、アナタの脳がそれを捉えるのを拒否しているんです」

 おそらくですけどね、と最後に付け加える式。俺は小さな疑問をぶつける。

「じゃあ何であの化け猫だけは見えるんだ?」

 式はほんの数秒、口を尖らせた末に答えた。

「さ~あ? アナタが昨日あの《火車猫》を治めたからじゃないですか?」

「……あ、そ」

 期待外れの回答に肩を落とす。そんな俺をよそに式は声のトーンを上げて言った。

「さ! そろそろ晩ご飯にしましょうか!」

 開け放したままの入口の方に目をやれば、オレンジ色の日差しが地面を染めていた。

「ちなみにメニューは?」

「白米、味噌汁、きんぴら炒めです」

「また質素だな」

「お気に召さなければ神様用のご飯も用意できますが……」

「楽しみだな~きんぴらなぁ~! いっぱい歩いて美味しいご飯食べて健康だぜぇ~!」

 満足げに笑いながら奥に姿を消す式を見送り、椅子の上で溶けるように脱力する。

「なんか、妙~に……緊張感というか……持てないなあ」

 記憶喪失とか大型トラックとの正面衝突とか。神社で落雷だとか俺の魂が神様だとか。街に蔓延る〝怪異〟に二つ尻尾の化け猫だとか。

 そのどれもが己の正気を疑う光景なのに、それら全てを受け入れ、現状を打破しようと打開策を考えている自分がいる。

「どうも人間っぽくなくて……嫌だなぁ~」

 俺の中にいるらしい神様とやらにボヤいてみるが特に反応はいただけない。

 と、式が俺を呼ぶ声が聞こえてきた。

「ジンさ~ん、鬼焚ジンさ~ん! ご飯できましたよ~!」

「病院の受付みたいに呼ぶな」

 言いながらに立ち上がれば、腹の虫が盛大に鳴く。

 入口に目をやる。太陽は既に沈み切って夜が始まっていた。

「ま、腹が減っては何とやら、か」

 美味しそうな匂いに導かれるように、俺は奥へと歩みを進めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る