第3話 毒蛇を千切る

「ミステリー小説は星空のよう、数々の星が伏線として散らばっていて、著者にはその星たちが結ぶ星座の絵が見えている。読者はそれを想像する。最後にプラネタリウムのように著者はその星たちを結び、星座の絵を読者に描いてみせる。」

滝川恭介たきがわきょうすけは今日も女を口説いている。相手は丸眼鏡をかけた文系女子。所謂いわゆる、「なんと彼女は眼鏡を外すと綺麗系美少女だったのです」路線。そして、ある超人気作家の大ファンである。そう、その超人気作家というのが、この滝川恭介。ではない。

彼はそう、その超人気作家の担当編集者。でもない。

その超人気作家の担当編集者の使いっ走りのただのいちスタッフだ。彼はその立場を悪用している。超人気作家の元には全国のファンから毎日のようにファンレターが届く。中には誹謗中傷する手紙や危険物が送られてくるパターンもあるので、事前にスタッフが確認している。滝川もその事前確認をすることがあり、そこでターゲットになりそうな女性の情報を手に入れているのだ。ファン心理というのは一途であり、盲目であり、危うい。冷静に考えれば嘘だと気付くことにも簡単に騙される。「僕は関係者。今度先生に会わせてあげるよ。」と言う魅力的な言葉と、多くのスタッフも交えた超人気作家の打ち上げで社交辞令的に撮ったツーショット写真を見せれば大抵のファンと食事の約束をすることは容易であった。まあ、完全に犯罪だが。

そんな彼だが、最近が上手くいかない。そう、憎き恋愛法のおかげだ。滝川が下心を持って何かしようと事を運べば、やれ「恋愛法違反」だの、やれ「不同意」だの言われてしまい、お手上げ状態だ。さて、今夜の丸眼鏡美女とはどうであろうか?

「あの作品の寿司屋のシーンで甘ダレを使ったトリック、あれさ、俺が助言したんだよね。」

「へぇ、そうなんだ。それよりいつ会わせてくれるんですか?」

「先生、今新作の執筆中で忙しいんだよ。まあ、今度ね。それより、その新作に俺をモデルにした登場人物が出るみたいでさ。なんか先生に俺、気に入られちゃったみたいでさ。新しいトリックとかどんでん返し思いついたら参考にしたいから教えてだってさ。」

勿論、全て出鱈目である。

「もしかしたら、俺が頼めば君のことも本に登場させてくれるかも。だからさ、これから別のとこで呑みなおしながら君のこと色々と教えてくれない?」

これまで、この口説き文句で幾人もの女性をゲットしてきた。ポ◯モンで言えば「マスターボール」なのだ。今回も「野生ポ◯モン、ゲットだぜ!」と滝川は確信していた。

「それって完全に下心ありますよね?少しでも肌に触れるとかあったら、恋愛法違反で訴えますから。事前同意取ってください。」

その後、悪あがきするも虚しく、女性は帰っていった。

滝川は冷めてしまった。マスターボールはウルトラボールになってしまったのだ。本当は滝川自身の実力の結果なのだが、本人はそうは思わない。何が悪い?なぜだ?何が変わった?

「そうだ、恋愛法だ。あれが全て悪い。史上最悪の悪法だ。」

それから滝川は予定の無くなった夜に独り、恋愛法をぶっ潰す計画を考えた。


次の日、滝川は早速計画を進行させる。滝川の勤める出版社には、編集部門・営業部門・管理部門などがある。更に編集部門は、滝川も所属する小説などを扱う書籍課と定期刊行誌を専門とする雑誌課に分かれる。滝川は同期で雑誌課の平早ひらはやと喫煙ルームで電子タバコの香りをくゆらせながら立ち話をする。

「平早、お前、この前ネタに困ってるって言ってたよな?」

「ああ、なんかいいネタでも持ってんのかよ。」

「ネタを掴んでるわけではないけど、恋愛法なんかどうだ?恋愛法が施行されて半年。この法律がもたらした功罪!って感じで恋愛適齢期の若者や専門家、医者とかにインタビューして、恋愛・結婚への壁が高くなっただとか、少子化が更に加速するだとかさ。今、皆関心あると思うんだよね。」

「功罪って、罪ばっかじゃねえか。どうせ、また女、失敗したんだろ?」

平早には個人的な話もよくしているのでバレバレだ。ただ、滝川の個人情報悪用は流石に知らない。

「まあ、その線は元々動いてるよ。三年前の法案成立のときも野党は少子化対策に逆行するって猛反対してたしな。結局、衆参過半数を持つ与党が強行採決で通したけどな。」

三年前の恋愛法案強行採決時は国会も世論も二分した一大騒動となった。賛成派は、「社会問題化している不同意猥褻わいせつや不同意性交などから女性を守る」という女性擁護を前面に押し出し、女性のイメージからピンク色をシンボルカラーとして多用していた。一方、反対派は「恋愛・結婚へのハードルが上がり少子化を加速させる」という少子化問題を前面に押し出し、乳児が好む色ということから黄色をシンボルカラーとして多用していた。このピンク対黄色の対決は「スプラトゥーンのナワバリバトル」と揶揄やゆされた。結果、51%対49%でピンクチームが辛くも勝利した感じだった。

滝川はこのナワバリバトルを再燃させようとしている。恋愛法が実際に施行されて半年。必ず自分と同じように、この法律にネガティブな感情を抱いている人が増えているはずだと、滝川は確信している。そして、日本中を巻き込んだナワバリバトル第二戦が始まることとなる。


駅のキオスクに週刊文文の最新号が並んだ。滝川はそれを一冊購入し、中身を確認した。目当ての記事は中程だった。

「『恋愛法の通知表〜施行から半年で見えた光と影〜』

あの揉めに揉めた三年前の強行採決。記憶に新しい人も多いであろう。世論を二分したあの恋愛法が施行されて八ヶ月が過ぎた。当記事では恋愛法の功罪を通知表という形で関係者・専門家の意見を参考に評価した。」

という書き出しで始まった。内容としては三年前の女性擁護論と少子化加速論の対立構造を中心に施行前と施行後の性犯罪件数や出生数(年途中のため予測も含めた概数)などの数字的根拠を通知表に見立て羅列していた。功罪両方挙げてはいたが全体としては、罪の方が印象に残るような構図であった。最後はこう締め括られていた。

「この通知表をどう感じるかは人それぞれであろう。しかし、このまま少子化が進めば日本は間違いなく滅ぶ。SF小説や映画にあるような世界大戦の核爆弾でも隕石でも地球外生命体の侵略でもなく、自ら蒔いた生殖本能の阻害によって滅ぶのだ。なんとも哀れな結末と言わざる得ないのである。(文:平早源三郎)」

滝川は心の中でスタンディングオベーションした。流石、平早だ。これをきっかけに他のメディアでも、この問題を取り上げれば恋愛法を考え直し、最終的には停止や廃止にまで持ち込む反対旋風を巻き起こせるはずだ。そしてこの滝川の予想は珍しく当たることとなった。


まず、この記事を読んだであろう社会派ユーチューバーが反応した。そこから各SNSに飛び火し、次にネットニュースや動画配信サービスのニュース、そして遂には地上波のテレビで扱い始めた。そこまでに一ヶ月が経っていた。小さなドミノから始まり、徐々にドミノは大きくなり、最終的には特大のドミノを倒した。

滝川は昇天する思いであった。

遂にナワバリバトル第二戦が始まったのだ。そして、最初の平早の記事の効果もあってか世論は黄色(反対派)優勢で進んでいった。ピンク(賛成派)はワイプアウト寸前まで追い込まれていた。滝川の起こした怒りの火種は、平早の煙草臭い息によって大きく成長し、今や国会を飲み込む火災旋風と化していた。政治家の出演する報道番組や毒舌政治評論家が司会を担当する「夕方まで生討論」などの人気番組の主要議題として取り上げられるまでになっていった。



眞島は焦っていた。食い扶持ぶちが、金の成る木が、消滅する危機を迎えている。今のところ、依頼数が減っている実感はないが、恋愛法の停止や廃止が国会で本格的に議論されるようになれば影響は免れることができない。それどころか路線変更しなければ収入はぜろだ。この一年近くを恋愛法の事前交渉専門にやってきたお陰でその道では有名になり、依頼数を順調に伸ばしてきた。簡単に路線変更と言っても小さな個人事務所だ。大手と同じことをやっていても勝ち残る術は無い。どうしたものか。ネット記事を波乗りしながら考える。

んっ。スクロールする指が止まる。なんだ、何かに引っ掛かりを感じた。スクロールする指を上から下へ、ネット記事のタイトルが巻き戻る。

「週刊文文を出版する出版社勤務の男、個人情報保護法違反で逮捕」

眞島は以前、恋愛法批判の発端となった週刊文文を検索していた。その履歴から「週刊文文」というワードに引っ掛かり表示されたようだ。そのネット記事は速報という形で報じていた。

「二月十日、警視庁は都内在住、出版社勤務の男を個人情報保護法違反で逮捕した。男は出版社に届く郵便物から同じく都内在住の女性の個人情報を不正に持ち出し悪用した疑い。警視庁は他にも余罪があると見て捜査を進めている。」

しかし、眞島には週刊文文という共通点以外、このニュースに特段気に留めるところは無かった。


「警視庁は都内在住の滝川恭介、三十歳を不同意猥褻罪で再逮捕した。滝川は編集部勤務という立場を悪用し、出版社に届くファンレターから女性の氏名・住所・電話番号等の個人情報を入手し、不正に持ち出した個人情報保護法違反の容疑で十日に逮捕されていた。警視庁はこの被害女性以外にも余罪があると見ている。」

この続報が世の中に出ると潮の流れは一気に変わった。滝川からの不同意猥褻の被害をギリギリで免れた女性Aさんが週刊誌やテレビの取材を受け、連日報道されたのだ。名前は仮名で声も変な声に変えられていたが女性ははっきりと言った。

「滝川は超人気作家Sさんに会わせるとか、Sさんの新作に私をモデルにした登場人物を登場させてあげるなんて嘘で口説いてきて、変なことしようとしてきました。だから、私言ってやったんです。

。」

これが決定打だった。世論は一気にピンクチームに傾いた。大逆転だった。滝川は自ら起こした火種を。その後、日本全体を巻き込むまでに成長した火災旋風を。自ら発生させた特大積乱雲の豪雨で消し去ったのだ。

その後、週刊文文は「弊社社員の不祥事」の謝罪記事を掲載し、その火消しに三ヶ月を要することになった。

世の移ろいとは真に早いもので、恋愛法の議論は、人気俳優同士の結婚報道と、月大の落語研究会パワハラ問題によって忘れ去られた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

契る @richigisyanokodakusan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る