河童

野村絽麻子

 お客さん、キュウリ好き? ウチはね、叩きキュウリの梅和えもオススメよ。何しろ実家が農家だもんで、今の時期は新鮮なのが売るほど届いちゃうんだけどさぁコレが旨いんだわ。食べる? 食べるね。オッケー、いま用意するね。

 前にね、こうやってキュウリを麺棒でバンバンバンバンって叩いて砕いてた時にさ、どういう加減だか力が入っちゃったことがあってさぁ、キュウリのヘタがね、パーーーン! って飛んでしまったことがあったの。そう、パーーーンって。それでさ、そこの壁。いまカレンダーかかって隠れてるけど、捲ってもらうと分かるんだけど、壁をさぁ、突き抜けて行っちゃったわけ。キュウリのヘタが。

 ウチって長屋みたいな造りの端っこにあるじゃない? 慌ててお隣の部屋に走って行って、ピンポンピンポン押して、「こんにちはー! いま、ウチのキュウリのヘタが飛んで来ませんでしたかー!!」ってドアを叩いたわけ。隣はさ、何て言うか……大学生じゃないし〜……あ、そう、フリーター! の男の子が住んでてね。うん、ウチみたいにうるさいとさぁ、なかなか借り手がつかなくて! 大家さんにもたま〜に嫌味言われたりするんだけど、まぁ、それが本心かは分からなんだけどねぇ。こんな時代だし、助け合いっていうか……アラやぁだ、また脱線しちゃう。いやぁねぇ、歳取ると。なーんかこう、喋れるだけ喋っちゃうのよ。うふ。お客さんもそのうち分かるってぇ。

 それでね。とにかくお隣さんはご在宅だったんだけど、何でだか安っぽいコップを握りしめた感じで突っ立って居てねぇ、「あ、お隣の居酒屋さんっスかぁ? いまなんか凄い勢いで緑っぽいもんが壁ぇ突き破って飛んでったんスけどぉ。アレ、何なんスかぁ?」って。あー、やっぱりそうよね、ここのアパートの壁、薄いもんね、って私も納得してさぁ。それでその緑っぽいもんはどうなったのかって聞いたんですよぉ。そしたらね、「アレだったら、反対側の壁を抜けて隣の部屋に行ったっスよ?」って言うんで、慌てて走って行ってその隣の部屋にピンポンピンポンってしてみたんです。そしたらね、この二軒隣の部屋はアッチの人の……ま、つまりは、ヤクザってんですかぁ? それのオンナが住んでるとかって話は聞いててさぁ。とにかく私としてもウチのキュウリが飛んでっちゃったのを放っておく訳にもいかないし、ピンポンピンポン粘り強く押した訳よね。そしたらね、明らかに今まで寝てました、何なら事後の怠い怠ぅ〜い状態ですって感じのあられもない姿の化粧の濃い女が顔出してさぁ、「ねぇ、今の何? 壁に穴開けてったんたけど」って言う訳よ。わー、ここも通り過ぎたのかーって私も焦っちゃって。「壁、抜けて行きましたか?」って聞いたら「抜けてったわよ」って馬鹿正直に言うからさぁ。あー、とうとう端から端まで穴開けてったんだなーって。仕方なくアパートの裏手の小さい川んとこまで走って行ったんですよ。

 でね、この川には昔っから言われがあって。住んでるんですって。何がって。決まってるじゃないですか。川に住んでるって言ったらアレですよ。河童。ええ、ご存知でしょ? 甲羅を背負ってて、頭の上にお皿が乗ってる、アレですよぉ。

 橋の上から川を覗き込んだらね、全体的に緑っぽ〜い生き物が「ポリポリポリ」って、何かを齧ってる訳ですよ。え、それ……それ、ウチのキュウリで間違いなくない? って思って。「いや、それ、ウチのキュウリですよね?」って私思わず言っちゃったんですよ。だって、いい音してたから。そしたら、その河童ってばこっちを振り向いて「いやいや、これはボクのキュウリですけど?」って。なんかこう、当然ですけど? みたいな顔して言う訳ですよ。それでもう私、凄ーく腹が立っちゃって。一触即発ってんですかね? もう居ても立っても居られなくてね。ダダダーって走って行って、河童の頭の上の皿をね、バリバリバリーって掻き毟って言ってやったんですよ! アンタのキュウリかも知れないけどね、だったら何だってそんな偉そうな態度なんだよ! って。アンタに何が分かるんだよ! って。頭に血が昇るって本当にあるんですね。つい、カーッとなって、河童が頭に乗せてる皿をね、こう、ムシッと! ベリベリッと! 剥ぎ取ってしまったんですよねぇ。いやいや、困ったものでねぇ。

 あ、でもね、お客さんはご存知じゃないかも知れないですけど河童の皿って自然に生えてくるものなんでね。うん、そう、たぶん半年はかからないかなぁ。だから心配はいらないんですよ。

 はーい、こちら叩きキュウリの梅和えね。どぉぞ。……え? これの入ってる小鉢が河童の頭の皿なんじゃないかって? まさかまさか。うん、さっきからお客さんのね、使ってるそれ、取り皿ね。……そう。それよ。いや、あんまり珍しいもんでもないんでね。うん、河童の頭の皿ね。普通に、どこの居酒屋でも使ってるもんですから。気にし過ぎるのも良くないとか言いません?

 …………なーんちゃってね。あはは。信じた? かーわいい! あははははは。何か飲む? え、熱燗つけてくれ? あはははははははははは。



 それでまぁ、あれこれ食べて飲んだ僕だったんですけど、したたかに酔って店を出たその足で建物の前の橋を歩いて帰る時に、パチャンと水音がした訳です。河童かな、って思いますよね。あんな話聞いた後だ。なーんか寒気がしちゃったんだけど。……ねぇ、アレさ、……違うよね? あの波紋。……お皿を剥がされた河童、なんだよね、たぶん。そう。だよね。全体的に青っぽいって言うか、土気色って言うか……膨らんでる何かっぽいって感じしなくもないんだけど……頼むよ、変なもの見たなんて思いたくないんだ。酔ってるか、酔いが足りてないか、そのどっちかだと思うから……おかしなことに首突っ込んで二の舞なんて御免なんだよ。だから、ちょっと酒付き合って欲しいんだ。忘れてしまいたいんだよ。頼むよ。

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河童 野村絽麻子 @an_and_coffee

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