第8話「素人グルメ会、舌が止まらない」
「よし、これで完成だ」
修は自宅のキッチンで、最後の仕上げを施していた。目の前には丁寧に盛り付けられたキョン肉のローストが並んでいる。ワインとハーブでマリネした肉は、焼き色よく、香ばしい香りを放っていた。
今日は前回の突発的な集まりから発展した「キョン料理の持ち寄りパーティー」の日だ。場所は渡辺静江の自宅。参加者は前回集まった地元の人々と、新たにいくつかの家族も加わるという。みのりも公務ではなく、個人として参加するとのことだった。
修はローストキョンを丁寧に保温容器に移し、他に用意したハーブソースも小瓶に詰めた。竹内から譲り受けたワインも一本、袋に入れる。
「さて、行くか」
身支度を整え、修は静江の家に向かった。彼女の家は修の家から徒歩15分ほど。隣の集落にある古い農家だ。
「修くん、来たわね!」
玄関先で静江が出迎えてくれた。彼女の家は立派な古民家で、広い土間と囲炉裏のある居間が特徴的だ。すでに数人が到着しており、それぞれが持ち寄った料理を台所に運んでいる。
「これ、持ってきました」
「まあ、立派なローストね!」
静江は修の料理を受け取り、厨房へと運んだ。そこには様々な料理が並び始めていた。
「皆さん、思い思いの料理を持ってきてるわね」
静江の言葉通り、テーブルには多彩なキョン料理が並んでいた。キョンカレー、キョンの煮込み、キョンのハンバーグ、燻製キョン...どれも家庭料理の枠内でありながら、工夫を凝らした逸品に見える。
「修くん、来てたんだ」
佐々木が声をかけてきた。彼の手には地酒の一升瓶が握られている。
「佐々木さんも料理を?」
「いや、俺は酒担当さ」佐々木は笑った。「料理は苦手でね。女房に作ってもらったキョンの肉じゃがを持ってきてるよ」
次々と参加者が到着し、静江の家は賑やかになっていった。竹内も現れ、自家製の燻製キョンを持参していた。
「竹内さん、燻製まで作れるんですか?」
「ああ、猟師の基本だ。保存食として昔から重宝されてきた」
最後にみのりが到着した。彼女は市販のカレールーを使ったシンプルなキョンカレーを持参していた。
「私、料理は得意じゃないんです」みのりは少し照れながら言った。「でも、キョン肉なら市販のルーでもこんなに美味しくなるんだと証明したくて...」
「素晴らしいアイデアじゃない」
静江は満足そうに頷いた。「一般家庭でも簡単に作れるレシピこそ大切よ」
参加者が揃ったところで、静江が声を上げた。
「さあ、みなさん!今日の『キョン料理持ち寄りパーティー』、始めましょう!」
拍手と歓声が上がる中、パーティーが開始された。まずは静江による各料理の紹介。料理を持参した人が自分の調理法や工夫した点を簡単に説明していく。
「私のキョンコロッケは、ひき肉に玉ねぎとマッシュポテトを合わせて、サクッと揚げたわ。キョン特有の風味を生かすために、少しだけローズマリーを入れたのがポイントよ」
静江の説明に、皆が感心して頷いた。
次は中年の女性が前に出た。
「うちのキョンのミートソースは、子供が気づかないように野菜をたっぷり入れたの。キョン肉は牛肉より風味が強いから、トマトの酸味でバランスを取ったわ」
続いて竹内が自分の燻製を説明した。
「桜のチップを使った燻製だ。二日間かけて作った。塩加減が重要で、キョンの旨味を引き出すためにはやや控えめにする」
修も自分のローストキョンについて話した。
「僕のは単純に、ワインとハーブでマリネして、オーブンでじっくり焼き上げただけなんですが...温度管理と焼く時間に気をつけました。付け合わせのソースはミントとリンゴのソースです」
みのりも恥ずかしそうに自分のカレーを紹介した。
「私のは本当にシンプルで、市販のカレールーを使っただけなんですが...キョン肉の旨味がルーとすごく合うんです。忙しい方でも簡単に作れるレシピとして...」
説明が終わると、いよいよ試食タイムとなった。参加者はそれぞれ小皿に少しずつ料理を取り分け、味わっていく。
「うわ、これ美味しい!」
「コロッケ、サクサクで中はジューシーだねぇ」
「ローストも柔らかくて、風味が豊かだ」
「カレーも普通のルーなのに深みがあるね」
次々と感想が飛び交う。素人ながらも、それぞれが工夫を凝らした料理に、皆が舌鼓を打っていた。
「修くん、このソース絶品だよ」
佐々木が修のローストキョンを指差した。「リンゴの酸味とミントの清涼感がキョン肉にぴったりだ」
「ありがとうございます」
修は嬉しそうに笑った。自分の料理が評価されることの喜びを、こんなに純粋に感じたのは久しぶりだった。
宴が進むにつれて、話題は料理の味だけでなく、キョン肉の可能性へと広がっていった。
「これだけ多彩な料理ができるなら、もっと活用できるかもしれないわね」
静江が皆に投げかけた。
「そうだな。問題は安定供給だ」
竹内が実務的な視点を提供した。「個人の趣味でなく、地域の資源として活用するには、捕獲量の安定と処理施設が必要になる」
みのりもその点について語った。
「実は市でも、ジビエ処理施設の可能性を検討し始めているんです。今はまだ調査段階ですが...」
「それはいいね!」
佐々木が興奮気味に言った。「うちの地域も高齢化で悩んでるが、新しい産業があれば活性化につながるかもしれない」
「でもね」静江が懸念を口にした。「キョンを捕獲する人が少ないのが問題よ。竹内さんたち猟友会も高齢化してるでしょう?」
竹内は黙って頷いた。確かに猟友会の平均年齢は65歳を超えており、若い後継者が不足している状況だった。
「だからこそ、修さんのような若い方の参加が重要なんです」
みのりが真剣な表情で言った。「修さんの取り組みは、若い世代への良いロールモデルになると思います」
修はその言葉に少し照れながらも、責任の重さを感じていた。
「僕はまだまだ未熟ですが...できることをやっていきたいです」
話が盛り上がる中、一人の女性が静江に尋ねた。
「静江さん、このキョン肉って、どうやって保存するのが一番いいの?」
「それはね...」
静江は得意げに説明を始めた。「新鮮なうちに部位ごとに分けて急速冷凍するのが基本。でも、燻製や干し肉にすれば長期保存も可能なのよ」
「うちの冷凍庫、もうキョン肉でいっぱいなんだよね」
女性は笑いながら言った。「だから加工品にできると助かるんだ」
「それなら燻製がいいな」
竹内が助言した。「簡易的な燻製器なら、ドラム缶を加工して自作できる。教えてやろうか?」
「ぜひお願いします!」
次々と質問や意見が飛び交い、キョン肉の調理法や保存法、さらには地域資源としての活用について、活発な議論が続いた。
修は静かに皆の会話を聞きながら、この集まりの意義を感じていた。単なる料理の持ち寄りパーティーを超えて、地域が抱える獣害問題と、その解決策としてのジビエ活用、さらには地域活性化までを視野に入れた対話の場になっていた。
「ねえ、修くん」
静江が修の隣に座り、小声で言った。
「素晴らしい会になったわね」
「はい、本当に」
「これはね、あなたがいなければ始まらなかったのよ」
修は驚いて静江を見た。
「いえ、静江さんが中心になってくれたから...」
「違うの」
静江は穏やかに微笑んだ。
「私たちはずっとここで暮らしてきたけど、キョンを『食べる』という発想は薄かった。害獣として駆除するだけで精一杯だったの」
彼女は続けた。
「でもあなたが来て、都会の目線で『これって美味しいんじゃない?』と素直に言った。それが私たちの目を開いてくれたのよ」
修は静江の言葉に意外な気付きを得た。確かに、自分は「よそ者」として来たからこそ、先入観なく新しい視点を持ち込めたのかもしれない。
「実は...これに似た経験が東京でもあったんです」
修は少し遠い目をして言った。
「僕は都市開発の営業をしていました。そこでもよく『よそ者だからこそ気づく価値』について語っていたんです。でも当時は、それが形だけの言葉になっていた気がします」
静江は理解を示すように頷いた。
「でもここでは、本当の意味で『新しい目』を持ち込めたのかもしれませんね」
そこへ、みのりが料理を手に近づいてきた。
「二人とも何を真剣に話してるんですか?」
「ああ、修くんの『よそ者パワー』について話してたのよ」
静江はくすくす笑った。みのりも微笑みながら座った。
「それなら私も一言あります。行政の立場から見ると、修さんのような移住者が地域と馴染みながら新しい価値を生み出すケースは、とても貴重なんです」
みのりは真剣な表情で続けた。
「害獣駆除という課題と、地域の食文化、それに移住促進という三つの問題が、キョン料理を通じて繋がるなんて...素晴らしいことだと思います」
三人の会話に、次第に周囲の人も加わるようになった。キョン肉の活用法、地域の課題、移住者と地元民の協力...様々な話題が編み込まれていく。
「そうだ、提案がある」
竹内が皆の注目を集めた。
「このキョン料理の集まりを定期的にやってはどうだ?月に一度とか」
「それはいい考えね!」
静江が賛同した。「その時々の旬の素材と組み合わせて、季節のキョン料理を楽しむの」
「私も参加します!」みのりも手を挙げた。「市の広報にも掲載できるかもしれません」
提案は即座に採用され、次回の日程まで決まっていった。
宴もたけなわとなった頃、静江が立ち上がり、皆の注目を集めた。
「皆さん、今日はありがとうございました。こんなに素晴らしい料理の数々、そして楽しい時間を共有できて幸せです」
静江は一息ついて続けた。
「でも、これは始まりに過ぎないわ。これからもキョン料理を通じて、この地域の絆を深めていきましょう。そして、害獣と思われていたキョンを、貴重な資源として見直していきましょう」
皆が拍手し、「乾杯!」の声が上がった。
修はその場の一体感に深い感動を覚えた。東京での暮らしでは決して味わえなかった、地域の人々との温かな繋がり。それは彼が無意識のうちに求めていたものだったのかもしれない。
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帰り道、修はみのりと一緒に歩いていた。他の参加者はそれぞれの方向へ帰っていったが、みのりの家は修の家の方向だという。
「今日は本当に素晴らしい会でしたね」
みのりが静かな夜道で言った。夏の終わりを告げる虫の声が辺りに響いている。
「ええ、予想以上でした」
「修さんの料理も絶品でしたよ。センスがあります」
「ありがとうございます。みのりさんのカレーも、『誰でも作れる』というコンセプトが素晴らしかったです」
二人は暗闇の中、お互いの顔は見えなくても、笑顔を感じ取っていた。
「実は...」みのりが少し躊躇いながら切り出した。「市の方でもっと本格的なキョン料理コンテストを企画できないかと考えているんです」
「コンテスト?」
「はい。今日のような家庭料理の部門と、プロの料理人による部門と両方で。『千葉キョン料理コンテスト』とか...」
修は興味深そうに聞いていた。
「それは面白そうですね。プロの料理人も参加するんですか?」
「ええ、市内のレストランにも声をかけてみようと思っています。ジビエ料理に挑戦してみたいシェフは結構いるみたいなんです」
二人は話し込みながら歩いていると、修の家に着いてしまった。
「あ、ここが僕の家です」
「そうでしたね」みのりは少し残念そうだった。「また市の計画について詳しくお話しする機会があれば...」
「ぜひ。お茶でもどうですか?」
修は思い切って誘ってみた。みのりは少し考えてから、微笑んだ。
「ありがとうございます。でも今日は遅いので、また今度ぜひ」
「そうですね、また今度」
二人は名残惜しそうに別れた。修は家の中に入りながら、今日という一日の充実感を噛みしめていた。
静江の家で過ごした時間、様々な人々との交流、そして帰り道でのみのりとの会話。すべてが心地よい余韻として残っている。
キッチンに立ち、持ち帰ってきた様々なキョン料理の残りを冷蔵庫に入れながら、修は思った。
「これが田舎の暮らしなんだ」
人と人が食を通じて繋がり、地域の課題を皆で考え、解決策を模索する。都会の暮らしでは得られなかった充実感がここにはあった。
修はテーブルにノートを広げ、今日の料理や会話の内容を詳細に記録し始めた。各家庭の料理のレシピ、保存方法のコツ、地域資源としての活用アイデア...すべてが貴重な知恵として残しておく価値があった。
窓の外では、満月が山々を照らしていた。修の「学びのノート」には、キョンとの闘いから始まった物語が、今や地域全体を巻き込む大きな動きへと発展していく様子が記されていた。
素人たちの舌が認めた「キョン料理」は、この地域に新たな風を吹き込み始めていた。
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