第7話「品評会は突然に」

焚き火での成功体験から一週間が経った頃、修は竹内から連絡を受けた。


「修、新しいわなを仕掛けようと思うんだが、手伝いに来ないか?」


これまで以上に本格的なわなの設置法を学べる機会だ。修は喜んで承諾した。


「はい、ぜひ!いつがいいですか?」


「今日の午後はどうだ?いつもと違う場所に仕掛けてみたい」


数時間後、修は竹内と共に森の奥へと向かっていた。いつもより深い藪の中、獣道らしき細い道を歩いていく。


「この辺りは人があまり入らない。だから警戒心の強いオスが通ることが多い」


竹内の説明に、修は感心してメモを取った。これまで捕獲してきたのは比較的若いメスや小型の個体ばかり。大きなオスはより用心深く、人間の気配がする場所には近づかないという。


「オスは肉質も違うのか?」


修の質問に、竹内は少し考えてから答えた。


「基本的には同じだが、成獣オスは筋肉質でやや硬い。だが、煮込み料理には最適だ。特に冬場は脂がのって美味い」


二人はキョンの足跡が集中している場所を見つけ、そこに高性能のわなを設置した。修が今まで使っていたものより複雑な構造だが、より確実に獲物を捕らえる仕組みになっている。


「こういうわなは、猟友会の経験者でないと使えないものだ。特別に教えてやる」


竹内は信頼の証として、この技術を修に伝授してくれていた。修はその意味を理解し、誇らしく思った。


設置作業を終え、二人が森から出ようとしたとき、竹内が立ち止まった。


「ん?」


「どうしました?」


「匂いがする。キャンプファイヤーのような...」


確かに、風に乗って薪の燃える香ばしい匂いが漂ってきていた。二人は匂いの源を探して歩き出した。


しばらく進むと、開けた場所に出た。そこには意外な光景が広がっていた。


修の家の裏庭だった。


「あれ?どうして...」


修は混乱した。森の中を歩いていたはずが、気づけば自分の家に戻ってきていたのだ。しかも裏庭では、静江が大きな鍋を火にかけていた。


「あら、帰ってきたの?ちょうどいいわ」


静江は振り返りもせずに言った。まるで修たちの到着を予期していたかのように。


「静江さん、何をしているんですか?」


「キョンのシチューよ。あなたが冷凍していた肉を少し借りたの。佐々木さんに鍵の場所を聞いたのよ」


修は唖然とした。勝手に家に上がり、冷凍庫の肉を使うとは...。しかし不思議と怒りはわかなかった。それよりも、静江が作るシチューの匂いに引き寄せられる感覚のほうが強かった。


「いい匂いですね...」


「でしょう?特製のハーブミックスを入れたの。キョン肉の臭みを消すのに最適なのよ」


竹内も近づいて鍋を覗き込んだ。


「なるほど、これは上手くやってるな」


「竹内さんも一緒に食べていきなさいよ」


静江の誘いに、竹内は少し照れくさそうに頷いた。


修は呆気にとられながらも、テーブルや椅子を庭に運び出した。どうやら突然の食事会が始まるらしい。


「あ、そうそう」静江は思い出したように言った。「近所の人たちも呼んであるから」


「え?」


「焚き火の匂いに釣られて、もうすぐ来るわよ」


その言葉通り、程なくして佐々木が姿を現した。


「やあ、修くん。いい匂いがするから来てみたよ」


佐々木の後ろには、前に畑で会った地元の農家の人々も続いていた。皆、手には何かしら食べ物や飲み物を持っている。


「これは...どういう状況なんですか?」


修が静江に尋ねると、彼女はくすくすと笑った。


「田舎の交流よ。美味しいものがあると人が集まる。それだけのこと」


みるみるうちに、修の裏庭は人で賑わうようになった。十人ほどの地元住民が集まり、思い思いの場所に陣取っていく。誰もが自然な流れで、まるで計画されていたかのように振る舞っていた。


「修さん、これ飲みなさい」


見知らぬおじいさんが、自家製の梅酒らしき瓶を修に手渡した。


「あ、ありがとうございます...」


混乱しながらも、修は梅酒を受け取り、小さな杯に注いだ。


そうこうするうちに、静江の「できたわよ〜」という声が上がった。大きな鍋から、キョン肉のシチューが振る舞われる。


「はい、みなさん、お待ちかね!キョンシチューです!」


静江は誇らしげに言った。集まった人々は次々と小皿を手に取り、シチューを受け取っていく。


「おお、これは美味い!」


一人の農家らしき男性が声を上げた。


「これ本当にキョン?鹿よりあっさりしててうまいじゃない」


別の女性も感心した様子だ。


「肉質が柔らかくて、スープがよく染みてる」


「このハーブの香りが絶妙だね」


次々と感想が飛び交う中、修は自分でも一口シチューを口に運んだ。


確かに美味しい。静江の腕は確かだ。キョン肉の旨味を最大限に引き出し、独特の風味を活かしながらも、誰もが食べやすい味わいに仕上げている。


「どう?美味しいでしょう?」


静江が得意げに尋ねてきた。


「はい、最高です!でも...なぜ急にこんなことを?」


「だって、あなたが捕まえたキョンが美味しいって評判になったじゃない。みのりちゃんが市役所で皆に配ったって聞いたから」


なるほど、みのりが市役所の同僚に修のキョン肉を配ったことが、地域の話題になっていたようだ。


ちょうどその時、軽トラックのエンジン音が聞こえてきた。みのりが到着したのだ。


「修さん、こんにちは!...あれ?皆さんも」


みのりは庭の光景に驚いた様子だったが、すぐに状況を理解したようだ。


「噂を聞いて来てみました。でも、まさかこんな品評会になっているとは」


「品評会...」


修はその言葉を反芻した。確かに今の状況は、自然発生的な「キョン肉品評会」のようなものだった。


「みのりちゃんも食べなさい」


静江がシチューを差し出すと、みのりは喜んで受け取った。


「いただきます...うわ、これ本当に美味しいです!」


みのりは目を輝かせた。


「これはぜひ市長にも食べてもらいたいですね。キョン対策の新しい視点になると思います」


会は徐々に盛り上がっていった。誰かが持ってきた地酒が回され、別の人は自家製の漬物を振る舞う。修のキョン肉のシチューを中心に、即席の宴会が展開されていった。


「修くん、ちょっといいかな」


佐々木が修を脇に呼んだ。


「この土地に来て、もう何ヶ月になる?」


「えっと...五ヶ月ほどです」


「そうか。最初は『東京から来た変わり者』だったけど、今じゃすっかり地域の一員だな」


佐々木は遠くを見つめながら言った。


「この辺りは高齢化が進んでいてね、若い人が少ない。だから君みたいな新しい風は貴重なんだ」


修は胸が熱くなるのを感じた。自分が「地域の一員」として認められているという実感。それは東京では決して得られなかった感覚だった。


「ありがとうございます。でも、まだまだ分からないことだらけで...」


「それでいいんだよ」佐々木は笑った。「分からないから質問する。質問するから会話が生まれる。そうやって繋がりができていくんだ」


その言葉に深く頷きながら、修は改めて集まった人々を見渡した。年齢も職業も様々だが、今はみな同じテーブルを囲み、同じ食べ物を味わっている。


その光景に、修は心地よさを覚えた。


---


宴もたけなわとなった頃、静江が声を上げた。


「皆さん、聞いてください!実は私、キョン肉のレシピをいくつか考えたんです」


集まった人々が静江に注目する。


「シチューだけじゃなく、煮込みハンバーグ、燻製、味噌漬け...色々試してみたいの。だから、修くん、また捕ったら分けてくれない?」


「えっ、はい、もちろん...」


「私も挑戦してみたいわ」


中年の女性が手を挙げた。


「うちの子供たち、鹿肉は苦手なんだけど、キョンなら食べられるかもしれない。ミートソースにして隠し味にしてみようかしら」


「俺も燻製に興味があるな」


別の男性も発言した。


「燻製なら長期保存できるし、酒の肴にぴったりだ」


次々とアイデアが飛び交う。キョン肉を使った料理のレシピや保存方法、調理のコツなど、話題は尽きなかった。


「これは...」みのりが修に近づいて小声で言った。「想像以上の反応ですね」


「ええ、まさか皆さんがこんなに興味を持ってくれるとは」


「実はこれ、獣害対策として非常に重要な要素なんです」みのりは真剣な表情で続けた。「捕獲するだけでなく、『食べる』という文化が根付けば、持続的な対策になります」


修は深く頷いた。確かに、キョンが単なる「害獣」ではなく「食材」として価値を持つことで、地域全体の取り組みが変わってくる。


「さて、次回は私の家で集まりましょう!」


誰かがそう提案し、皆が賛同の声を上げた。


「キョン料理の持ち寄りパーティーね!」


「そうそう、各自の家庭の味を競い合いましょう!」


話は勝手に進み、次回の集まりの日程まで決まりかけていた。


修は思わず笑みがこぼれた。何もかもが自然な成り行きで、計画通りではないのに、理想的な方向に進んでいく。これが田舎の人間関係なのかもしれない。


「修さん」みのりが声をかけてきた。「市の講習会の前に、こういう地域の声を集めておくのは貴重です。記録に残してもいいですか?」


「はい、もちろん」


みのりはスマートフォンを取り出し、集まった人々の了承を得ながら、料理の写真や感想を記録し始めた。行政としても、こうした草の根の動きを大切にしたいという姿勢が伝わってきた。


---


日が傾き始め、人々が少しずつ帰り始めた頃、竹内が修に近づいてきた。


「今日は良い日だったな」


「はい、本当に」


「獣を獲ることと、人と繋がることは似ているんだ」


竹内は哲学的な口調で言った。


「どういう意味ですか?」


「どちらも『待つ』ことが大切だ。急いては結果が出ない。でも、正しい場所に正しいわなを仕掛けておけば、自然と獲物は寄ってくる」


竹内は広がった宴会の場を見渡した。


「今日も同じだ。お前が正しい『場』を作ったから、自然と人が集まった」


修は竹内の言葉に深い意味を感じた。確かに、自分が意図したわけではないが、この場は自然発生的に生まれた。しかしそれは、これまでの自分の行動や人との関わりが土台になっていたからこそだろう。


「ありがとうございます、竹内さん」


竹内はぶっきらぼうに頷くと、「じゃあ、また明日、わなの確認に行こう」と言って立ち去った。


最後まで残ったのは静江だった。彼女は鍋を洗いながら、修に言った。


「今日は楽しかったわね」


「はい、でも突然のことで驚きました」


「田舎はそんなものよ」静江は微笑んだ。「計画なんてなくても、その場の流れで何でも始まる。それが魅力でもあり、難しいところでもあるの」


修は静江の言葉に共感した。都会の生活では、ほとんどのことが計画的で、予定通りに進む。しかし、ここでの生活は違う。自然のリズムに合わせ、人との繋がりの中で、予期せぬ出来事が次々と起こる。


「次回は何を作りますか?」


「そうねぇ...」静江は考え込んだ。「キョンのミンチを使ったコロッケなんてどうかしら?昔、ウサギで作ったら評判良かったのよ」


「それは食べてみたいです」


「じゃあ、決まりね!」


静江は片付けを終えると、修に手を振って帰っていった。


残された修は、庭に座り込み、今日の出来事を振り返った。朝は単なるわな設置の手伝いのつもりだったのに、気づけば地域の人々との交流会になっていた。そして、キョン肉への評価が予想以上に高かったこと。


「素人グルメの品評会...」


修は小さく呟いた。この言葉には不思議な響きがあった。専門家ではない、ただの「素人」たちが集まり、自分たちの舌で判断する。それはある意味、最も正直な評価だ。


修はキッチンへ戻り、残ったシチューを一口すくって口に入れた。冷めても美味しい。改めて静江の料理の腕前に感心する。


スマートフォンを取り出し、今日の出来事を「学びのノート」に記録し始めた。


```

今日の発見:

1. キョン肉は地元の人々にも好評

2. 特に「鹿よりあっさり」という評価が多い

3. 様々な料理法の可能性(シチュー、ハンバーグ、燻製など)

4. 「食べる」文化が獣害対策の持続性に繋がる

5. 食を通じた地域交流の力

```


記録しながら、修は今日の出来事が単なる偶然ではなく、何か大きな流れの一部なのではないかと感じていた。キョンという外来種と人間の新しい関係。害獣であり資源でもあるその両義性。そして、それを通じて生まれる人と人との繋がり。


窓の外を見ると、夕日が山々の向こうに沈みかけていた。東京では感じられなかった、穏やかな充実感が修の心を満たしていた。

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