第2話 碧の秘密
碧と辿り着いた家の裏手には、広い馬小屋と放牧場がある。碧は私の腕から降りると、馬たちの方に走って行った。
「気を付けて!」
「はぁい!」
走っていく碧の髪がさらさらと流れ、隙間からぴょんっと丸い耳が飛び出す。そして着物につけてある隙間から、丸っこく短いしっぽが生えてきた。その先は二又に分かれている。
「碧! 人が来たらきちんと変化してね」
「うんっ!」
碧が満面の笑みで頷きながら放牧場に入ると、馬たちも碧を追いかけるように走り出す。駆け回る碧の姿は小さく縮む。百センチちょっとの身体が、六十センチほどに小さくなる。駆け回る脚は二本脚から、前脚が二本、後脚が四本に。大きな爪が地面を掴んで駆け回る。
見て分かる通り、碧は人間ではない。ましてや、私の実の娘ではない。碧は、雷とともに私の元に舞い降りた天使。正確に言えば、着地に失敗して気絶していた雷獣。
かれこれ七年、娘として育てている。碧は変化ができるから、町へも二人でよく買い物に行く。けれど小さいころは今ほど上手に変化ができなくて、よく耳としっぽが出てしまった。だからいつも、黒い頭巾と羽織で隠していた。
一生懸命変化の練習を頑張った碧は、もう多少びっくりするくらいでは耳としっぽを出すことはなくなった。だから、友達を作って欲しくて手習所へ入学させた。全く友達の話が出てこないから、心配ではあるけれど。
「友達を作るより、馬と駆け回る方が楽しそうだな」
天真爛漫な姿を眺めながら、ふっと笑ってしまう。
楽しそうな碧を横目に、私は家に入る。ここは駅。駅伝用の馬を預かる場所。飼育場所はトウレンジ南部の牧場だが、駅伝に仕様するために、各門に一定数の馬を配置している。
普通はここに常駐する者がいる。けれど西門では私がこの家を借りる代わりに馬たちを預かり、出入りをする人々への貸出を行っている。駅伝用の馬を借りたいときには門で手続きをすることになっているので、私がこの仕事をしていてもあまり難はない。
ちなみに私がこの家を離れて、かつ警備についていない時間には、西門隊の同僚がここへ来て馬を連れ出す。彼らは家には入れない上に、私がここにいないときには碧も一緒に連れだしている。だから出入りがあっても大きな問題はない。
「さてと。おやつの用意をしましょうか」
窓から放牧場の様子を見ながらおやつを用意する。昼食は手習所で食べてきているとはいえ、あれだけ元気に遊べば、お腹が空いて当然だ。
放牧場のそばにある山で採った木の実。それをガリガリと擦って粉にする。それを小麦粉とさらさら混ぜて、油をとぽとぽ。砂糖と卵を入れて、こねこね。
小さく切って整形。板に載せて、窯で焼く。洗濯を取り込んだり、部屋の掃除をしたり。そうこうしているうちに焼き上がってくれたから、これで完成。特製どんぐり焼きだ。
碧は基本的に雑食。好物はヘビとかカエル、あとはトウモロコシ。碧のために、家の裏の畑でトウモロコシを育てている。食費がかなりかさむ、ということもあるけれど。
「碧! おやつできたよ!」
窓から外に叫ぶころには、匂いを嗅ぎつけた碧がこちらに向かって走り出していた。
「お馬さん! またね!」
碧は走りながら変化する。一番好きだという、獣人の姿。完全に人間になるのは疲れてしまうけれど、これくらいならもう慣れたものらしい。
「ただいま!」
「うん、おかえり。手洗いしてね」
「はぁい!」
獣化して遊んでくれると、着物は汚れないから有難い。ただ、身体についている汚れはあるけれど。今日もどこかで馬糞を踏んだらしい。釜戸でお湯を大量に沸かし始める。
「碧、先にお風呂だね」
「えぇ、どんぐり焼きは?」
「お風呂の後だよ。身体中泥んこでしょ? お部屋が汚れちゃうよ」
「はぁい」
明らかに不服そうな碧を連れてお風呂に向かう。お風呂はキッチンの前にある窓の下。銭湯のように湯船はない。碧のために目隠しを作った、お湯を被るだけの場所だ。先に沸いたお湯に布を浸けて、それで身体を拭う。それから米ぬかを布袋に入れて、優しく洗ってあげる。
元々精米をしたときに出るものだし、使わなければゴミになる。だから使わなければ勿体ない。そして使い終わった米ぬかはとうもろこし畑の肥料にしているから、最初から最後まで無駄がない。
「とうさまも、お風呂入る?」
「入ってしまおうかな」
私も服を脱いで、身体を洗う。私も仕事終わりだから、汗を流してさっぱりした。秋になったといえど、日当たりが良いところに立っていれば暑くもなる。
「碧、流すぞ?」
「はぁい!」
碧がギュッと目を閉じる。私は桶のお湯を頭からザバッと掛けてあげる。びしょびしょに濡れた碧は、ブルブルッと身震い。お湯がビシャビシャと周りに飛び散って、碧の毛並みはすっかり元通り。米ぬかのおかげか、お肌もつやつやぷるぷる。
「よし、私も」
頭からザバッと被って、頭を軽く振るう。先に碧の身体を布で優しく拭いてあげて、着物を着せ直してあげる。私もササッと拭いて、着流しを羽織る。
「さあ、入っておやつを食べようか」
「うんっ! おやつ!」
碧は喜び勇んで家の中に入って行った。私も家に入ると、碧はちょこんと机について短いしっぽをふりふりしている。
「はいはい。待っててね」
つい笑みが零れる。どんぐり焼きと一緒にお茶を淹れて、二人で食卓を囲む。碧は大きなお口を開けてぱくっとかぶりついた。
「美味しい!」
「ふふ、良かったよ」
私も食べてみる。うん、灰汁もなくて味は問題ない。カリカリとした食感も良い。少し時間が経って冷めているからサクホロな感じはないけれど、これはこれで美味しい。
これを食べ終わったら、碧の課題を見てあげて、それからお夕飯の用意。碧を寝かしつけたら鍛錬をしよう。
先手組の訓練所があるけれど、私はあまり行っていない。実力を測定するのは年に一度だから、そのときくらいだろうか。起きているならまだしも、眠っている碧を一人残していくわけにはいかない。
ここは町の外。夜盗や動物に襲われてしまう可能性もある。この碧を優先したいという私のわがままを上司たちが聞き入れてくれているのは、この駅の管理や馬の世話をしているからだ。
私がここを離れている間に夜盗に馬を盗まれたり、動物に殺されてしまったり。そうなれば、ここを管理している私だけでなく、任命した上司たちも責任が問われる。そういう事情もあって、鍛錬を怠らなければ訓練所に行かなくて良いことになっている。
責任を引き受ければ権利を得られる。先手組はかなり優良な働き場所だと思う。給金も良いけれど、そこは命を掛ける仕事だから、ということもある。碧を育てるためにお金は必須だし、助かっている。
夜中に門番が襲われる事件も他の町では起きているけれど、警戒を怠らなければ昼班が危険になることは少ない。危険度が高い分朝班と夜班は給金が高い。
新人時代はお金もないし、戦闘経験も欲しかった。だからそちらを希望していたけれど、碧と暮らし始めてから昼班で良かったと思うようになった。碧とできるだけ一緒にいたい。それは碧の身を案じていることもあるけれど、私のわがままでもある。
「ごちそうさま!」
こうやって満面の笑みを見せてくれるうちに、そばにいたい。
碧との出会いは突然の奇跡だった。雷と共に振ってきた碧。今でも雷が鳴ると天に駆け上って、雷と共に落下してくる。その姿を見ていると、碧がそのまま帰ってこなくなる日が来るのではないかと怖くなる。
その日が来るまでは。一日、一時間、一分、一秒。ほんの少しでも良いからそばにいて、二人で笑いたい。
だって碧は、私の娘だから。
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