第3話 白昼の雷雨
ある日の昼間。季節外れかつ時間外れの雷雨が町を襲った。雷雨の日には、先手組たちは武器を持つことができない。武器に雷が落ちる可能性があるからだ。そのため、門を閉じる。そして担当の隊員は檜櫓の中で待機。
今日は落雷の影響で手習所が休校。碧一人を家に置いていくわけにはいかないから、檜櫓に連れて来た。いつも相手をしてくれる聖さんと、初めて遊ぶ紅焔。碧はそんなこと関係なく楽しそうだ。
とはいえ、本当は雷に乗って遊びたい本能に揺れている。三人で遊んで、どうにか本能を抑え込まないと。ここにいるときに遊んでしまえば、碧の正体がバレてしまう。
「ひぃくん! 抱っこもう一回!」
「ったく」
聖さんはため息を吐きながら私を見てくる。私はにっこりと笑みを返した。申し訳ないけれど、碧の気を逸らすためには止めることはできない。
諦めた様子の聖さんが碧を抱き上げてぐるぐる回る。聖さんは私より十センチちょっと背が高い。碧も視界が高くて嬉しいのだろう。
「碧ちゃん! 俺も抱っこしたい!」
「やっ! ひぃくんが良い!」
碧は満面の笑みで紅焔を却下。紅焔は膝から崩れ落ちた。碧はケラケラと笑う。いたずらっ子という言葉で片付けてしまって良いものか悩ましいところだ。
まあ、実際のところ紅焔は私よりも背が低い。高い高いをされても面白くない、というのが本音だろう。
「おら、こんなもんで良いだろ」
「やぁっ! もっとぉ!」
満面の笑みでおねだりする碧。聖さんは無表情なまま、小さくため息を吐いて碧を再び抱き上げて、そのまま肩車した。
「わぁっ! 高い! とうさま! みてみて!」
「うん、見てるよ」
碧に手を振ってあげると、碧は聖さんの長髪をぎゅっと握ってふわふわ笑っている。聖さんの表情が流石に歪む。
「碧、髪を掴んだら、聖さんが痛いよ?」
「あっ……ひぃくん、ごめんね」
私の言葉にしゅんとした碧は、すぐに謝る。聖さんの髪からも手を離して、おでこに手を回す。聖さんはまたため息を吐いたけれど、すぐに頷いて許してくれた。
「碧、ひぃくん好きだよ?」
「ふん。だからどうした?」
そう言いながらも、聖さんの手は碧の頭をそっと撫でる。紅焔はそんな二人の様子を指を咥えて見ていた。碧は聖さんしか見えていないかのようにキャッキャとはしゃいでいるから。
私は紅焔のそばに寄っていって、自宅から持参しておいた物の一つを
「紅焔、こんなのはどうかな?」
「こ、これは、まさかっ!」
「ああ。そのまさかだ」
紅焔は俺が渡した物を手に、碧に近づいていく。
「碧ちゃん! これやらない?」
紅焔が手にしているのは、碧が大好きな毬玉。聖さんに夢中だった碧の目が、毬玉に釘付けになった。
「たまの、毬」
ジーッと毬玉を見つめる碧の目の前で、紅焔は器用に蹴鞠をして見せる。碧はぽんぽんと宙に浮く毬玉に夢中。その身体が傾いて、聖さんの肩から落ちそうになる。それに気が付いた聖さんは、咄嗟に碧を腕に抱き留めた。
「危ねぇぞ」
「えへへ、ごめんなさぁい」
碧はあまり気にしていない様子でにへらと笑う。確かに、碧ならば高所からの着地なんてお手の物。けれどそんなことを言ったって、碧のことが心配な気持ちは変わらない。私はホッと息を吐いた。
「ありがとうございます、聖さん」
「全く。こいつは本当に落ち着きがないな」
碧は聖さんの手で床に下ろされると、何事もなかったかのように真っ直ぐ紅焔のところに走って行った。
「こぅちゃん! たまも! それやる!」
「お、碧ちゃんも蹴鞠できるの?」
「できない! やる!」
碧は目をキラキラさせる。紅焔は苦笑いを浮かべながら、碧の前でゆっくりと毬碧を蹴り始める。
「こうやって、リズム良くね」
「すごぉい!」
目をキラキラさせる碧に、紅焔は気を良くしたのか少しテンポを上げる。その姿に、碧は毬玉を懸命に視線で追いかける。全然目が追い付かなくて、次第に身体がふらふらと揺れ始めた。
「おい、紅焔。そいつが目を回してるぞ」
「えっ、あ、ごめんね! 碧ちゃん!」
よたよたしている碧を後ろから支えてあげる。碧はぽてっと私の手に収まった。覗き込んだその目はゆらゆらと揺れている。
「碧、大丈夫か?」
「う、うん」
碧がぼんやりとした声で返事をした瞬間、檜櫓の中に閃光が煌めいた。
ミシミシッ……ドゴォーン……
立て続けに響いた雷鳴。私は咄嗟に碧を抱き寄せた。
「近いな」
「火災が起きていなければ良いんですけど」
「ちょっと見てくる。春燈と紅焔はここで碧と待ってろ」
そう言い残して、聖さんが外套を羽織って外に出ていった。ふらふらが収まったのか、付いて行こうとする碧を抱き締めて止める。
「むぅ! たまも行くっ!」
「ダメだ。碧。今日はダメ。お願いだから、ね?」
しっかりと胸に抱きしめて、碧が外に出ないように拘束する。紅焔は苦笑いして、碧の顔を覗き込む。
「そうだぞ。雷鳴ってるときに外に行くなんて、危ないからな。晴れたらお外で遊ぼうな?」
紅焔の言葉に碧は頬をぷくっと膨らませて、つーんとそっぽを向いてしまった。そんな顔をされると心が揺れるけれど、しっかりと抱き締める。
「碧、お願いだよ」
図らずとも、声が弱々しくなってしまう。碧が天上から帰って来なくなることも、碧の正体がバレて捕縛されることも怖い。
「とうさま、たま、ここにいる。だから、泣かないで」
碧の小さな手が私の頭に触れる。その温もりは確かにここにあって、私はホッと息を吐いた。
「ありがとう、碧」
私はさらに強く碧を抱き締める。碧に気を遣わせてしまって、不甲斐無い。ダメな父親かもしれないけれど、失いたくない。
「あの、春燈さん。碧ちゃんのお母さんって、その」
紅焔は言いにくそうに言葉を濁す。そんなに聞きづらいならば聞かなければ良いのに、とは思うけれど、紅焔の性格だ。聞かずにもやもやする方が苦手なのだろう。
「碧は、私の実の子ではないよ。碧がまだ赤ん坊だったころ、西門の前に倒れていたところを保護して、私の娘として育てているんだ」
「そ、そうなんですか?」
紅焔は目を見開いた。彼の脳内を覗くことはできないが、何やら懸命に考え込んでいる様子だ。
「ということは、春燈さんは、結婚は?」
「していないよ」
「え、でももう二十五歳ですよね?」
二十五歳なら、もう結婚している人の方が多い。お見合いでもしてさっさと身を固めろと、上官たちからも言われている。けれど碧を失いたくない。碧の正体を隠し続け、碧と少しでも長く共に生きていけるなら、結婚などしなくても良い。
「幸い、私は三男だ。家は兄が継いでいるし、甥や姪も立派に育っている。私が結婚をしなくても、大きな問題はないさ」
「そう、かもしれないですけど」
紅焔はどこか不満げだ。
「それはそうと、紅焔こそ結婚は考えているのか? 先手組にいるんだ。好意を寄せてくれる娘はいるだろう?」
実際、私もそれなりに声は掛かる。今までは聖さんと先任の先輩が既婚者だったこともあり、私に目が向いていた。しかし私が碧と町を歩くようになってからはそういう誘いも減った。未婚であることを知る者から少し言われる程度だ。
「俺は、まだ弱いですから。そういうのは早いですよ」
あっけらかんと笑う紅焔。恨みや妬みではなく、純粋な憧れでこの道を選んだ者特有の明るい笑みだ。私や聖さんにはない、眩しさ。
「行き遅れないようにね」
「春燈さんには言われたくないですよ」
「大丈夫! とうさまは、たまと結婚するから!」
突然碧がそんなことを言いだしたから、紅焔がニヤニヤする。私は必死に頬の緩みを抑えて碧を抱き締めた。
「それなら、碧が大きくなるまで、待っているからね」
「うん!」
私は碧と額を合わせた。
「ははっ、春燈さん、ニヤニヤしすぎですよ」
「う、うるさいな」
私は慌てて表情を引き締め直して、碧に微笑みかけた。
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