もんばんは

こーの新

第1話 門番


 空高く、鳶が旋回している。眩しく照らす太陽の光に、右手で庇を作って目元を庇う。



「ふふ、今日も良い天気だね」


「うん! とうさま、空、青い!」


「そうだねぇ」



 左手で握った小さな手のひら。丸顔に収まる垂れ目とまろ眉。ふわふわした栗毛と、全てが可愛らしいこの子は、私の娘。名前はたまと言う。碧は今年七歳になったので、春からは朝、二人で一緒に町へ向かう。


 ここはトウレンジ。この世界の東にある島国、サクルメの中心部、シナンドウにある町だ。晴天率が高いことと山岳地帯にあることが特徴だろうか。


 そしてトウレンジにある四つの門。目の前に見える木造りの大きな檜櫓はその内の一つ、西門だ。ここが先手組西門隊に所属している私の職場だ。


 西門に到着すると、手習所へ向かう碧とはここで一度お別れ。半年が経つけれど、お見送りにはまだ慣れそうにない。


 腰に差した刀と背負った槍を避けながらしゃがみ込む。碧と視線を合わせると、碧の翡翠色がキラキラと輝いている。その色素の薄い瞳に映る私の切れ長な目には赤みのある黒い瞳が収まっている。髪は生まれつき白に近い銀髪。全く似ていない。



「碧、良いね? 気を抜いてはいけないよ」


「うんっ! 頑張る!」



 碧は満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。その小さなふわふわした頭を優しく撫でる。碧の命に係わるお約束だ。これまで何度も、何十回何百回と言い聞かせてきたから、きっと大丈夫。



「お勉強中、お日様が気持ち良くても、眠ってはいけないよ」


「いってきます!」



 こちらの忠告は聞く気がないのか、私の手をすり抜けて門の方に走っていく。



「全く」



 西門には夜警を務めていた朝班の同僚たちと、私と同じく昼間の警備を務める先輩がいる。碧は門でいつものように身分証を出して町に入る。私を振り向いて短く手を振ると、お気に入りの黒地に桃色の昼顔が咲く着物の裾を翻して走って行った。



「元気だなぁ」


「ふん、呑気なやつだ」


「ふふ、おはようございます。ひじりさん」



 赤黒い着流しの上から既に西門隊の証である白い羽織を着ている。先に引継ぎを終えたらしい。腰に刀を差し、薙刀を地面に突き立て朝の陽射しに長髪を煌めかせている。


 先手組西門隊の先輩で、先手組に所属する隊員の中でもかなりの強者だ。門番である先手組ではなく、町の警備を担当する町奉行や犯罪者の捕縛を行う火附盗賊改に配属されてもおかしくない。ただ、気難しい性格なので役人に担ぎ上げたくない御上が多い。



「早く引継ぎを済ませて来い」


「はい、行ってきます」



 檜櫓の中で、引継ぎの話を聞きながら弓矢と鉄砲の手入れをする。これは有事の際の武器だ。先手組は戦になるとここから武士たちより早く、先陣を切って戦場に向かわなければならない。そんな事態は無いに越したことはないけれど、準備は欠かさない。


 弓矢と鉄砲の手入れを終えたら、白と黒の布を縫い合わせて作った着流しの上から白い羽織に腕を通す。背中には、先手組の紋であるシジミチョウが羽ばたいている。持参した長刀と短刀を腰に差し直し、槍を手にして門に立つ。



「遅かったな」


「すみません。今日から配属になったという朝班の新人くんと挨拶をしていました」


「ああ、アイツか。全く、昼班の新人はいつ来るんだ」



 聖さんは深々とため息を吐く。今日は各班に一人ずつ訓練を終えたばかりの新人が配属されると通達があった。



「まあまあ。勤務時間まで十分はありますから」


「ふん。先輩より遅い後輩があるか」


「あらら。すみません」



 私もいつも聖さんより遅く到着する。碧の朝の用意をしていると、どうしても遅くなってしまう。碧は元気過ぎて着物がすぐに崩れてしまうから、何度か着直させる必要がある。手習所では自分で直すけれど、家では甘えたがりだ。



「ニヤけるな。どうせ娘のことを考えているんだろ」


「ふふ、バレましたか」



 聖さんは呆れたように私を見下ろす。嫌悪感はないようだから、隠すことなくデレデレさせてもらっている。



「お、遅くなりましたっ!」



 そのとき門に駆け込んできたのは、琥珀色の瞳と髪色が印象的な青年。白地に黄色の花火が咲く着流しが着崩れている。



「はぁはぁ。すみません……」


「あらら。大丈夫?」


「ふんっ」



 息を荒げている青年の背中を擦ってあげる。聖さんは鼻を鳴らして青年を睨みつけた。言葉はないまま、ただただ嫌悪を表している。



「す、すみません。間違えて北門に行ってしまいまして」


「あらまあ。それは大変だったね」


「はぁ。東門と間違えるなら分かるが、北門とは間違えんだろう、普通」



 北門は二千メートル級の山の頂に位置している。西門の標高は五百メートルほど。朝から全力で標高差千五百メートルのアップダウンランニングを楽しんできたらしい。それで時間ギリギリに間に合うとは、中々見どころがある青年です。



「お疲れ様。早速だけど、自己紹介をしてくれるかな?」



 眉間に皺を寄せっぱなしの聖さんに代わって微笑みかけると、青年は少し安心した様子で頷いてくれた。ニカッと笑った青年はこほんと咳払いした。



「本日より先手組西門隊昼班に配属となりました、中屋敷なかやしき紅焔こうえんです! よろしくお願いします!」



 元気いっぱいな紅焔。朝から全力疾走してきた人とは思えない。



「オレはひじり晨影しんえいだ。昼班の班長だ。オレの命令には従うように」


「は、はいっ!」



 睨みつけるように見下ろす聖さん。紅焔が怯えていやしないかと伺い見ると、何故か目をキラキラと輝かせている。



「か、かっこいいっ!」


「ふふっ」



 聖さんは嫌そうに眉間に皺を寄せているけれど、紅焔はそんなこと一切気が付いていない様子で尊敬の眼差しを向けている。案外相性が良さそうだ。



「このしなやかな身体と均整の取れた筋肉! 憧れます!」


「良かったですね、聖さん。懐いてくれる後輩ができて」


「全く。何も良くないぞ」



 深々とため息を漏らした聖さんは、額に手を当てて首を横に振った。その姿にすら目を輝かせていた紅焔は、ふと私に視線を向けるとハッとして咳払いした。



「ご、ごめんなさい。興奮してしまって」


「いえいえ。私は桜井さくらい春燈しゅんとう。困ったことがあればいつでも聞いてね」


「はいっ! よろしくお願いします!」



 紅焔は私にもキラキラと輝く瞳を向けてくれた。裏表がなさそうな良い子だ。変な人ではなくて良かった。



「おい、自己紹介は終わったんだ。さっさと準備をしてこい」


「はいっ!」



 紅焔が檜櫓の中に入って準備を済ませて出てくる。白い羽織が良く似合う。門番を私と紅焔、檜櫓の中で行う書類作業と身元不明者の対応を聖さんが行う。


 九時から始まった昼班の任務が終わるのは十五時。朝昼夕、夜の四班が各六時間ずつ任務に当たる。残りの時間は家のことをしたり、鍛錬に励んだり。先手組にいるからには、基本は鍛錬に時間を割くけれど。


 六時間の間、ひたすら門を通行する人の身分証の確認をする。紅焔はなかなか覚えも早くて、すぐに二人で分担して作業ができるようになった。


 あっという間の六時間が過ぎ、夕班と任務を交代した。弓と鉄砲は倉庫に戻して、刀を腰に差し、槍を背中に背負う。隣で聖さんは刀の他に薙刀を背負い、紅焔は三本の刀を腰に差す。



「とうさま、いますか?」



 檜櫓の外から、門番に声を掛ける可愛らしい声が聞こえる。



「私はこれで、失礼しますね」



 聖さんと紅焔に挨拶をして、檜櫓の外に出る。そこには天使、ではなく天使のように可愛らしい我が娘が立っていた。



「碧、おかえりなさい」


「とうさま! ただいま!」



 ぎゅっと抱き着いてきた碧を抱き上げる。夕班の門番たちに挨拶をして、町を出る。碧を抱っこしたまま、門から見える小さな木造りの我が家に向かった。


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