第36話 広い大空に希望をたくして
誰の視界にも入らない場所に差し掛かるとアルトは足を止め、振り返った。
レイも立ち止まり、改めて彼の顔を正面から見る。
眉間に深い
紫色の瞳が迷いを含んだように揺れているのがわかった。
思ったよりもずっと真剣な表情。
少なくとも、喧嘩を売るつもりではなさそうだ。
「……マナのこと、よろしく頼みます」
意を決したように、アルトは深く頭を下げた。
予想外の行動に呆気に取られる。
「そんなこと、何故俺に言う?」
「あんたならマナを守れるから。いや、守ってもらわないと困る。俺には、それができない。だから、あんたにお願いするんだ」
アルトの声はわずかに震えていたが、それでも強く言い切った。
レイは目を細めながら、顔を上げた彼を見据える。
──妖精といい、どいつもこいつも「小娘を守れ」と……。
どこまでいっても面倒な奴ばかりだ。
だが、胸の隅に妙な引っかかりを覚え、それとともに昨日の山での出来事が蘇った。
崖から落ちるマナを見たとき、
それは、誰かに命じられたからではない。
誰かの頼みを聞いたからでもない。
そうしなければいけないと、本能が騒ぎ立てたように後を追っていた。
──『守る』、か。
その言葉を思い浮かべた瞬間、ふっと笑みが漏れた。
誰も彼もが「小娘を守れ」と言ってくる。
妖精も、アルトも、今度は自分自身まで。
結局、どこまでいってもこの面倒事からは逃れられないらしい。
気づけば、皮肉げに口角が上がっていた。
アルトは若干苛立っているようで、眉間の
どうやら、笑っているのが
「こっちは真剣に、恥を忍んで頼んでるんだぞ⁉︎」
じろりとレイを睨みつけながら彼は続けた。
「マナを泣かせたら許さないからな!」
アルトの目は、怒りよりも切望しているように感じられる。
マナが必死に『お願い』をするときに見せる目と、どこか重なるものがあった。
「あいつは泣き虫だからな。泣いても、俺のせいじゃない」
「……俺はお前が嫌いだ」
わざとらしく肩をすくめたレイに、アルトはぶっきらぼうに返した。
言葉には多少の怒気も混じっていたが、その裏にはレイを認めざるを得ないという気持ちが見え隠れしているようだった。
「だけど最後に、筋だけは通す。俺とマナを助けてくれて、ありがとう」
唇を尖らせて不満そうではあるが、小さく腰を折った姿からは、確かな感謝と誠意が感じられた。
そして、ふいっと顔を背け、レイに背中を向ける。
「……もう知らね! とにかく、マナを頼んだからな!」
アルトは照れを隠すように、荒々しくマナたちがいる方へ歩き出す。
──まったく。面倒で騒がしくて、小娘みたいな奴だ。
その背中を見送りながら、軽くため息をついた。
家の正面に戻ると、先ほどと何も変わらず、マナが楽しそうに話し込んでいる姿があった。
「行くぞ」
早くこの場から立ち去りたいと横切ったレイの裾を、マナはぴんと
「待って。もう行くから、一緒に、ね」
彼女が陽だまりのように笑う。
その笑顔に、レイは知らず知らずのうちに足を止めていた。
「じゃあ、みんな。見送りまでしてくれてありがとう。これから先、大変なこともあるかもしれない。だけど私、頑張るから。応援してて」
目に焼き付けるように、マナは一人ひとりの顔を見つめる。
タクトは明るく笑い、リラが力強く頷く。
そしてアルト。
口を開きかけたが何も言わず、代わりに小さく頷いた。
言葉はなくても、みんなの視線が「頑張れ」と背中を押している。
込み上げる感情を押し込むように、マナは大きく息を吸い込む。
視界いっぱいに広がる空が、いつもより青く澄んで見えた。
ここから先、何が待っているのかはわからない。
──でも大丈夫、みんながいてくれる。お母さんも、応援してて。
まだ見ぬ未来を思い描く。
どんな困難が待ち受けていても、いつかそれを「希望」と呼べるように、立ち止まらずに前へ進む。
マナはしゃんと胸を張って、短い言葉に想いを込めた。
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
みんなの笑顔と声が、進むべき道を暖かく照らしてくれるようだった。
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