第09話 蟷螂の斧
歩き続けている内に日が沈み出した。
急いで野営地を選定する。
「よし、ここを今夜の宿営地にしよう」
アルヴィンは公社特製固形燃料を取り出すと、魔術で火を点けた。
いとも簡単に焚き火が準備できた。
その間に、トーマスとクラリッサでテントを設営する。
探索中のテント設営は初めてだが、滞りなく行うことができた。
事前に十分な訓練を行っていたからである。
「さぁて、メシだメシだ」
トーマスは嬉しそうに言った。
まずは鍋に水を入れてを火に掛ける。
川沿いに進んでいるので水の調達は容易だ。
水が温まってきたら、公社特製スープの素をぶち込む。
これは、本国でエドワードが作成したもので、お湯に溶かすだけで美味しいスープができるスグレモノだ。
しかも、本来なら手間のかかるコンソメに近い。
ここにヘビ肉を投入し、しっかりと煮込めば完成だ。
スープ皿によそい、硬いパンと一緒にいただく。
肉と野菜の旨味が口の中に広がる。
「うめぇ! 嵩張る調理器具を持ってきて良かったぜ!」
トーマスは素直に喜びを表現する。
クラリッサは黙ってガツガツと食べる。
「いや~、この環境でこれだけのものが食べれるなんてね。エドワードに感謝だよ」
美食に慣れたアルヴィンですらご満悦だ。
食事が終わった後、後片付けをして、彼らはテントで眠りに落ちた。
……………………。
…………。
夜中、彼らがテントに近づく影があった。
オオカミの群れである。
クラリッサが素早く目を覚ました。
「皆さん! 魔物です!」
その声で、アルヴィンとトーマスも飛び起きる。
「グルルルルルルルルッ!!」
「にゃろう、俺たちを狙うとはいい度胸だッ!!」
すでに魔物との戦いに慣れつつあった、探索班の敵ではない。
3人は圧倒いう間にオオカミの群れを倒してしまった。
「このオオカミたちは明日の朝食かな。食べきれない分は昼食?」
「持ちきれませんね……」
そうして再び彼らは眠りに就いた。
クラリッサはなぜ都合よく目を覚ましたのか?
それはクラリッサが周囲にセンサーとなる植物を張り巡らしているからである。
この魔術によって、彼らは見張りを立てる必要がない。
睡眠時間がしっかりと確保できるのだ。
……………………。
…………。
翌朝、彼らはオオカミ肉を食した後、再び元気に歩き出した。
*
その後も度々魔物が襲ってきたが、大きな障害に阻まれることなかった。
カーティスタウンを経って5日、ようやく森を抜けることができた。
一気に視界が広がる。
さらに進むと、断崖絶壁に遭遇した。
辿ってきた川が、滝になっている。
眼下には圧倒的に広大な原野が広がる。
不思議なことに至るところで岩が空中に浮いている。
「ふむ、相変わらずの絶景だな――」
トーマスは感慨深い様子で言った。
彼からすれば、ようやくここまで戻ってきたという感じだろうか……。
「ここが目的地だよね?」
「そうだ」
ここが『大境界』である。
正確には、その名の通りとてつもない長さがあり、今回訪れたのはあくまで拠点から最も近い地点に過ぎない。
「うあ~、この崖は何百メートルあるんだろう……?」
それは目眩がするほどの高さだった。
「話には聞いていましたが、これほどとは……」
そう――話には聞かされていたのだ。
社員たちは、魔界に向かう前に様々な情報を伝えられている。
しかし、百聞は一見に如かず――とはよく言ったものだ。
それはまさに“絵にも描けない”凄まじさだ。
本物の迫力を前に、人々は絶句する。
「とりあえず、圧倒的な高低差のおかげで、遠くまで見渡せるのは嬉しいね」
アルヴィンは六分儀を覗きながら、どんどん紙に情報を書き込んでいく。
「この崖下の領域を『下界』と呼んでいる。対して、今いる崖上は『上界』だ」
リングドーナツを思い浮かべてもらいたい。
実体の部分が上界で穴の部分が下界である。
ただし、一般的なドーナツと違い、穴の方が広い。
「上界より下界の方が環境が厳しい――だったね?」
「そうだ。
トーマスの険しい顔はどんな過去を思い出しているのだろうか……。
「つまり、僕たちは魔界のことをまだ何も知らない――と」
「――そういうことだ」
自分のセリフを先回りされて、少し悔しそうだ。
「――ところで、あの紫の霧みたいなものは何でしょうか……?」
クラリッサは崖下のとある位置を指差して言った。
そう遠くない場所で霧のようなものが立ち込めている。
それは、紫に近い色であり、通常の霧でないことは容易に理解できた。
「あれが『瘴気』というものかな?」
「例の吸い込んだら死ぬという……?」
クラリッサは若干不安げな表情を見せた。
「確かにあれが瘴気だ。だが、俺たち3人は魔晶石に強い適合性があるから、かなり猶予があるはずだ」
「そういえば、魔晶石と瘴気は深い関わりがあるのでしたね?」
「そうだ。だから、魔晶石を探すなら絶好のポイントだ」
「魔晶石の採掘は避けて通れないね」
「それはつまり、瘴気を見たら中に入るべきってことでしょうか?」
クラリッサは眉をひそめながら確認する。
「残念ながらそういうことになるね」
アルヴィンは肩を竦め、苦笑いしながら答えた。
「瘴気以前に、大事なのはどうやって下界に降りるかってことだろ?」
「う~ん、いくら身体強化していても、この高さから飛び降りたら無事では済まないね」
「仮に飛び降りて無事であっても、今度はどうやって登るかという問題があるからな」
「そうだね~」
「とりあえず、私の魔術で蔓を伸ばしてみましょうか?」
「真顔で言われると冗談かどうか判断に困るね……」
「少なくともロープ類で上り下りするレベルの高さではないぜ……」
「報告書には『下界へ降りた』としか書かれていなかったけど、その時はどうしたの?」
「一応、下に降りられなくもない道がある」
トーマスはさらりと、そんなことを言った。
「そういうことは早く言ってください」
クラリッサはわずかだが不機嫌そうに言った。
「すぐに言ったら“ありがたみ”っつうモンがなくなるだろうが……」
トーマスは笑いながら、無茶苦茶なことを言うのだった……。
「今回の目的地に到達した。ここで野営をして、明日の朝から帰路に着くよ」
そして、アルヴィンたちは背嚢を降ろした。
……………………。
…………。
翌朝――
アルヴィンたちは野営の後始末をして、カーティスタウンに向けて歩き出した。
再び薄暗い森の中を進む。
「次回は、下界に挑むからね」
アルヴィンは興奮気味に言った。
「下界はマジでヤバいからな。しっかりと気を引き締めろよ」
トーマスは鋭い視線で睨む。
「わかってるよ」
「いーや、わかってない。わかっているヤツは、下界に行きたがらない」
「酷いパラドックスだ……」
アルヴィンは肩を竦める。
「社長、トーマスさん、ご笑談はここまでです」
クラリッサが冷たい声でそう言うと同時に雰囲気が一変した。
そして、樹々の緑に紛れていた“それ”は姿を現した。
「巨大なカマキリ――!?」
アルヴィンの言う通り、それは人より大きなカマキリであった。
「気をつけろッ! あのサイズの“虫”は、同サイズのオオカミより強いぞッ!」
トーマスは強く警告する。
「なんていうか、オオカミやイノシシより、大きさの差が激しい分、不気味だね……」
見るからに戦闘的なフォルムはそのままに、人間を脅かす大きさになっている。
カマキリは4本の足でじりじりとアルヴィンたちに近づく。
アルヴィンたちは全神経を集中して、カマキリの出方を見る。
カマキリはゆらゆらと不気味に揺れて、まるでこちらの隙を伺っているようだ。
次の瞬間、カマキリはトーマスに向かって恐ろしい速度で前に踏み出し、鎌を伸ばしてきた。
対して、トーマスは神憑りな反射神経で後ろに下がった。
「――速すぎるッ!?」
アルヴィンは驚きを口にした。
オオカミとの差は歴然である。
トーマスがこの速さに対応できたのは、あくまで過去に戦った経験があるからである。
この攻撃の対象がアルヴィンかクラリッサだったら対応しきれなかっただろう。
トーマスはそれを見越して、わずかにカマキリに近い位置にいたのだ。
「はぁっ!!」
「やぁっ!!」
アルヴィンとクラリッサは同時に剣で攻撃するが、刃を鎌で挟まれてしまったのである。
なんという反応力!
トーマスはその隙にハルバードで攻撃したが、その硬い外骨格に弾かれてしまった。
なんという防御力!
カマキリはそのまま勢いよく鎌を動かし、アルヴィンとクラリッサを衝突させたのである。
その衝撃で2人はうっかり武器を離してしまう。
アルヴィンとクラリッサはすぐに立ち上がる。
「イテテテテテ……なんてヤツだ!!」
カマキリは挟んでいた剣を楽々とへし折ってしまった。
なんという腕力!
腕力、反応力、防御力――3つ揃えた正真正銘の化け物である。
「私たちの強化が失われれば、鉄の剣でも脆いものですね……」
クラリッサは無表情のまま言った。
「武器ではダメだ。トーマス、アレをやるよ!」
「おうよッ!」
この言い方で通じるのはやはり訓練の賜である……。
「これでも喰らえ!!」
まずはアルヴィンによる火炎放射!
これにはたまらずカマキリも怯んだ。
「これで終わりだぜ!」
上方からトーマスの声がしたかと思うと、巨大な岩が落下!
――ドガン!!
カマキリは押し潰された。
ダメ押しとばかりに、トーマスが同じ箇所を狙って何度もハルバードを振り下ろす。
カマキリは動かなくなったところで、トーマスは岩を消した。
「はぁはぁ……なんとか勝てたね……」
アルヴィンはため息をついた。
「本当にカマキリがオオカミより強く、非常に衝撃を受けております」
「上界であの強さの魔物が出てきたというとは、下界では一体どんな恐ろしい生物が出てくるんだ……」
アルヴィンとクラリッサは戦慄した。
「魔界について理解が深まってよかったな。魔界初心者を名乗っていいぞ」
トーマスはニヤニヤしながら言った。
「それにしても、剣が折れてしまいましたね」
クラリッサは折れた剣を拾う。
「技術班に直してもらうしかないね」
アルヴィンも折れた剣を拾うのだった。
*
カマキリという大きな障害を越えて、探索班はカーティスタウンに帰還した。
社員たちが喜々として出迎えてくれる。
アルヴィンたちにとってようやく気が休まる時間だ。
「いや~、無事に帰ってこれてよかったよ」
少し休憩してから、アルヴィンとクラリッサは技術班の下を訪れた。
「おう、社長じゃねぇか? それにクラリッサか」
筋肉モリモリの大男が出迎える。
この男の名前はブライアン・エズモンド。
貴族でありながら、職人的技能に優れるという変わり者だ。
物理や化学にも明るく、技術班班長を任されている。
人は見かけによらない。
「やぁ、ブライアン。ちょっといいかな?」
「ああ、構わないぜ」
ブライアンは笑顔で答える。
「これなんだけけど」
アルヴィンとクラリッサは折れた剣を見せた。
ブライアンはそれを見て、やや険しい表情をする。
「直してほしいのか?」
「うん」
「無理だな」
ブライアンはあっさりと言った。
「無理なの!?」
アルヴィンは驚きを隠せない。
これまで散々公社の技術力の高さを見てきたからだ。
「いや、正確には直せないことはないんだが、新しく作ったものには劣るというべきか……。だから、物品班から新しい剣を借りるのがいいと思うぜ」
ブライアンは何やら回りくどい言い方をしているが、実は技術者なりの誠意ある言葉なのだ。
「わかった」
アルヴィンとクラリッサはすんなりと引き下がる。
「それはそうと、その剣はお前らの私物か?」
突然、ブライアンはそんなことを言った。
公社が所有している武具にはわかりやすく印が付けてある。
今見せられた武器にはそれがないのだ。
「そうだけど」
アルヴィンの剣は自身が魔界に赴くに際して作らせた特注品である。
余計な装飾は不要なので、できるだけ頑丈なもの――という注文だったはずだがこの通り。
「私のは教会から貸し与えられたものになります。それがどうかしましたか?」
一般的に騎士の剣は自前だが、教会騎士には私有財産がないため、貸与されているのだ。
「直すことはできねぇが、新しく作るための材料には使えるからな。ただ、教会のものは貰うわけにはいかねぇな」
「じゃあ、僕の分は進呈するよ」
アルヴィンはそう言って、折れた剣を差し出した。
「理解が早くて助かるぜ。すまねぇな、金属資源は貴重だからな」
ブライアンはそう言いながら受け取った。
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