第9話

祭りの後片付けほど寂しい作業は他にありません。ですので、簡潔におはなしすると、表彰式はしめやかに執り行われました。その最中、自分を責めてあられもなく泣きじゃくるナポリの鼻を上品な、白い花柄のハンケチーフで拭いながらロネーゼは、なお堂々と言います。

 "あらあら、淑女とあろうものが、みっともない。泣くことなどありませんわ、ナポリ。わたくし達は最高の試合をしたのよ。ご覧なさい。この歓声を"

 壇上の前は各々モニターの前から飛び出して駆けつけた観衆で埋め尽くされ、皆、両陣営の健闘が讃えていました。

 "あのままわたくし達が勝っていたら、ここまでの歓声が得られたかしら? 真に大衆が求めるものは下剋上にして番狂せ! 退屈で完成した予定調和出来レースを吹き飛ばす1%の奇跡なのですオホ。そしてわたくし達は立ちはだかる強者として、カルボ達は裸でそれに立ち向かう勇者として、皆一緒になって、それを見事に演じ切ったのですわ。どちらが勝った負けたなどこの美酒の前には顔ダニも同然。胸を張りなさい。これぞ! わたくしの求めた愛と王道のエンターテイーメントですわオホ! おおーーーーーーっほっほっほっほっ"

 そして、中央でロネーゼと意識を取り戻したカルボの厚い握手が交わされたところで放送は終了。どちらが勝者か判らないような姿格好でしたが、この街"村のイーハトーブ"の歴史に刻まれる名試合誕生の瞬間はそうしてやかましく幕引きを迎えたのです。

 そんな光景をモニターの前から見届けて、工房も拍手喝采歌合うたあわせ上等、昼日中からロンチがアルコールを開けてのすでに宴会さながらの様相を呈していました。

 "すげーもんみた! すげーもんみたーっ! やーやっぱ只者じゃあないわ、ペスカのやつ!"

 "……もしあそこでロネーゼチームがこうしてたら、即終了だった。運が味方したんだ。じゃなきゃ完全にロネーゼが勝ってたよ、ロネーゼの方が基本的には強かったし、ロネ……"

 今日は仕事も休業にして、庭は開け放たれ、その梢の間にハンモックをぶら下げてベーゼが寝息を立てる傍ら、ジェノべが安眠音楽の代わりとでも言うようにヴァイオリンを奏でます。

 "どっち? 勝ったの?"

 "ああ、見事なゲームメイクだったよ。どちらも勝者さ"

 "そう……ふぁー、良かったわね……"

 ベーゼはアイマスクも外さずに、再び眠りにつきました。

 "よがっだ……あぁーペスカぁー……今日だけは褒めてあげる……あぁー"

 "あぁーほらほら。鼻水……なんで泣くの?"

 "わがんない……げどみんな、頑張っでだがらぁ……"

 ロゼは試合の途中から泣き出し、終わってもずっと泣くので、ロッソが付き添う傍ら、ビアンゴは少し複雑。

 "でもあれ、ペスカの服、洗濯するの私なんだよなぁ……血ってどうやったら落ちるんだろう。強力なやつで直接やったほうがいいのかなあ。いっそ汚したペスカごと洗濯機につっこんでやろうか……"

 もんもんと残酷な空想を浮かべながら、

 "でもま、頑張ってたし……今日くらいは優しくしてやるか……"

 そうしてちょっと聖母の微笑みを浮かべるのでした。

 その時でした。

 玄関から呼び鈴が聞こえて、

 "ごめんください"

 どこかで聞いたような声がします。

 すぐに反応を示したのはビアンゴとジェノべ、泣きじゃくってどうしようもないロゼやそれを慰めるロッソはさておき、他はガン無視の姿勢を貫いていました。

 "いいよ。僕が出よう"

 "ごめんね。お願い"

 そんなやりとりの後で、ジェノべはヴァイオリンを近くのテーブルに置き、庭の方から玄関に回りました。

 "はーい。どなた……"



 終わってみれば無傷なのはロネーゼ一人で、あとは包帯だらけの面々が控え室を出て、人のまばらになった小島の入り口で顔を合わせたとき、辺りはすでに赤く色づき、影が立ち込めていました。

 ばったりと顔を合わせて、すこし。

 ちょっとした沈黙のあとで、ロネーゼはふぅあさっと横髪を仰いで優雅に近寄ると改めて腕を伸ばします。

 "まさか、最後の切り札が目覚まし時計とは……判ってしまえばなんて他愛のない……"

 "ロネーゼ……"

 カルボは出された腕を前に逡巡している様子でしたが、ロネーゼは構わず、その手を取ると、

 "けれども、この上ない一手だった……"

 "ロネーゼ……"

 強引に手を取られて尚、カルボはためらいます。

 "ぼく……ぼくは——!"

 "はい"

 "…………"

 カルボは、それでもしばらく考えてから、

 "……うん。良い試合だった"

 "ええ。今日はありがとう、カルボ"

 "…………"

 二人の会話はそれで終わりました。

 宵闇に沈むロネーゼらの背中を見送りながら、ペスカとアンチが見ていたのはカルボの背中。

 やがてカルボの足元に水滴がこぼれて、彼女は言いました。

 "二人なら、なんていう? ……ありがとう、も、楽しかった、も、なんだかぼくから言えばお別れの挨拶になるみたいで……!"

 "カルボ……"

 "いえない……! いえないよ、なにも……なにもっ! ぼくは……まだ終わりになんかしたくないからっ!"

 カルボはそんな顔を隠すように、ペスカの胸に押し当てながら絞り出します。

 "情けない……諦めが悪い……それでも、まだ……ぼくにはまだ、ロネーゼが必要なんだっ……"

 その背を優しくぽんぽんしながらペスカは言います。

 "あぁ、うん。私はー、良いと思う。きっとそれは、選択するよりずっと……何よりも苦しいと思うけど"

 "ぼくは、この苦しみと共に生きていくっ……!"

 "うん。それでこそ、カルボも不屈のガラス細工職人だ。そうして描かれた作品はきっと他にはない深い味がするよ——"

 道の少し先、ロネーゼもまた堪えきれない涙をこぼしていました。

 決してカルボには見せず、鼻をすすり、はぁーっとため息をつきながら。

 "わたくしは構いませんわ。元より選択をカルボに委ねたのだもの……けれど。……あぁっ、もうっ。なんて苦しいのっ、恋!"

 "あね様……今晩は夜通し付き合いますよ"

 "もちろんですわっ! こんな日に呑まなくていつ呑むというのオホ! それにしても、こんな病に二千年以上も特効薬がないなんて……人間というのはどこまで愚かなのっ……"

 "あね様……可憐なんだか、アホなんだか……"

 蛇足ですが、失恋の際にその原因を見つけようとすること、過去のやり取りを遡ること、それら叶わなかった恋愛に関して想いを馳せることと、とある行動をしている時の脳の反応は完全に一致するそうです。

 それはなんと麻薬類の解脱行動。

 なんということでしょうか。

 恋は盲目と古くから申されますが、我々人にとって恋愛とはつまり麻薬のような作用を持ち、それゆえに失恋はその快楽物質の喪失が如き耐え難さを以て克服を阻むものなのだ、という研究結果があるのでした。

 しかし。

 しかしながらです。

 克服すべきかどうか、それを決めるのも本人次第です。

 何のために生きるのか。

 何のためなら死ねるのか。

 それを決めるのは他ならないその人だけですから。

 ちなみにこの二つの命題を考えることは、反して自分が幸せに生きられるかの糸口になると言われてます。幸福と目的は関連します。目的が見つからないと思う人は一度考えてみるのもいいかもしれませんね。

 その帰り道、ペスカはアンチとカルボ、二人ととぼとぼ歩きながら続けました。

 "思うんだけど"

 "うん"

 "失敗って口内炎みたいだ"

 "口内炎?"

 "うん。あるときは痛くて辛いけど、治った日にはそれが少し寂しい。だから、今のうちにいっぱい味わっておこうよ。この気持ちをこの目線で想えるのは、きっと今だけだから"

 ——自分や周りにある影に目をつむり光ばかりを見ようとする子供たち。それは幸福でなければならないという強迫観念に取りつかれた社会が生んだ産物でしょう。

 ——光しか見ないからちょっと影に入るとイライラしたりキレたりする。それは決して幸せな姿とは言えません。

 と今回は曽野綾子さんという小説家の言葉を借りましたが、現代の何者かに固執する我々の姿を見事に捉えているように思えて仕方ありません。

 かの世界的に有名なアニメ映画監督も、人生の目的が自分が幸せになることだというのはどうも納得できないんですよ。普段幸せだなぁと思ったことなんてない。そんなことを目的にして生きているとは思えない。とカメラの前で仰っています。

 誰かの栄光にあやかって自分もまた輝いてるかのように振る舞っても、そんな小狡賢さが余計に際立つだけのことではないでしょうか。

 どうでしょうか。笑。

 成功ばかりを甘やかして、陰で闘うものらを笑う私たちだから、いつも心にガラス細工職人。

 失敗を糧に、自分だけの作品を育てて、今日も職人たちの日々は続いていくのでした。



 "やぁ、誰かと思えばジェノべ。久方ぶりだね"

 玄関の前に立つ人物を認めて、ジェノべの双眸は大きく見開かれ、驚愕に震えます。

 夕張メロンのようなオレンジ髪に程よいサイズの白いハットを乗せて目を細めるおしゃれなお姉さん。

 白を基調とした燕尾服を見事に着こなすその姿はスタイルの良さはもちろん、とりわけ腰の高さ、すらりと伸びた細い脚線美に目を奪われる完璧な整い方でした。

 が、一見してキツネのような印象から、その目が開かれ、自分を見据えるととたんに雰囲気が変貌します。

 瞳孔の開き切った虹彩。笑顔に見えて、まるで感情の読めないお面のように無機質な顔つき。ジェノべはすでに汗が止まりませんでした。

 それに、その姿にジェノべは驚きを隠せませんでした。

 お姉さんなのです。その身長は職人であるジェノべを優に超えて、大人の様相を呈していたのです。

 "お、おまえ——いや、あなたは!"

 "未だ、続けていたんだ……こんな、詮無い事を"

 長身からジョンレノンフレームの丸くて小さなサングラスを覗き、にたりと笑うその威風堂々とした様にジェノべは完全に気圧されていました。

 息をするのも窺うようにして、

 "アマトリーチェ……"

 その名を口にするのでした。

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不屈の硝子細工職人:4 カルボ 白河雛千代 @Shirohinagic

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