第8話

ぴぃーーーーっ! とロネーゼの指笛が鳴り響いたとき、ペスカはまさしく南西の例の部屋にいました。そしてナポリの通り過ぎたその一室で改めて穀物を入れておく木樽に隠しておいたカルボのご主人様を見つけます。

 "良かった……ナポリが忠義に厚かったおかげだ……"

 ペスカはふぅと一息つきますが、間もなく開け放たれた窓や入り口からおびただしい数の野鳥の群れが飛び込んできます。

 それはもはや空飛ぶ絨毯のような密度で、ちゅんちゅん鳴く声は蜂の群れが立てる羽音の如きやかましさ、地鳴りのようにも聞こえるほどでした。

 "うわわーーーーっ!"

 ペスカはカルボのご主人様を胸に抱えると、頭の上を払いながら裏口から、建物と建物の間の路地裏に飛び出すとそのまま道沿いに走りました。

 というのもその数があまりにも多くて、ほとんど進行方向など考えている余裕などないのです。彼らのくちばしや爪は小さく、しかししっかり鋭いです。たちまちペスカの腕や首筋は無数の切り傷でいっぱいになりました。せめてカルボのご主人様を傷つけさせないよう胸に抱いて死守するので精一杯。

 とにかく少しでも明るい方へ、そう屋内から飛び出したところ、

 "いたわ! ペスカ姉様!"

 "うぇっ?!"

 そこに南側から路地に入ってきた黒子衆も駆けつけます。

 しかし同時に、ペスカはその路地裏、直線路の彼方にナポリの背中も捉えていました。ロネーゼのピンク色のガラス細工を大事そうに胸に抱えて、ひたすら逃げ去っていきます。

 "いた! ……このままケリをつけてやる!"

 今こそ日頃の筋トレの成果を見せるとき! ペスカはカルボのガラス細工を持ち上げ、それで顔を隠すようにすると、馬力をあげてたちまちナポリを追い上げていきます。それでもチェーチの猛襲は腕や首筋に至っていましたが、何もしないよりはマシ……が、何分ナポリとは最初から距離が離れすぎていてなかなか近づけませんでした。

 ペスカが路地の中間を抜けるころ、ナポリは角を曲がっていきます。ちょうど路地の全長二分の一ほどの差が開いていました。

 ペスカもペスカで背後からの弾幕(とはいえカルボの与えた砲身へのダメージからやや緩めかつ射線が定まらない様子でしたが)からカルボのガラス細工を庇いながら、懸命に駆け抜けます。

 "うおおおお! マリア様……ビアンゴ! 大好き! 力を貸してくださいっ!"

 一撃当たればそこから一気に畳み込まれる、今なおジリ貧の状況でした。

 戦況はいよいよ大詰めを迎えて、街中から歓声が響く中、その様はなんとも滑稽な黒子衆→ペスカ→ナポリの追いかけっこの形になっていました。

 回の字の狭間を駆けるような一方通行の鬼ごっこ。しかし、一周として巡ることはなく、ゴールはもう間もなくに迫っています。

 南側中央の鐘楼から、北側、広場へ抜ける直線に向けて、ロネーゼが狙撃を狙っているから。

 ロネーゼはじりじりと射撃のタイミングを計りつつ、しきりに耳元に注意を向けました。

 インカムの受信側。そこでは……、

 "依然状況変わらず! 隊列はそのままです、あね様! ナポリ姉様のあとに、およそ二分差でペスカ! 何を考えてか、顔にご主人様を抱えてます。顔です! 間違いありません!"

 常に信者からの声が聞こえていました。

 これこそがロネーゼ最大にして最後の力。

 遠く離れた教会からなんと大胆にもテレビの中継を通し、インカムを通して、信者たちがペスカやカルボの位置をリークしていたのです。屋内の情報はチェーチが入れないため十分ではありませんでしたが、それを支える撮影班のチェーチもひよこ豆で買収済み。

 ロネーゼに抜かりはありませんでした。

 されどそれを超えてきたのがペスカとカルボの二人です。ロネーゼは用心して、改めて戦術に抜かりがないか、状況を頭の中で整理します。

 "じきにナポリが通過する。そして二分……半分の間隔を空けてペスカ→黒子衆の順でくる——"

 "わんっ! わんっ!"

 足元から聞こえてくるアンチの鳴き声を聞いて、ロネーゼはほくそ笑みます。

 "はしごですものオホ。屋根を登るのとは違い……。アンチはここまで登ってこれない。そしてカルボは東の路地で戦闘不能——完璧ですわ"

 ロネーゼはまさしく職人でした。その精神には常に余裕を保つための思考回路が備わり、同時に勝負とあらばウサギを狩る獅子の如く、徹底して微塵も隙をみせません。

 こんな時こそゆったりと銃身を構え、息を乱すこともなく自身の仕事に集中します。モノクルを覗くとナポリが建物の間を通過したところ——じきにペスカがきて、お終いです。

 "なかなか楽しめましたわねオホ。けれども、今度こそここまで——"

 と、考えたまさにその時でした。モノクルを通していない右目が視界の端に異物を捉えます。

 ロネーゼはドミナント・アイでした。

 利き腕と同じように、実は目にもいつも使用している中心となる軸があります。判別方法は指を立てて腕を伸ばした状態で、その指先を片目ずつ見て、より違和感なく中央に見える方……など様々ありますが、片方は補助の役割を担っています。

 これが利き腕と逆なのが、ドミナント・アイです。

 日常生活において特に不都合は生じませんが、銃器を扱う場合には問題が浮上します。本来は右と右、左と左での使用を前提として設計されるものですから、その照準を合わせる際にドミナント・アイは不利になります。

 構えを右・右、左・左に矯正するなどという方法論もありますが、ロネーゼは負けず嫌い。ドミナント・アイを受け入れて、工夫と努力でこれを克服していました。

 利き腕が右で、利き目が左なので、特製に銃身の左寄りにハイマウントしたモノクルから左の目で標的を捉えています。

 そしてこの瀬戸際でそれが生き、最大の警鐘を脳裏に響かせるに役立ったのです。

 この時ロネーゼの右目が捉えたのはなんと、箱車を馬車のようにして引き、路地を駆け抜けるアンチの姿。

 そしてその箱車に積まれたカルボでした。

 それも猛スピードで路地を直進、角を曲がってくるナポリに向けて、入っていきます。

 言葉にもならない一瞬の時間の隙間に、ロネーゼはその場に立ち上がらんばかりの衝撃と共に、頭の中で叫びました。

 "あり得ないっ——! いや——いや、まさか!"

 ロネーゼはここにきて初めて狼狽します。

 最後にロネーゼがその目で確認したカルボはしばらく立ち上がれないほど黒子衆に痛めつけられ、半死半生を晒した姿……それが蘇ったかのようにいま、ナポリに対し、最後の一手を加えようとしている……!

 この信じられない光景は、ロネーゼの脳髄に天地がひっくり返るほどの衝撃を与えました。

 "じゃあ、足元のは——?!"

 カルボの姿以上に脅威だったのが、アンチです。

 "じゃあ、足元のは——まさか?"

 なぜそこにアンチがいる!

 "——まさかっ?!"

 アンチはロネーゼに振り払われ、なおも追撃を仕掛けたかに見えて、実はロネーゼを鐘楼という攻防の外に追いやることが目的だったのです。そしてロネーゼが鐘楼に登ったことを確認すると、あるものをその足元に置き、急ぎ自分自身はカルボを助け起こすのに向かっていたのでした。

 そのあるものというのは——。

 時間の隙間に、ロネーゼは試合開始直後、自らが頭の中で放った言葉を反芻します。

 ——強者とは、99%の勝算をあらかじめ用意したうえで勝負に挑みつづけるもの。そして残りの1%は——。

 残りの1%は——そんな打算を鑑みず、1%に懸けてぶつかってくるものバカへの期待と諦観——。

 "わたくしがカルボに授けた目覚まし時計っ——!"

 ロネーゼはインカムに叫びます。

 "ペスカはっ! 彼女を、早くっ——!"

 同時、ナポリは角を曲がってすぐに自分に猛スピードで向かってくる一人と一匹に気づき、身構えました。

 "カルボっ?!"

 "……動けなくなったって——"

 アンチは把手を前にした箱車に括り付けられた散歩紐をまるで手綱のように咥えていました。

 もう立ち上がれないほどに痛めつけられたカルボでも、不屈のガラス細工職人。そのくらいの装飾はお手の物。

 そして全速力で駆けてくると、その途中で不意に止まり、素早く箱車の前部に乗り上げます。

 シーソーのように、慣性と反作用で打ち上げられたカルボは最後の力を振り絞り、声を振り絞って、ナポリに飛びかかるのでした。

 "——ぼくにはアンチがいるんだああぁぁーーーっ!"

 "うわあああーーーーっ!"

 ナポリは驚愕に目を見開き、ご主人様を胸に抱えたまま悲鳴をあげます。

 ——が、とっさに身体を横にずらすと、突っ込んでくるカルボは地面に激突。

 グシャッ……と、ひどい音を立ててナポリの足元に転がりました。

 "…………"

 ナポリは呆気にとられて、地べたに伏せたカルボを足で突つきますが……反応がありません。今度の今度こそ気を失ってしまったようです。

 "は——"

 そうして笑いかけた、その時。

 "わんっ!"

 背後から一吠え。

 "ひっ——"

 ナポリはその不意打ちに驚いて、飛び上がると、

 "あ……"

 ついに、ロネーゼのガラス細工を放り出してしまいます。

 それはゆらりと流れる時間の隙間に、宙を舞い——地面に落下。

 その瞬間はあまりにも呆気なく、けれどけたたましい音と共に崩れ去ったのでした。

 刹那、電光掲示板に有効の旗印があがり、時間が止まったかのように誰もが静止したかのようでした。

 黒子衆はちょこまかと逃げるペスカをいよいよ体当たりで踏み潰そうと角を曲がったところ、ペスカはガラス細工で顔を覆い、その端でしゃがみこんで、隠れたつもりでした。

 ロネーゼはいつまで経っても来ない標的を待って、呆然と自らが敷いた全ての罠を見下ろし——今一度、ため息をつくと、肩をゆっくりと落とします。

 "ああ、よかった。それでこそあなたは、わたくしの大好きな——"

 しかし、ロネーゼの脳裏には在りし日の二人が思い浮かんで、満足そうに目を閉じるのでした。

 ゲームセット。そこで試合は終了。

 二対一で、残ガラス細工はカルボのものが一器のみ。

 勝者はペスカとカルボでした。

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