第7話

"治しちゃいけないって言われてないもんね"

 南西の広場側の建物に潜みながら、ご主人様にパテと接着剤をぶっかけ、ペスカは素早く言います。

 "死体になっても盾になって守ってくれるなんて……さすが私のだいしゅきなご主人様だ!"

 "もうなんか色々絵面も台詞もサイコだよ……"

 恐る恐るペスカのご主人様の亡き骸を介助しながら言うと、カルボはその違和感に気づきます。

 "あれ? これ人間のモツじゃない……? 粘土じゃないか……この血も……? いつのまに?"

 "あとなんだっけな……"

 ペスカはご主人様の穴をパテと接着剤で埋めながら首を傾げます。

 "なんか気づいた気がしたけど、忘れた"

 "……でももうぼくは疲れたよ。このゲーム降りよう? 本当に二人はぼくらを殺す気だよ"

 "忘れたってことはまぁどうでもいいってことだよ。さて、こっからどうする? さっき言ってたのは?"

 "待ってよ! 聞いて! 確かにさっきは良い案のような気がしたけど、本当に上手くいくかなんて分からないし——"

 ペスカの手がカルボのほっぺを挟んで黙らせます。

 "——聞かん! とりあえず話せ!"

 ペスカの目線は身じろぎ一つせず、カルボを見据えていました。

 "死ぬか、切り抜けるかだ。戦場で考えてる暇はない"

 "…………"

 "ロネーゼを一人遺して気が済むのか、カルボは。そうじゃないんなら、負ける理由を考えるな。勝つ覚悟を決めろ"

 カルボがためらっていると、箱車の中、カルボのご主人様の足元からちりんと小さな鐘の音がしますが、ペスカが遮るように手のひらを仰ぎ、

 "そうだった。嗅ぐもそうだ"

 指折り数えて言いました。

 "解るには、嗅ぐ、見る、読む、考える、それに聞くもある。静かに行こう。——そういえばカルボ、釘バットは?"

 "あ、ごめん……さっき逃げた時に放り投げてきちゃった……"

 "ドンマイ。よし。じゃあ、ここからは——"

 3rd.ウェーブはその数分後でした。

 まず屋内に潜んでいるところをナポリのミニガンで襲撃され、二人はカルボ+箱車とペスカ単独班の二手に別れます。

 ペスカは建物の二階へ。カルボは玄関から外へ、今度は中央広場方面へと逃れていきます。路地のような直線路ではミニガンの独壇場、広場ならまだやりようがあると見込んでの判断でしたが、ミニガンとはいわば弾幕によって空間を制圧する装備ですから、逃げる方向はナポリも予測済み。

 "黒子! 広場に追い込んだわ! よわよわカルボに集中して、一気にカタをつけますわよ!"

 ナポリの指示に従い、外周から広場に向かう黒子たち。

 整備された四角い広場をまっすぐ対角線に向かうようにカルボは逃げます。

 "……あら"

 屋根の上から狙撃ポイントを見定めるロネーゼでしたが、屋内から出てきたカルボの背には応急処置を受けたペスカのご主人様が括り付けられ、箱車にはカモフラージュに大きなシーツが被せてありました。

 "あらあらあら……これは……オホ"

 これが、あからさまな誘いのようにも見えて彼女を惑わします。ペスカの姿が見えないのも不気味……もしかしたら……と、

 "ナポリ。一旦退がりますわオホ。くれぐれも深追いはしないこと。事あるごとに連絡は必ずしなさい。よろしくてオホ?"

 次の行動に移る前にインカムを通して指示を入れておくと、すぐに耳元にナポリの声が返ってきます。

 "あね様! お任せください! すぐにもカルボの首を……じゃなかった、カルボのご主人様のバラバラ死体をご覧に入れてみせますわ!"

 "……本当に解っているのかしらオホ"

 ロネーゼはそう心配をこぼすと、一度屋根から脚をぶらぶらさせてベランダに降り、屋内に撤退。周辺の出入り口をクリアリングするのでした。

 "ペスカが来るとしたらこの方向からのはず——いえ、その考えに当てはまらないからペスカはペスカなのよ、ロネーゼ! どんな常識もあの子には通じない……! おもしれー女ですわオホ"

 そうです。カルボが勧めたジャンルに染まって、まんまとロネーゼは……いえ、蛇足でした。

 気を取り直すと、ロネーゼ側のご主人様、つまりガラス細工は二つとも常にこのロネーゼの傍に鎖でつながれてあり、狙撃のために屋根に登る時にはその真下の部屋に野晒しになっているのです。

 カルボは陽動で、そうしてロネーゼが屋根に姿を見せたところで位置を予測したペスカが強襲する作戦かもしれません。

 しかし、結果を先に言うと深読みのしすぎでした。二人の狙いは単純明快、ずっとナポリに他ならなかったのです。

 ナポリは馬の背に鞭打つように、台車の黒子たちを鼓舞すると、カルボを広場の隅に追い詰めていきます。先にも述べたとおり、ミニガンは空間制圧の武器、彼女の逃げ道を塞いで角に追い詰めるのは比較的容易でした。

 "おほほほほ! アドレナリンが分泌されてる今のテンションで言うとね、私は実はあなた方、工房のお姉様方が目の上のたんこぶでしたの。ええ、嫉妬ですわ! あの方と旧友だかなんだか知りませんが、だからって偉そうに先輩ぶられるのは許せない!"

 "…………"

 ペスカのご主人様を今はタートルズのように胸に抱えて、じりじりとタイミングを図るカルボ。さながら盗塁を狙う名選手のような足捌き——しかしその目線はナポリではなく、広場向こうの建物にちらり、ちらりと向いていました。

 そして、キラリとなにかが光ります。

 "……!"

 "あの方を——その心を虐めていいのは私だけ……トライポフォビアになって死ね(?)ーーーーーっ!"

 ナポリの指先が引き金を押し込むその一瞬に重なり、カルボはなんと砲台に向けて突貫しました。

 従来ミニガンにはスピンアップといって砲身を回転させて実際に弾丸を発射するまでのラグが生じます。これは数秒足らずの微々たるものですが、言い換えればとっさの動態に即応できないのが弱点。しかし、一度弾丸が放たれはじめれば、ペスカの応急処置で補強されたガラス細工とはいえ、その集中砲火を受けて無事には済みません。

 勝負は一瞬でした。

 わずかに早く放たれたひよこ豆が箱車の側面をがんがんとへこませ、補強した接着剤コートを剥がし、再びペスカのご主人様に穴を空けていきます。——が、その一瞬にカルボは台車に激突。箱車を一足飛びで飛び越えると、慌てて把手から手を離した黒子の頭までも踏みつけ、台座に乗り上げます。そこで、作業着の中に忍ばせていた鉄パイプを抜くと、思いきりミニガンの砲身に突き立てるのでした。

 "あ、こいつ……!"

 ひよこ豆の雪崩が、射線を大きく下げて足元のレンガ敷道路を破壊したところで撃ち止め……ミニガンは射撃を停止しました。

 先にも解説したとおりミニガンの肝は砲身の回転機構にあります。そこに杭を打つように異物を差し込まれては使い物になりません。

 ぎこちなく回転が止まっているのを見届けるやカルボは踵を返して、再度箱車の把手を握り、1st.ウェーブ、試合開始直後に急襲を受けたエリアの西側へ、一目散に引き下がっていきます。

 "あ……くそ、逃げんな!"

 ナポリは慌てて砲身に噛んだ鉄パイプを外そうとしますが、回転に乗じ、多分に折れ曲がって食い込んでおり、なかなか外せません。

 "——お前たち、何見てるんです! はやく上がってきて、手伝いなさい!"

 黒子たちの迅速なメンテナンスの甲斐かいもあってミニガンはたちまち復旧しましたが、その時すでにカルボは外周路へ抜ける路地の目の前。

 "おのれ……カルボのくせに"

 ナポリは憎々しく我鳴ると、

 "——カルボのくせに、私を謀ろうとはちょこざいなァッ!"

 引き金を押し込みながら、砲台を水平に回転させました。

 どるるるるる……!

 広場全体に扇状を描くように放たれた弾幕が、建物の外壁を破壊しながら、路地に入りかけたカルボを急襲し——、

 "ぐあっ……"

 その右肩を背後から掠めました。ひよこ豆といえどもまともに集中されればガラス細工やレンガを砕く威力。それがカルボの僧帽筋に深く食いこみ、激しい衝撃と痛みを与えます。明日にはあおたんになっていることでしょう。

 ——が、カルボは根性を見せます。

 ぐっと足を踏みこらえると、変わらない速度で路地を駆け抜けていくのでした。

 "ちっ……お前たち! 何をしているの! 早く追いかけなさい!"

 そうしてカルボが路地に逃げ込むと、もちろんナポリら黒子衆もそれを追いかけます。

 しかし、戦場において深追いは禁物。シューティングゲームの至言、"引くこと覚えろks"がとっさに浮かぶような状況にロネーゼもインカムを通して制止します、

 "ナポリ?! ナポリ、待ちなさいオホ!"

 "いいえ、あね様! これはチャンスです! 路地こそミニガンの独壇場……角に追い込んで今度こそチェックメイト——"

 が、焦らされて目の前しか見えていないナポリはそうしてまんまと路地に入ってしまうのでした。

 その瞬間、突如視界が真っ白に覆われます。

 それは単に拾い集めた程度では足りない量のひよこ豆でした。麻の袋いっぱいの分を屋根の上からペスカがぶちまけていたのです。

 加えてすぐにチェーチの群れがこれを嗅ぎつけ、ナポリら黒子衆に大群になって襲いかかります。

 が——ナポリはそれらを腕で払い除けながら吠えました。

 "——しゃらくせぇっ! 所詮は小鳥だろうがっ! そんなもん解ってりゃ怖るるに足らないわよ! 突き進め! お前たち!"

 裏路地のチェックもなしに突き当たりを曲がり、外周路に入るとひよこ豆とチェーチで覆われた視界の隅にカルボの背中を捉えます。

 "行け! いけぇ! 敵は目の前だ! 何ならカルボごとひき殺(?)しちゃえーーーっ!"

 ナポリはなおも黒子を鼓舞。俄然、台車はぐんぐんと速度をあげてその背に迫ったのでした。

 しかしこの時。ナポリは激昂とひよこ豆、チェーチの群れに襲われて視界がまるでおろそかでした。

 黒子も同様。ですが、視界を奪うそれらをようやく取っ払えたところで、ふと気付いた黒子の一人がついに悲鳴をあげました。

 "待って待って! 目の前、角、壁っ!"

 小さなカルボは箱車でドリフトしながら角を右に曲がり、ひょうひょうと抜けていきますが、台車を引いている黒子たちはそうはいきません。その重量を引いて速度をあげるのにも相当の勢いが必要ですが、急ブレーキをかけるとなると一層のGが黒子たちの細腕にのしかかったのでした。

 危機一髪の瞬間! しかしどうにか台車はぶじ角に激突せずに止まります。——が、それに乗っているナポリと砲台はそうもいきません。この世には運動の第一法則、すなわち、慣性の法則がありますから。

 砲台はその重量ゆえ引きずられる程度で済みましたが、軽いナポリは別でした。台車の前部車輪および黒子たちの掴む把手とってに重心が乗り、前のめりに傾くと同時、ナポリは放り出されました。そしてかつてのロネーゼのご主人様よろしく、角の壁に強く全身を打ち付けたのです。

 その大きな音にカルボは心配になって振り返ると、黒子たちはどうやら気を失ったナポリを起こそうにも起こせず、両腕を振り仰いでいました。ノックアウトされてしまったようです。

 "——っ?!"

 しかしそれも一瞬のこと。その背後上方から放たれた殺気に気づいて、緩めかけた足に力を戻していなければ、箱車はカモフラージュ用の覆いごと撃ち抜かれていたことでしょう。

 屋根の上に乗って駆けつけたロネーゼによって。

 カルボ、ロネーゼ双方の視線が瞬間、時が止まったように交差して、——びしっ! と箱車すれすれの地面に穴をあけるひよこ豆が二人の時の流れを瞬時に戻します。

 "やりましたわねオホ……"

 ロネーゼはその時確かに見ました。してやったり、というようなカルボの得意げな表情を。

 "面白くなってきましたわオホ……けれどもわたくしの部下たちを甘く見ないことね"

 一方その頃ペスカはナポリにひよこ豆爆弾を見舞って早々、テーブルや椅子を組んで階段代わりに屋根に昇り、北側に向かっていくロネーゼの姿を確認するとともに、向かいの建物の二階、窓の内側に煌めく二器のご主人様を見つけていました。

 しかし、建物の間には大きな広場があり、愚直に屋根を走って行っては到底時間が足りません。例えば洗濯物を建物の間に干す習慣のある地域でしたら、その物干し紐を伝うことも考えられましたが、"村のイーハトーブ"にその習慣はありませんでした。

 "お、これだ!"

 ペスカは即座に代案を閃きます。

 けれども代わりに、この街には無数に伸びる樹木と壁を伝う長いつるがあるではありませんか。

 ペスカは壁に張った蔓を引き剥がすと、それをロープのように束ねて広場中央の大木の太枝にひっかけ、同時に自らの身体にも巻きつけます。そして端に重石がわりのレンガを括りつけると、ブランコのようにベランダの手すりから広場を横断、広場を挟んだ建物の二階にダイレクト侵入したのです。

 そうして背後で、自身のご主人様に近づく豪快な物音を聴き、一旦は留意しながらも、しかしロネーゼの笑みは消えませんでした。

 "やはり……ペスカはそのうち至るだろうと思っていましたわオホ。ですが……あなたにやれますか?"

 その予想通り。

 ペスカはいざ目の前に二器のガラス細工を見据えると、ちょっと困りました。

 というのも、それぞれナポリの黒、ロネーゼのピンク色に煌めくガラスのオブジェは見るも健気で、割ってしまうのに気が引けるのです。

 サブウェポンの愛用とんかちでコツコツと優しく叩きながら迷います。

 "ど、どうしよう……うちのご主人様ならまぁいいか、アホだし。で済むのになぁ……他人のは壊せないよ……——"

 "——あなたのガラス細工職人としての矜持……その誇りの高さが命取りですわオホ、ペスカ……"

 ロネーゼはそのようにたかを括り、再度カルボを狙撃するために屋根の上を移動しましたが、その時ロネーゼでさえ予測しえない事態が階下で起こっていたのです。

 "頭から本物の血が……すぐに救護班を——"

 "——いい! お前らはこのままミニガンを使って、カルボを追いなさい……!"

 "え……でもそれは……ユニット単位で五対二? さすがに卑怯すぎ……"

 "それで負けたとあっちゃこっちが恥でしょ! 勝つしかないのよ、私たちだってね! 私は一旦あね様の援護に回り、隙あらばあのガキクソペスカをやる……"

 ナポリは外周路の隅で目を覚ましたとたん、ふらふらになりながらそう黒子に告げるや、血眼になって走り出していたのです。

 そして、ノーマーク(と思われた)のご主人様の防護に来たところ、ペスカが迷っているまさにその場面に出くわしたのでした。

 "ペスカペスカペスカペスカァーーーーッ!"

 ナポリはその姿を見受けるや激昂し、ペスカは階段から登ってくる姿を確認して硬直しました。

 壁に全身を打ち付けボロボロになったナポリの残念な様は不死身の真っ赤な鬼のよう。その手にはゲーム開始直後にカルボが放り捨てていた釘バットが握られていました。

 "ひっ……"

 そしてとっさに身を守るため、ペスカは近くにあったナポリのご主人様を盾にしたのです。

 "あ!"

 という間に、ナポリの釘バットは振り下ろされ、ペスカの眼前、自身のご主人様を打ち砕いていました。

 煌めくガラスの粒子が二人の視界に映えて、中継に映らないのが勿体無いほど可憐に舞い散る他方、ゲームの経過を示す電光掲示板には有効のカウントが刻まれ、街は大歓声。工房も大盛り上がりを見せます。

 "しまった……!"

 すかさずもう一器のご主人様を見たペスカでしたが、立ち直りはナポリのほうが先でした。

 ビーチフラッグスの選手のようにナポリは残る一器のご主人様に飛びかかり、抱えこむと次いで踵を返し、ペスカがぶちやぶった窓からベランダへ。

 ベランダから器用に蔓を伝って一階の広場へと降りていきます。

 "逃げた……"

 当然ペスカも追いかけ、ベランダの隙間からその背を眺めて一瞬唖然としますが、間もなくでした。

 その逃げ惑う先にある建物まで見て、ハッとして後を追いかけます。

 "——いやまて、そっちはダメだ!"

 一方、屋根の上を戻り、カルボを先回り。元々の自分のスタート地点を見据えられる地点まで戻っていたロネーゼはご主人様が一器討たれたことを知りますが、依然冷静に振る舞います。

 なぜなら、東側の外周路を直進してくるカルボと箱車、そこに隠されているカルボのご主人様さえ堕としてしまえばゲームセットだからです。

 他方カルボは自らの身体で箱車をカモフラージュの上から覆うようにして、路地の真ん中にうずくまっていました。背後からは復活した黒子衆がナポリを失ってなお自分を追撃しに駆けてきており、いよいよ路地にその姿を見せたところ……、前にはロネーゼの狙撃が待ち構えております。

 ナポリは急場に本来の役目を思い出してロネーゼのご主人様を捕えるやペスカから逃げ出し……この状況、詰んでいるのは、さてどちらなのか……。

 モノクルを覗くロネーゼはトドメを刺すように思います。

 "存外手こずらされましたけれども、今度こそこれで終わりですわよオホ……カルボ!"

 "——やっぱり無理だよ"

 一方でカルボはつい先ほど、3rd.ウェーブに入る直前、ペスカとした話を思い出していました。

 この期に及んでまだ臆病風に吹かれるカルボにペスカが寄り添います。

 "カルボ……"

 "相手は機関銃とか持ち出してきてるんだよ? 勝てるわけないよ、ロネーゼはやっぱり見せしめにして嘲笑ってるだけなんだ……これ以上、もう無理だよ……"

 "今、カルボの中のロネーゼならなんて言う?"

 "……ぼくの中の、ロネーゼ?"

 "それを信じて"

 その手をとったペスカの目にはわずかな迷いもありませんでした。

 "自分や現実のロネーゼはひとまず置いといて、自分の中の理想のロネーゼを呼び覚ませ。まずはそれを信じろ。その理想にたゆまぬ自分でいられたなら、いつかカルボ自身がそれに成っているはずだ。そのとき、その未来の自分が今のカルボを救い得るだろう。私の言ってること、解る?"

 "…………"

 "自分の弱気を信じるな。その時励ます心の中のロネーゼを信じろ。カルボの中にいる、カルボの大好きなロネーゼなら、今のカルボになんて言う——?"

 "ロネーゼなら——"

 カルボの善悪は、自分自身というよりもロネーゼの具象化によってされます。すなわち、他者の象徴の最たる代表格として天使のロネーゼと悪魔のロネーゼがいて、自信のある時には天使のロネーゼが励ましを、

 "後ろ向きでいいから前に進め! そのロネーゼに背いちゃダメだ、カルボ! ロネーゼはそんなカルボを——"

 またない時には悪魔のロネーゼがその声で、彼女の耳元に残酷な雑言を囁きかけるのです。

 ——あれだけ目をかけて差し上げましたのに……所詮あなたはここまでの人でしたわね。がっかりですわオホ。

 "違う……"

 ——何も違いありませんオホ。現実とは斯様かように酷なもの。ゆえに諦めが肝心。それをわたくしはもう何度も伝えていますのに。早くわたくしを諦めてちょうだい。

 "違うよ……ロネーゼは……"

 ——はっきり申し上げますわ。迷惑なのよ。この試合はそれを突きつけるためのゲーム! わたくしにはもうナポリがいますオホ。教会がありますオホ。あなたはもう……。

 "——違うっ! ロネーゼはそんなこと言わないっ! お前は、ぼくが創り出したぼくの弱気そのものだっ——!"

 いつもならその雑言に負けてしまうところ、しかしこの時はそこに……その反論に、輝く黄金の太陽のようなペスカの言葉が重なりました。

 "——ロネーゼはそんなカルボをずっと待っているんだ! ……できるよ、カルボ。アンタだって、不屈のガラス細工職人じゃない"

 瞳の中に自分自身が映えるほど、まっすぐこちらを見て訴えかけるペスカの言葉とその眼差しが、カルボの中で強い力となって灯り——。

 ——そして今、カルボは刮目して目を見開くのでした。

 "そうさ、ぼく自身には何もないかもしれないよ——だけど! ぼくにはまだ! 彼女から譲り受けたものがある!"

 カルボは再びロネーゼの待ち構える路地に向けて走り出しながら、叫びました。

 "今だっ! アンチーーーーーっ!"

 刹那。

 ロネーゼは戦慄します。

 背後に獣の気配を、その唸り声を感じて。

 モノクルを覗きこみながら全身を襲う寒気に震えながら、しかしなお自身を奮い立たせてロネーゼは思いました。

 "けれど——! もう遅い——! アンチに噛まれようとも! わたくしが撃って! それでゲームセットですわオホ! カルボっ——!"

 背後からアンチが飛び掛かるのもいとわず、ロネーゼは指先に力を込めました。

 火薬の爆発とともにひよこ豆が撃ち出されて、ほぼ縦一閃! 鋭角に、今度こそカルボの箱車が貫かれます。

 "——もしも"

 が、その零秒に満たない間隙、ロネーゼは改めて素早くゲームの序盤から記憶を巡らせました。

 ——もしも初めから。箱車の中にご主人様だけでなく、アンチも潜ませていたとしたら。

 ——それがゲーム中盤、広場に出てきて以降、入れ替わり、ご主人様であるかのように振る舞っていたとしたら————。

 思惑通り、箱車が貫かれても、ゲームセットの旗はあがりませんでした。電光掲示板にも撃墜数はカウントされていません。

 その可能性もずっと考えていたロネーゼでしたが、ここにきて確かめるに至り、忌々しげに舌を打ちます。

 "ちぃっ! やっぱり、あの覆いは……!"

 ひよこ豆に貫かれた衝撃で箱車のカモフラージュがはらりと退けられます。

 ロネーゼの読み通り、空っぽでした。

 そうです。カルボがずっと運んでいた箱車の中身はアンチでした。ご主人様を運んでいると思わせるフェイクだったのです。

 "じゃあ、どこだ——?"

 考えられるのは時間的に見ても3rd.ウェーブ……ナポリが室内にいた二人を襲撃するまでの間しかありません。つまり、おそらくカルボのご主人様はあの部屋のどこかに隠して、そのまま置きっぱなしだったのです。

 場所は広場側、南西の区画の一室——。

 この時一番近いのはナポリでしたが、ロネーゼのご主人様を抱えて走り出したナポリの足は速く、すでに屋内を裏路地へ通り過ぎたところでした。

 それを危惧して後を追いかけていたペスカがちょうど部屋に至ります。

 ロネーゼは目まぐるしく思考を回転させながら、本気のように牙を剥いて襲いかかるアンチに拮抗しますが、あまり手荒にもできません。アンチは犬。自分たちのような存在とは違うのですから。しかし……犬の本性は狩猟と野生の肉食獣。小型犬でさえ本気で噛めば人間の指を切り通すくらいは造作もないもの……かといって無視もできませんでした。

 "アンチ、こら、お願い……離しなさい……!"

 "ぐるる……!"

 "仕方ないわねオホ!"

 ロネーゼはとっさにポケットに入れていた香水の小瓶を取り出すと、それをアンチの鼻先に向けて噴射します。犬の嗅覚は人の三千〜一万倍とまで言われるほどに敏感なのは周知の事実。香水の匂いは犬にとってはちょっとした散弾銃ほどのショックがあるのです。

 アンチはたまらず一旦口を離して、距離を取りました。その隙にロネーゼは駆け出します。——が、瞬間的に階下を見ると、そこの外周路では追いついた黒子衆にカルボが袋叩きにされているのが見えました。

 シュレーディンガーのごとく中の見えない箱車で敵を翻弄し、陽動を買って出たものの宿命……しかし、ロネーゼは一旦足を止め、通りに向けて檄を飛ばします。

 "お前たち! それはもういい! 今はペスカを追いなさい! パッケージは奴が持っている!"

 "あね様!"

 "急げ! ナポリが追いつかれたら終わりだ。私も次の手を打つ!"

 ロネーゼの指示に従い、外周路を引き返し、再びミニガン台車を走らせる黒子衆。残されたカルボは地べたにうつ伏せて大往生しておりました。

 "ロネーゼ……"

 "憐憫れんびんではありませんわ。勝利のためよ、カルボ。わたくしは、あなた方に勝ちたい——"

 それだけ言い残すと改めてロネーゼは屋根の上を駆け出します。

 そうした隙にアンチも復活して追いかけてきます。

 その姿を振り返り見ながらロネーゼは即座に考察しました。

 "匂い……ですわね。硝煙の匂い、香水の匂い。アンチならばわたくしの居場所が目を閉じていても解る……アンチはわたくしに対しての自動追尾弾のようなもの……しかし、ならば! 絶対に登ってこれないような場所ならどう——?"

 ロネーゼは思考を巡らせ、一度室外のパイプを伝い一階に降りると今度はそこから長いハシゴを伝い、エリア南側、教会の鐘のある鐘楼を登り詰めます。

 次いで指を口に当てると、けたたましい音色を奏でました。エリア全域のチェーチを操る指笛です。

 チェーチだけではありません。大会を後援した町長はこの会場を、スポンサーである各商店はひよこ豆や使用している銃火器をロネーゼのために用意し、審判員は試合開始前に検査を装ってペスカのご主人様にこっそり細工をし、カルボを動揺させる一手を仕込みました。……等々、諸共、この視界に映る全てがロネーゼの味方であり、そして力でした。

 試合開始直後にロネーゼが思ったことは真理です。勝敗は戦いが始まる前から決している、とはまさにこのこと。皆が力を合わせて勝敗を、ヒーローを演出するのが、試合や番組と言えるでしょうし、99%勝利できるこの状況を揃えられること、それ自体がロネーゼの力でもあるのです。

 決して卑怯などではありません。

 これが現実……!

 しかしならば、そうした大局に敗者と定められた側はもはや成す術はないのでしょうか。予定調和のゲームが、果たしてそのまま通り一辺倒のエンターテイメントになり得るでしょうか?

 それは退屈。と断ずるに些かの躊躇いもなく、本当に視聴者が望むエンタメとは、本当のヒーローとは、常にその先に至るものなのです。

 今の、全てを手に入れたヒーローを討ち倒すものが現れること……!

 そんな番狂せ1%を誰もが心の底で待ち望んでいるのです。

 ロネーゼの腕さばきに乗じて、エリア全体に散らばるチェーチたちは集合し、その毛色をともなって鮮やかな隊列を空に描き、ロネーゼは自らに用意された舞台を今一度一望して、

 "チェーチたち、最終形態ですわ。もう全体索敵はいい! 撮影班だけ残して、あとはペスカを……とにかくあのペスカを襲い、動きを封じなさい! そして、黒子が狙撃ポイントに追い込み、わたくしがトドメを撃つ!"

 そう吠えるのでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る