第2話
その後、近くのファミレスで鷹見 瑛子さんと落ち合って作戦会議と相なった。瑛子さんは鏡の件以降何かと世話になっていて、もう一年弱ほどの関係である。
一応メンバーの鳥海 八咫郎はバイトで欠席だ。
席について間もなくテーブルに身を乗り出して瑛子さんが聞いた。
「どうだった?」
「想像以上に面白い人だった。私は嫌いじゃない」
「あーあれが面白いってとこに、アンタらしさを感じるわ」
「でも実際、会費の方はほぼ手詰まりだよ。完全にあっちの方向で想像が固まってるみたいだったし」
と気軽に口を挟んだものの、二人して一度に僕を見るもので、僕はきょどった。少し前に座敷童子にもそうされたことがあったが、瑛子さんはそれ以上の破壊力がある。
容姿は端麗、仕草は清廉。すらっと長く華奢な指や細い首は鶴の擬人を想わせる美しさで、背中を這うように垂れるストレートの髪もまた凛々しく麗しい。
というのも、彼女は親が俳優女優という血統書付きであって、十代の頃は子役にモデルと経歴を重ねてきた二世タレントの顔もあるれっきとしたお嬢様なのである。
一年の最初の頃には、僕自身骨抜きにされていた時期もあったくらいなのだ。そんな彼女と交際している八咫郎はきっと多くの男から恨まれているに違いない。
僕は内心きょどりながら、平静さを保って続けた。
「むしろ今回のことで完全にマークもされたっぽい」
「そう、あの人さーいわゆる"あれ"っぽいんだよね」
「あー……。まぁそんな感じだよね」
僕も色々察して同調した。
自治会室から出た時にも考えたことだが、そうなるともう我々、デベロッパーや現場はお手上げである。水戸光圀公に紋所を掲げられた荒くれ者どものようにすごすご首を垂れるしかない。
「あーれ」
とは陽菜さん。さすがに元の字面ままでは言いにくかったようである。女性だし。
「もしくはフェミ」
「言っちゃったよ……誤魔化してたのに」
「そうそう。あの髪とか几帳面な感じ、見たでしょ? 私は死ぬ気で断ったけど、実は最初に親に勧められた高校があの人と同じとこでさー。いわゆる超お嬢様女子校。……昔はどうだったか知らないけど、女子校出身ってさ、まぁ偏るじゃない。色々。妄想ばかり逞しくなるっていうか、こじらせるというか。男子校出身もすごいけど、やめた方がいいと思うんだよねー。もはや時代にそぐわないっていうか、温床になってるくらいなら」
「なるほどね、環境で人は随分変わるしなぁ」
「そういうこと。はしかみたいになっちゃうじゃん。それ慣らすための学校でもあるわけでしょ。それが慣らすどころか、余計意固地にさせてるっていうか」
瑛子さんがつらつらと語る対面、僕の隣では友人の陽菜さんがストローの袋遊びをしていた。人類はおろか生物単位で興味を示す陽菜さんからしたら、こんな話はまったく興味の範疇にないのだろう。
「実に効率的ではなくなっている。本来の目的を見失っている。まさに見た目は大人、頭脳は子供。大衆は推理なんか見ていない。アクションを期待しているのだ」
すぐに瑛子さんも気付いてか、口をつぐんで元の路線に戻した。
「ってわけで、生半可な方法じゃあの
「互助会?」
天から光のさす雨上がりの、不気味な明るさに紛れるようにして、僕らはその足で再び大学はサークル棟に戻ってきた。
軋む板張りの廊下を進みながら瑛子さんが説明する。
「会長はあの調子。でもやっぱり自分たちの欲求は通したいじゃん? そこで会長に好意を持たれてるサークルから暗に援助を受けられるシステムを講じてるのよ」
「それが互助会?」
「そうそう。公認サークルに媚びへつらうことで、予算の一部を回してもらおうってわけ。彼らは彼らで生徒内から確たる評判を得て、一層自治会からの評価も上がるし、予算も増える。Win-Winってやつね」
「僕ら一方的に負けてません? それ。ずっと搾取される側やん」
「あら、久世くん、Win-Winってあれ、両者両得のことじゃなくて、本来そういう意味よ。皮肉のレトリック」
「マジか。でもその公認サークルだって、単にサークルの一つなわけでしょ? なんか、なんだろう……政治かよ。そもそもサークル活動って好きなこと好きにやるための場所じゃないの……なんかさー」
「まぁ納得いかないのも分かるけど、縮図だよね。大学とかある程度育ってくるとね、もうちっちゃなソサエティみたいなもんよ。どこにでも仕切りたがり屋さんや界隈だけ有名人が呼んでもないのに現れるとことか」
(ギリギリセーフか……? いやいや、僕らのためにやってくれてんのに、僕ったらなんてことを)
意気揚々と進む瑛子さんについていく形で僕と陽菜さんも後ろから続き、その日僕らは計五件の公認サークル部室に挨拶回りに行ったのだった。
この点、瑛子さんはしかし元業界人ということもあって非常に心強く、僕と陽菜さんによるコミュニケーションの不足分を補って余りある働きを見せた。
「ちょっと待って。公認サークルっていったいどんだけあるの?」
「全部で三十くらいだけど」
「それ全部回るの?!」
「当たり前でしょ? いいこと、お二人さん。こういう根回しに肝心なのは、信ぴょう性よ。要はこの人たち良い人そう! って安心感を得ることなの。それがゆくゆくはこの人たちなら、って信頼になって、仕事の融通につながるのよ。なのに一つでも漏れがあったら、角が立つでしょ? 人間、信じるのには時間がかかるけど、不信は一挙手一投足、一発言で全部パァ。一瞬よ。だから、根回しにこそ本気にならなきゃ。抜かりは絶対ダメ」
「マジか……」
「こんくらい、皆、普通にやってんの。あと関係者のTwitterは全員フォロー入れて、これから毎日チェックして、ツイートあったら良いね押したりリプして盛り上げたりしてね。特に最近始めたばかりの人とか、まだ目立ってない人たちにも。心細いから効果が特に大きいの。どこで何してる時でも出来てタダ、秒でできて信頼を得られる。こんな美味しいことないでしょ。てか、本来なら……陽菜、これ、団長のアンタの仕事だからね」
そう言えば、今回陽菜さんはずっと立つ背がなくて、影が薄い。奇妙なことも起きてないし(会長の存在がそうといえばそうだが)瑛子さんに名指しで言われて尚、納得いかないように唸っていた。
「つまらん。良い顔したくてやってんじゃないわい」
「つまんないこともやるから、面白いことがより面白くできるんじゃん。甘いものにかける塩みたいなもんよ」
「……だけどさ」
「けどもへちまもないの。やるからにはちゃんとやりたいでしょ。そうしたら、もっと奇妙な依頼だってばんばん入ってくるんだから」
「誰かに検閲されたクリーンな依頼なんていらん。誰かの手垢でベタベタな不思議もいらん。そんなのは奇妙でも不思議でもなんでもない。私が求めるのは純然たるアクシデントなんじゃ」
「そういうのは自分で完璧に回せるようになってから言うことでしょ。例えあなたはそれで良かったとしても、付き合わされる久世くんは大変だと思わない? なら、めんどくさくても、意にそぐわなくても、やろうよ」
(陽菜さんが説教をされている……)
「…………」
すると陽菜さんは救いを求めるような、あるいはどこか哀しそうな、難しい表情をして僕を見た。
僕としても、いきなりこんなかつてない息苦しさを味わって困惑しているところ。だが、とはいっても瑛子さんも瑛子さんなりに陽菜さんのために言っていることでもあって、如何ともしがたい。
(あれ、おかしくね? 今一番胃を痛めてるの、これ、僕じゃね?)
しばらく俯いて、暗い表情を浮かべたのち、陽菜さんはまさに苦虫を噛み潰すように言った。
「……分かった。私たちは人間だからな。人間とは社会性の生き物であるからして、こういうことも時には必要じゃろうて。誰もがワンマンにはなれぬ……」
(口調にあきらかな変調をきたしている……うーむ、爆発しないといいけどな)
僕はその帰り、瑛子さんと別れたところでこっそり陽菜さんを改めて誘った。
マンション近くの公園で缶コーヒーを奢りながら、ベンチに座る。まだ若干湿ってはいたものの、そんなことを気にする僕らではない。
「瑛子さんに悪いことしたかな。なんかお邪魔虫にしてるみたいで」
「ううん、平気だよ。奴は奴で八咫郎がいる」
陽菜さんは元々歯に絹着せるタイプではないが、この時もいとも容易く言った。
「ちょうど時間も頃合いだし……今ごろゴム代と会長がWin-Winしてごじょってるよ」
「そっか。なら、まぁいいか」
「うん……」
例えば。
と、考える。
いつもならきっと「あ、Win-Winってさ、瑛子が言うのが本当ならどっちが受けなんだろうね。やっぱ後の方が受けで、前のが搾取する側なんかな? 前のWinはサイコパスっぽく後のWinに笑顔で握手を交わしながら、でも実は利用しているに過ぎなくて、後のWinもそれを理解しながらもWin-Winせざるを得なくて笑顔の裏で悔しがってるんだろうな……なんか切ないね」とか、常人が聞いたら硬く目を閉じて深呼吸したくなるような、訳のわからない付け加えがあったに違いない。
けれど、今、それはなかった。
陽菜さんは膝に手をついて、自重を支えるかのように項垂れている。分かりやすく参っているようだ。
しばらく沈黙が続いた。
どこから切り出そうかと散々考えたけれど、僕だってそんな器用な性格じゃないから、結局直球で伝えることにする。
「やめちゃおうか」
「え……」
「サークルとか、そういうの」
面食らったような陽菜さんの顔を見ながら、僕は続ける。
「だってクソめんどくさいよ。こんなの。僕だって分かる。やりたいことのためとは言え、その前の建前のためにさ、こんな時間を潰して、意味わからん労力を割いてさ、結局僕らは何してんだろうって止まったら元も子もないじゃん。だったら、そんなのは初めからいらん。気にしたってしょうがない。そんなのはもう互助じゃない。歩調の合わせ合い、足の引っ張り合いっていうんだ。ほら、よくいるじゃん。マラソン大会とかでさ、自信ないから一緒に行こうとか置いていかないでとか言い出す奴」
「タイガー……」
すがるように。
僕の顔を見上げて、僕の名を口にする、弱った陽菜さんは、けれど狂おしいくらい可愛くて、それはもう……口に出して告げてしまいたいくらい、愛おしいくらいで。
僕は内心の獣を、込み上げる痛みでケリをつけて立ち上がると、陽菜さんが座る前に膝をついて、格好つけた。
「ボスは君だ。君が奇妙を追うのがやりたいことなら、僕はそこで好き勝手にやる奇妙な君を見るのがやりたいことなんだ。君のやりたいようにやるのが一番だ。突き進めよ。僕はそれについていく。それが奇妙じゃなくなりそうなら、今みたいに三歩後ろからそれを正すよ」
「————」
「つまりそれが……僕の役目かなって」
僕の渾身のドヤ顔はしかし、どうだろうか……効果があったか正味のところは他人である僕にはわからない……けど、陽菜さんはどこか嬉しげに、恥ずかしそうに顔を逸らし、言うのだった。
「……おう。く、くるしゅうない。けど、大河くん……」
「なんだい? 陽菜さん」
僕が調子に乗ってキメ顔で言うと、陽菜さんは淡々と指摘した。
「膝、べちょべちょやで」
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