第2話
そんな葉乎に下級生の子が告白したのは、それから一年が経ち、二人が二年生になって、少しした頃。
けれど——。
「え——は? フッたって? マジで?」
「まじまじ。めっちゃ号泣してたもん……かわいそー」
「信じらんない。だって、中学の時から好きで、この学校だってそれで来たんでしょ? 最悪じゃん——」
通り過ぎる同級生の子らが何気なく話していくのを聞いて、琴はなんとなく廊下の窓から無情に晴れた空を見上げ、ため息をついた。
そうだ。
葉乎はあろうことか、それを断ったらしい。
告白した彼女の熱意は本物で、実は琴もよく知る女の子だった。
中学の時は同じソフトテニス部の先輩後輩という関係。葉乎の試合があるとグラウンドの隅で隠れることもせず、一人ないし二人の友達を連れて眺めていたのも知っている。
葉乎を追って同じ高校に受験して、見事合格を勝ち取って、新年度から入学してきて。
それは一段と垢抜けてて。
他の同級生や三年の先輩からも一目置かれて人気だと聞く、どこからどう見ても可愛い子だった。
なのに。
「——残酷すぎる……まぁでも、最初から分かってたとこ、あるっていうか、答え合わせじゃね?」
「うん。実際そう言ったらしいよ、新田くん」
「え、うそ! マジマジ? なんて?」
「それがね——」
琴はその日の放課後、帰りに友達とコーヒーの新作を啄みながら、いつもと変わりなく街を練り歩き、カラオケでたっぷり三時間熱唱して、声を枯らしながら店を出て、まだ明るめながら、翳りの見え出した街並みの中を戻って、駅のコンコースで友人たちと別れ、一人電車に乗り、地元の駅前につくとデパートを出て、直通のビル内店舗ではなく、少し歩いた通り沿いの小さなコンビニに入り、紙パックのリプトンを取ろうとして、ばったり葉乎と出くわした。
「この変態……」
「お前がな」
二人は言い合いながら、二つのレジに並んで買い物を済ませ、同じバスに乗って、いつもの公園内を歩いた。
いつもと同じく、道の端と端に陣取りながら、
「ねぇ」
「ん?」
琴は対岸の幼馴染に声と視線を投げた。
「なんでふったの」
「…………」
「あの子、ずっとアンタのこと好きだったのに……」
葉乎はしばらく黙ってから、ふと気付いたように言葉を返した。
「なんで知ってんの」
「そりゃ噂になってんもん。かわいそー」
「うっせえわ」
しばらく沈黙が続いて、ランニングしてる人が何人か、二人の真ん中を過ぎていった頃、葉乎は唐突に切り出した。
「お前だって、去年さ、二年の先輩から——今は三年か——告白されてたじゃん」
「は? なんで知ってんの?」
こっちは即答だった。葉乎もすぐに答えた。
「知らないとでも思ったか? 噂になってたろ」
「知らん。男子の噂話なんて」
「なんで?」
「…………」
「なんで断った? 別に悪い奴じゃなかったろ」
母子連れが遊んでいる砂場の近くを通り過ぎて、町内会のおばちゃんたちがよく利用しているテニスコート、下手くそなバッターが特大のファールをかちあげる野球場の前と進み、自分たちが通うのとは別の高校の足元、公園の入り口まで来たとき——いわゆる"公園の入り口のあれ"が見えてきたとき、葉乎から切り出した。
「あのさ」
「ん?」
「たぶん、このままじゃ……俺たちは良くても、周りに被害者が出続けると思う」
「……うん」
「それもあるし——」
葉乎の言葉を聞きながら、琴は思い返していた。
クラスの女子たちが話していた、その内容を——。
葉乎は中庭の木の下に呼び出されて、告白されたのち、その下級生の子にこう言ったらしい。
「ごめん」
「……なんで? やっぱり天王寺さんが」
「俺さ——」
その時、葉乎は小さく頷いて——そして今、琴の前で再び、同じ旨の言の葉を述べた。
「お前がなんか考えてるとき、なんか直感でさ、俺もたぶん同じことで悩んでる。分かるんだ。なんとなく。——俺が誰かと付き合ったら、そんな話聞いただけでも、お前、絶対落ち込むだろ。それ、いやなんだよ、俺。で、実際、告白もされて……気付いたんだけど、俺、他の奴じゃちゃんと2になれないっつーか、同じ1+1に見えて、小数点が違うっつーかさ。お前だから、二人合わせてちゃんと2になれるんだ。他の1じゃダメなんだよ。つじつまが合わない。だからさ、もう……」
葉乎は入り口のあれの前で立ち止まると、琴に向かって深く頭を下げた。
「もう離れるの諦めて、俺と付き合ってください」
一瞬——琴の息は詰まった。
あらためて言われると、その言葉は素直にのみこめなかった。
大半はいがみ合っていたようなものだったし。
信じられないという気持ちの方が、実のところ、とっさに大きく膨らんで。
けれど——。
自分に向けてまっすぐ下げられた幼馴染のその後頭部は、それまで半信半疑だった、100%信じきれなかった密かな想いに、純然たる、それでいて最良の、疑いようもない、一つの明るい答えを指し示しているようにしか見えなくて。
感極まって、息が詰まる。
琴は薄く——眼球を濡らし、覆うものが込み上げるのを感じながら、しかし、発作的に顔を背けた。
半ば口元は笑って、
「ダァッサ! ちょ……は? ——え? なに今の? 1+1がどうとか2になれないとか……」
「…………」
珍しく葉乎は何も言い返さない。
何も言わずに琴の目元で頭を下げ続けていて、通りすがる人の目もちらちらとこちらを伺い、あからさまに避けていくのが分かり、琴は慌ててその肩を叩いた。
「……葉乎、ちょ、恥ずかしすぎだから。もう、ほら、顔あげて——見られてるから」
「…………」
「分かった! 分かったから……いいから、もう……その……付き合うから……」
その項垂れた後頭部がぴくりと動いた。
「……早く顔上げろって」
「マジ?」
「……え?」
琴の一言を聞き逃さんとするように突然バッと上体を起こすや、葉乎はその肩をつかんで迫った。
「今、付き合うって言った?」
琴は急な接近に狼狽しながらも……やがて呆れるように返した。
「……あぁ、うん、言った言った。いいよもう。腐れ縁だし? とっくに、私、諦めてたし——それにさっきの、私も……」
「私も?」
琴は耳まで赤くなるのを感じながら、しどろもどろに懇願する。
「……いいでしょ?」
「は? 俺も言ったんだから、聞かせろ」
「——だから、さっきの。……同じこと考えてるとか悩んでるとか? ……それでアンタが落ち込むのがめんどくさいとか……私も似たようなこと考えてたし。……だから、先輩のこともふったんじゃん」
「それ本当? ガチのマジで?」
「マジだって——」
言いながら、琴はふいに湧き上がる違和感に思い至って、間もなく真顔になった。
「ちょっと待って。は? てか、アンタ、だって今、分かるとか何とか言ったじゃん」
「分かるわけねえじゃん。エスパーじゃあるまいし。なんとなくだよ、なんとなく」
葉乎はあっさりと即答した。
「はぁ?! ちょ……」
「言わなきゃ分かるわけないだろ? ひょっとしたら冗談でも何でもなくて、お前の方はガチのマジで俺のことキモいとかストーカーとか付き纏ってるみたいに思ってるかもしんねえじゃん、そんなの。告白断ったのだって、最初は『あ、やっぱ俺のこと好きじゃね? コイツ……』とか思いながら『……いや、でもマジで別に好きな人いたらどうしよう。え、なにその鬱展開。絶対嫌なんだけど……そんなん死ねる』とか考えて、俺、めちゃくちゃビビってたんだから」
琴は、それで夜な夜な枕を濡らしたり、布団をかぶさって震える葉乎を想像して、思わず吹き出した。
「え、待って。アンタ、自信ないの?」
「ないよ。でも、なんとなくだよ」
「なんとなくって……」
もう面白がっている琴に対して、葉乎は珍しく奥歯に物が挟まったように、ぽつぽつと続けた。
「なんとなく……こう思ってたらいいなーとか、通じてたらいいなーとか。要は、そうだったらいいなー、だよ。でも感じたこと、信じてみなきゃ始まんないだろ。そう思って……でもそしたらまぁ、うん、あの……あれ? これ、好きなんじゃね? ってなって」
「かわいすぎかよ。お前」
「うっせえわ。男子ってのは、たぶん、皆そうなんだよ。本当は。『ヤバい、地雷踏んだかな?』とか『嫌われてないか?』とかそういうの、めっちゃ気にしてんだよ! 笑うなって」
琴はもうおかしくておかしくて、腹を抱えて笑っていた。
次第に入り口のあれに腰を落ち着けると、言った。
「いや、だってそれ。男子ってアホじゃん、そんなの。こういうのなんていうの? ええと……取らぬ狸の皮算用? 一人相撲?」
「そこ、普通に俺たちでよくね?」
「いや、私は普通に『あ、コイツ、私のこと好きで好きでしょうがないんだな。はぁ、罪な女だなぁ……』って思ってたよ」
「嘘つけ。聞いたぞ。今日、お前、めっちゃテンション低かったらしいじゃん。俺が告白されたって聞いて、めっちゃ無愛想。誰に対しても、ギラギラしてたって」
「誰から聞いた?」
「誰でもいいだろ」
二人とも、告白の緊張とか浮き足だった感覚はすでになかった。いつぞやのように肩の力が抜けて。
葉乎も近くのあれに腰を落ち着けていた。
「何やってんだろうな、俺ら。アホすぎる。心理戦とか、いや合ってれば楽しいけど、くだらね」
「ね? はー、アホらし」
少しの間——。そうして二人、入り口のあれに腰掛けて佇んだ。
琴の方は特に何を思うでもない。
ただいつものような安心感の中でのんびりと手足を伸ばしていた。
だから、また突然ふっと、葉乎が何も言わず腰を浮かせたのを見ても、
(よし、帰るか……)
としか思っていなかったし——ましてや警戒なんてなおさらだったのだ。
「かえ——」
しかし、琴がそうして顔を向け、実際にそれを舌の上に乗せかけたとき。
葉乎はもう口付けていた。
公園の入り口にあるあれに、軽く押し付けられるように、そっと唇が重なる。
顔が離れて、琴が事態を把握して目を見開き、わなわなと震えながら、たちどころを押し寄せる多種多様入り混じった感傷と戦っている。
——と、さも平然として、葉乎は言った。
「帰るぞ。暗くなってきたし」
「……アンタ、人の——」
「俺のでもあるから許せ」
幼馴染の言う通り、陰の立ち込めてきた通りに向かい、その後に続きながら、しおしおと琴は言った。
「……う、うん」
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