高校生編・余談《その夜と翌日のこと》

第3話

その夜の食後、部屋に戻ってくるなり二人はメッセージをまさしく送受信交換した。この時でさえ、わずかな遅延も見られず、電子は互いの座標のちょうどど真ん中ですれ違った。

〈夕食、何だった?〉

 同時にそのメッセージが互いのスマホ上、チャット画面に更新されて、二人ともにまるで同じ速度で打ち返した。

〈赤飯〉

「なんでだよ!」

 二人は同じタイミングでスマホにツッコミを入れると、背もたれに深く体重を預けて、仰け反り、改めてこの不思議な縁の根深さ、いやらしさを思い知るのだった。

 ふと起き上がって、メッセージを追加する。

〈なんか、町内会の手伝いでもらったらしいよ〉

〈あ、それ。うちのおかんも言ってた〉

 隣の家越しにそれぞれシャワーを浴び、風呂に浸かってほかほかした後の時間も、そうして寝る間際まで通話した。

 午前零時を回り、少しして、共に「おやすみなさい」を言い終えた直後だった。

 ふとある事に気付いて、琴が口走った。

「——あ、そうだ」

「ん?」

「あのさ、葉乎……」

「うん」

「好き。大好き」

 しばらくの沈黙があって。

 それから葉乎はスマホ越しに口元のはにかみを押し殺しながら返した。

「お、おう……うん、どうも……あー? ありがとう?」

 しかし、間もなく。

 そのイヤホン越しに聞こえてきたのは、鋭く冷えた琴の一言だった。

「は?」

「え?」

「違くない?」

「何が」

 葉乎は本当に分かっていない。琴は込み上げてくる理不尽さに、次第、あれもこれもとついでに思い出して、

「ちょっと待った。ねぇ、そういえばさー、名前呼んでるのも私ばっかじゃない?」

「え、あー、確かに……」

「はぁ? なんで?」

「なんで? なん——なんで……? え、知らん……え、てか、なんか怒ってる?」

 琴はとたんに大きく舌打ちし、

「おやすみ!」

 憎しみをこめてそう言い残すと、ぶちりと通話を断ってそのまま布団に潜り込んだ。

(なんでこーいうときは合わないわけ?! 面白がんな、クソ神様!)

 翌朝——。

 意識が目覚めて次の瞬間には、そのやりとりが再生され、深く後悔した。

(うーわ、顔合わせづらっ)

 非常に出にくいし、顔を合わせて最初にどんな対応をするのがベターかも分からない。

 癇癪を起こした次の日の初手のセオリーってなんじゃ? いっそ何もかも忘れたふりをして生きていこうか。ここはどこ? 私はだれ? いやいや、それは忘れすぎだし、あのアホはアホゆえにまったく気を遣わず言及してくるだろうし、そうなったら、逆に忘れたふりがしんどくなる。

 何よりそんなことでカロリーを余計に消費するなんて、私がアホみたいじゃないか。しかし、無神経な女と思われるのも……ぐぬぬ。

 そうして起き上がれず、しばらく布団の中でまごまごしていた。

 そんなジレンマと戦いながら、あらゆるシーンでもたもたして玄関を出たところ、ちょうど隣の家から出てきた幼馴染もまた同様の仏頂面をしていた。

「うす」

「うん」

 二人は昨日の帰り道を逆向きに辿りながら、やがて琴の方から口を開いた。

「てか、あのさ……別に付き合い出したからって、合わせなくてもいいからね。毎日一緒に仲良く登校とか、はずいから」

「合わせたわけじゃないの。たまたま、俺も今出てきたとこなの」

「きもちわる」

「俺もそう思ってるの」

「その喋り方やめろ……殺意が湧く」

「あ、そういや昨日のあれ何?」

「……何が?」

「怒ってたろ?」

「あー」

「今更、遠慮する仲でもねーべ。なんだよ?」

「…………」

「琴?」

 琴は早歩きで、葉乎の少し前を進みながら、言い放った。

「絶対言わない」

 その朝、教室の端と端で、同級生男子女子の声はハモった。

「告白された(した)?!」

「うん」

「なんで黙ってた(の)?!」

「邪魔されたくなかったから」

「コイツら! 友達甲斐がねぇ!」

 返答も同様だった。

 廊下側では女子が、窓際では男子がそれぞれ問い詰める側と答える側に別れて、その後も根掘り葉掘りと質疑応答が繰り返された。

「——で。それなのに、あんまいつもと変わらんくね?」

 しかし、琴も、葉乎も、絶対にお互いの目線だけは合わせようとしない。

 喧嘩していること、それ自体はいつものこととはいえ、少し違ったぎくしゃくしたムードが両者の間に流れていることを察知して、それぞれの友人が問いかける。

「一日目にして破局か? 何があった?」

「それがさ——」

 そうして琴が答えようとした矢先、教室の反対からヤジのような発言が聞こえてくる。

 葉乎だ。琴と同じようにして、男子グループの中で葉乎は言った。

「それがわっかんねぇんだよ。昨日の夜、電話で話しててさー、『おやすみ。あ、そうそう……好き、大好き、はぁと』とかって言ってたくせに——」

 しかしそれも中途で遮られた。

 琴がとっさに投げつけた消しゴムが、べちんっとその額にジャストミートしたのである。

 葉乎は一度その場に昏倒して、間もなく起き上がるや額に張りついた消しゴムをとって怒鳴りあげた。

「てめ、琴、何すんだよ!」

「それはこっちのセリフじゃボケぇ! 乙女の秘め事、さっそく公衆の面前で暴露して! しかもハートなんていってねぇ! 言い方も所々間違ってんだよ! それもムカつくんだよ!」

「元はといえば、てめーがわけわかんねーからだろ!」

 東西に別れて戦乱を巻き起こすが如く、二人は教室の端と端で罵り合い、それは担任が入ってくるまで続いた。

 そして休み時間——。

 琴の友人代表のような顔した相馬 紗織がいつものように、琴の席の隣に腰掛けて言った。

「あー……そゆこと? 肝心のあの言葉を聞いてないと。で、言わせようとしても、あの鈍感クソ馴染みが鈍感ゆえに言わなかったし、気付いてもなさそうだと」

「そう。……てか鈍感クソ馴染みって、さすがに他人の彼氏につけるあだ名じゃないよね。彼女前にしてつけるあだ名じゃないよね」

「なんかこう、くっそ可愛いなお前ら。そしてムカついてきた。可愛さあまってムカついてきた。やっぱ二人で宗谷岬に飛んで散ってくれよ」

「宗谷岬を心中のスポットみたいに言うなよ。そろそろ訴えられるぞ」

 紗織たちは呆れを通り越して、もういつものように冷め切っていた。

 付き合い出そうが、この二人はこの二人なのだ。永遠にこのままだし、そのまま朽ち果てろと思って出した結論はこうだった。

「適当にしてればそのうち言うよ。解散」

「ええ?!」

「あの童貞クソ馴染みもそうだけど、アンタもアンタで素直になれば一発じゃん。問題ですらなく、すでにノロケの範疇なんだわ。くそうざい」

「童貞クソ馴染みってさらに酷くなってんだけど……」

 その対面で、じっと様子を伺っていたもう一人の友人——伊藤いとう 美希みきが、琴の席に項垂れながら、実しやかに呟いた。

「でもさー、そういう認識のズレって後々大きくなるし、早いとこ済ませたほうが良くない? 実際」

「だ、だよね」

 美希は上体を起き上がらせるとしみじみこう言った。

「うん。だから、今夜が峠かなぁ。日没までに解決しなかったら、肝心なとこが合わないって思って、きっぱり別れたほうが賢明かも」

 琴はたちまち大口を広げて唖然としたのち、ぽつりと助けを求めるように言った。

「……何気なく一番キツいこと言ってない? この人」



「あの雑言クソ馴染みが急に機嫌が悪くなるのなんか今に始まったことじゃないじゃん? それをさらっとやり過ごしたり、機嫌取れてこその彼氏なんじゃないの?」

 一方で男子も男子で作戦会議だった。

 相馬 紗織と以心伝心でもしたかのように言う成沢 史彦の足元で葉乎は食い下がるように言った。

「雑言クソ馴染みってなんだよ、琴か? 琴のこと言ってんのか?」

「あの処——」

 しかし、流石にそれは言わせない。葉乎は素早く史彦の口を片手で塞ぐと、ぎりぎりと音が出そうなくらい指先に力を込めた。

「てめ、殴るぞ」

「悪い悪い」

 成沢 史彦がたじろいで平謝りをかます隣で、グループの中で最も幼なげな男子——古賀 ロラン(ハーフ)が如何にも重々しく呟いた。

「でもさ、こういう時に甲斐性見せられないのって、実は結構、後引くよね。気にしてない風にしてても、本当はいつまでも気にしてたりさ。だから、今夜が峠かなぁ。日没までに機嫌とれなかったら後はないと思ったほうが良いと思う……」

「……なにこの、実は経験豊富そうな見た目可愛いツッコミ役。流行ってんの? 流行らそうとしてんの?」

 葉乎は呆れるように言う傍、急所を衝くような古賀 ロランの言いように内心、焦り出すのだった。

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