雨音に喘ぐ柔肌〜箱入り娘を自宅へ連れ込んで〜

ユキ

第1話雨音に喘ぐ柔肌〜箱入り娘を自宅へ連れ込んで〜

 梅雨の東京は、僕にとって宝物庫だ。街が湿った空気に包まれ、カメラを手に歩くのが好きだった。その夜、下町の神社の夏祭りに出かけた。提灯が揺れ、露店の喧騒が響く中、彼女を見つけた。

 着物姿で、髪に小さな飾りを付けた女性。深い藍色の布に気品が漂い、どこか自由そうだった。僕は思わずシャッターを切った。彼女が気づいてこちらを見た瞬間、まずいと思った。

「すみませんでした。勝手に撮ってしまって」

「いえ、大丈夫ですよ。素敵に撮れましたか?」彼女の声は柔らかく、敬語が自然だった。

「はい、とても自然で綺麗でした。実は写真家なんです。怜央と言います」僕は名刺を差し出した。彼女はそれを受け取り、微笑んだ。

「刹那です。よろしくお願いします。写真家さんなんですね」

 刹那。初めて知った彼女の名前が、耳に心地よかった。

「ええ、ストリートスナップが好きで。自然な瞬間を撮りたいんです。アンリ・カルティエ=ブレッソンって知ってますか?彼、カメラに黒テープ貼って隠してたんですよ。僕もそんな風に撮りたいんです」

「自然な瞬間……。私もこういう場所、好きなんです。一人でいると自由を感じるから」

 彼女の言葉に、僕の胸がざわめいた。そのまま、僕らは境内の小道を歩いた。

「祭りに一人で来るなんて珍しいですね」

 僕がそう言うと、彼女は少し目を伏せた。

「家が厳しくて。実は茶道家の娘なんです。今日は家族が茶会の準備で忙しくて、抜け出してきました。少しだけ、自分の時間を持ちたくて」

 その告白に、ヴィヴィアン・マイヤーを思い出した。日常の中で美を見出した彼女みたいに、刹那も自由を求めているんだろう。話が弾んで、つい提案した。

「もしよければ、僕の家で珈琲でもどうですか?撮った写真も見ていただけるし」

 刹那は少し驚いた顔をしてから、頷いた。

 自宅は下町のアパート。窓辺に写真が並び、珈琲器具が整然と置かれている。僕はエチオピア・イルガチェフェの豆を選んだ。フローラルな香りが好きで、淹れるプロセスが僕の儀式だ。

「この豆、面白いんです。コピ・ルアクの原種に近いって言われてるんですけど、僕は自然なままの方が好きで」

 刹那が目を丸くしたので、笑いながら淹れ始めた。豆を挽く音、湯が滴る音、香りが部屋に広がる。カップを渡すと、彼女はそっと手に取った。

「こんな風に淹れる人、初めて見ました。茶道とはまた違う儀式ですね」

「祖父が教えてくれたんです。珈琲って、時間をかけて味わうものだよって。今じゃ僕の習慣ですね」

 彼女が一口飲むと、目を細めた。

「美味しいです。少し花みたいな香りがする」

 その言葉に、僕の胸が温かくなった。話が尽きず、別れ際、刹那がぽつりと言った。

「明日もお邪魔していいですか? もう一度、この時間が欲しいんです」

「ええ、もちろん」

 翌日、雨が降っていた。刹那が再び訪れ、今度は普段着だった。シンプルな白いブラウスと濃紺のスカートが、彼女の柔らかな雰囲気を引き立てていた。僕はまたイルガチェフェを淹れた。

「昨日は楽しかったです。珈琲、忘れられない味でした」

「それは嬉しいです。でも、何か寂しそうですね」

 彼女は目を伏せた。

「私、見合いがあって。来週には決まるんです。茶道家の娘だから、自由がないってわかってるけど」

 その告白に、僕の胸が締め付けられた。

「一度だけでいいから、自由に恋したい」

 彼女の呟きが部屋に響いた。珈琲の湯気が立ち上る中、刹那が僕を見上げた。

「怜央さん、近くにいてもいいですか?」

 彼女がそっと近づき、手を僕の腕に置いた。その瞬間、抑えていたものが溢れた。

 カップの湯気が彼女の吐息と混じり合い、部屋に静かな熱が広がった。彼女の指先が僕の肩に滑り、その温もりがゆっくりと伝わる。窓の外の雨音が遠く、彼女の髪の匂いが僕を包んだ。刹那の瞳が揺れ、首筋に落ちる髪が僕の手を導くように触れた。彼女の肩が小さく震え、僕はそれを優しく包み込んだ。

「こっちへおいで」

 僕がそう囁くと、彼女の瞳が一瞬大きく見開き、すぐに柔らかく細まった。僕の手が彼女の腕をそっと引き、ベッドへと導いた。部屋の薄暗さに雨の音が溶け込み、彼女のブラウスがわずかに擦れる音が静寂を破る。ベッドに腰掛けた刹那の髪がシーツに流れ、僕はその柔らかさに手を伸ばした。

 彼女の吐息が僕の耳に触れ、頬を撫でる髪が温かい。僕の手が彼女の背に回り、ブラウス越しに感じる体温が熱を帯びていく。彼女の唇が近づき、かすかな湿り気が僕の首筋に残った。刹那の指が僕の胸に触れ、服を解く仕草にためらいがない。雨の滴る音と彼女の息遣いが重なり、僕の掌に彼女の肌の柔らかさが広がった。

 シーツが小さく軋み、彼女の瞳が僕を見つめる中で、時間が溶けるように流れていく。僕の手が彼女の腰をなぞり、刹那の体がわずかに反る。彼女の吐息が熱を帯び、僕の耳元で小さく途切れた。

「怜央さん……」

 その声に、僕の心が震えた。彼女の体が僕に寄り添い、僕の手が彼女をしっかりと引き寄せる。二人の距離が完全に消えた瞬間、深い波のように温もりが広がった。彼女の内側に僕が溶け込み、刹那の震えが僕を包む。彼女の髪が乱れ、シーツに散らばる中、僕の鼓動が彼女に響き渡る。雨音が遠ざかり、彼女の吐息と僕の熱が一つになった。珈琲の香りが薄れゆく中、写真が飾られた壁の影が揺らぎ、僕らは現実を忘れて深く繋がった。

 翌朝、彼女は見合いのために旅立つと言った。東京駅のホームで、彼女を見送った。

「怜央さん、ありがとう。あの珈琲と昨夜の温もり、ずっと覚えてます」

 電車のドアが閉まり、ホームに残された僕は自宅へと帰った。テーブルに、彼女が置いていった髪飾りを見つけた。それを手に、珈琲の苦味と共に刹那を想った。

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