第23話 砂原さんは、ちょっとヤバい

「砂原さんさあ、ちょっとヤバいよ」


砂原さんが営業部に行って1ヶ月ほどしたある日のランチで、絵里香がそう麻衣に耳打ちしてきた。ようやく、砂原さんのことを殆ど考えずに済むようになってきた頃だった。


「ヤバいって、何が?」


「全っ然契約取れてないの」


「そんなの、当たり前じゃん。砂原さん、入社してからずっと経理の人で、営業なんてやったことないんだから」


「それにしたってさ。0件だよ。0件。今年入った新人だってもう何件かは取って来てるのに。営業成績ダントツのビリ」


なんと言っていいかわからなかった。


「あの人、心から営業向いてないよね。お客さんに愛想笑いひとつできないし。言うことも堅苦しくって。話してるとこっちが緊張しちゃう感じ?お客さんもあの人のこと苦手なんだろうなってのがよくわかる」


絵里香の歯に衣着せぬ物言いは、自分に関係のない人についてされている時には面白いけれど、それが砂原さんに向けられると…キツい。


「経理にいるときはあれでよかったんだろうけど、営業じゃあれは通用しないよ」


「そんなこと言ったって! 仕方ないじゃん! 砂原さん、経理の人なんだから!!営業向きじゃないのなんて、誰が見たってわかるじゃん!」


自然に声が大きくなる。


「私に怒らないでよ。営業に来ることになったのは、砂原さん自身が原因でしょ。それに、サラリーマンなんだから、必ずしも向いてるとこに行けるわけじゃないのよ。向いてない所に行ったら行ったで、自分がそこに合わせて頑張っていかなくちゃいけないのよ。麻衣だってそうしてるじゃない」


「それは…その通りだけど」


「でも、ちょっと見てられないんだよね、あの人。お客さんとだけじゃなく、社内の人間関係も苦手でしょ。一匹狼っていうかさ。飲み会とかも、誘っても絶対来ないし。部内でも孤立しちゃってるんだよね。誰でも調子良くないときはあるけど、そういう時ってみんなと飲みに行って気分変えたり、アドバイスもらったりするじゃない。そうやってるうちにスランプ脱出できたりもするんだけどさ。あの人って、困ってても助けてって言えない感じ?他人が手を出してもはねつけちゃうっていうか」


―困ったときに、人に助けてって言えるのも能力よ。出来ない人もいるから


前に砂原さんがぽろりと言った。あれは自分のことだったのか。


気になって営業部をのぞいてみる。もう、二度とこないと決めたのに。


自分の席で、必死にパソコンに何かを打ち込んでいる砂原さんの姿があった。それ自体は経理部にいた時と同じなのに、あの時の落ち着いて自信に満ちた姿とは違ってひどく弱々しく頼りなく見えるのはどういうわけだろう。


少し離れた場所では、太田が、周囲の数人の営業部員たちと、何が面白いのかゲラゲラ笑いながら打ち合わせをしていた。


自分には関係ない、そう思いながらも、それ以上見ていられなかった。

麻衣は早々にその場を後にした。


その日の夕方。時刻は6時を少し過ぎたくらいだったろうか。


帰宅しようとした麻衣は、エントランスを出たところで砂原さんの姿を見かけた。


「砂原さん!」


構わないでいようと決めたのも忘れ、麻衣は砂原さんに駆け寄った。


「今から帰りですか?よかったら一緒に…」


「これから営業先に行くところなの」


砂原さんは無表情のまま意外なことを言った。


「今からですか?一人で?」


「お客さんがそうしろって言うんだもの。今から来れば契約してくれるって」


それって。

嫌な感じがした。


営業のことは全然わからないけれど、そういうのって普通なんだろうか。


「そんなの、変ですよ。何か裏があるんじゃないですか?」

「それでも行かなくちゃいけないの」


言葉が、ぴんと張り詰めていた。


「そしたら、せめて誰かと一緒に…」


「もう行かないと、遅れちゃうから」


まだ何か言おうとする麻衣を振り切って、砂原さんは早足で歩いて行く。

麻衣も追いかけた。


「砂原さん!」

「ついてこないで!」


ピシャリと言われ、「待て」を言われた犬みたいに、麻衣は動けなくなった。

ヒールの音をコツコツと響かせて、砂原さんの姿は遠ざかり、視界から消えた。

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