第21話 嫌な予感

「砂原さん、一体どうなるんだろう?」


「さあ。クビになることはないだろうけど。でも、これだけ騒ぎになっちゃったし、何の処分もないってことはないだろうね」


社員たちが噂しているのを聞きながら、麻衣は胸が締めつけられる思いだった。


帰る途中、砂原さんと太田がカフェに入っていくのを見かけた。


外からちらりと見える二人の姿に、麻衣の足が一瞬止まる。


なんで? 


まるで湿った布が肌に張り付くように、心の中にベッタリとした嫌な感覚が広がっていく。


今回のミスは絶対に太田のせいだ。

なのに、こんなことになっても、砂原さんはまだなお太田と一緒にいようとするのか。

無性に腹が立った。


次の日、 砂原さんと二人になった時、どうしても黙っていられなくて聞いてしまった。これ以上何か言ったら絶対にうるさがられるのはわかっていたのに。こういう所、自分でも面倒くさくて嫌になる。


「きのう、太田さんと一緒にいましたね」


砂原さんは、ドキッとするほど冷たい目で麻衣を見た。それだけで逃げ出したくなってしまうくらい。でも、逃げ出さずに、お腹に力を入れて尋ねた。


「こんなことになっても、まだあんな人のことが好きなんですか?」


「別れたわよ」


砂原さんの声に、感情は感じられなかった。


「こんな、あり得ないミスをするなんて。自分で自分が信じられない。確かに、あの人と付き合い始めてから、私はおかしくなった。こんなの、私じゃない。こんな私は許せない。だから、あの人とは別れた」


「良かった。それで良かったんですよ。あんなサイテーなやつ。砂原さんにはもっとふさわしい人がいます」


「自分の方がふさわしい、とでも言いたいわけ?」


「え?」


「あなたのせいよ」


「…」


「あなたがチョロチョロして、余計なことを言わなければこんなことにはならなかったのに。全部あなたのせい」


言葉がなかった。ただ、無性に悲しかった。責められたことが、ではなく、あの合理的で理知的な砂原さんが、そんな無茶苦茶なことを言うなんて。そんなこともわからないくらい、砂原さんは混乱しているのだ。いや、本当はわかっていないはずがない。それでも、誰かを責めないとやってられないくらい、砂原さんは今、つらくてやっていられないのだ。


「ごめん」


砂原さんは大きく息を吐いた。息と一緒に何かも吐き出してしまいたいように見えた。


「自分が馬鹿だったのはわかってる。でも、あなたのことも許せそうにないの。お願いだから、もう私には構わないで」


「…わかりました」


許せないって、私が何をしたというのだろう。ただ、砂原さんのことが好きで、砂原さんにつらい思いをしてほしくなかっただけなのに。

これ以上砂原さんの顔を見ていられなくて、その場を離れた。


会いたいとき、会いたい人にはなかなか会えないのに、会いたくない時に会いたくない人には会ってしまうのは何故だろう。


会社を出て、駅に向かう道の途中、ヤツに出会ってしまった。


思いきり目が合って、仕方なく「お疲れ様です」と声をかける。


「お疲れさま」


不必要に爽やかで薄っぺらな笑顔を浮かべた太田は、さっさと去ってくれればいいのに、麻衣の隣に並んで、一緒に歩き出した。


「砂原さんとは別れたよ」


大袈裟にため息をつきながら太田は言った。


「知ってます。砂原さんから聞きました」


太田の方を見ないで答える。


「安心した?砂原さんのナイトとしては」


嫌な奴。

見なくてもわかる。さぞかしニヤけた顔をしているんだろう。


「太田さん、なんで砂原さんと付き合ったんですか?」

「杉谷さんが協力してくれたからでしょ」


思い出したくない痛い傷を抉られる。


「太田さんがこんな人だとは思わなかったからです」


「そんな淋しいこと言わないでよ。杉谷さんが協力してくれて、嬉しかったんだよ。俺、本当に砂原さんのこと好きだったんだから」


「嘘」


「嘘じゃないよ。だって、あの、経理部の砂原さんだよ。社内の有名人で、経理部の妖精だよ。あの人を落としたって言ったら、面白いじゃん。まあ、案外あっさり落ちちゃって、拍子抜けではあったけど」


かっと血が上った。気がついたら、太田のほおに平手を食らわせていた。


「痛った」


太田がわざとらしい様子で頬に手を当てる。嫌味な笑みは浮かべたまま。


「杉谷さんて、暴力は嫌いなのかと思ってたよ」


お前が言うな。本当に腹が立つ男。


「もう二度と砂原さんに近づかないでください!」


「そう出来るといいんだけどね」


含みのある言い方だった。


「どういう意味ですか?」

「さあね」


いつの間にか、駅に着いていた。


「じゃ、僕はこっちだから。またね」


わざとらしい仕草で手を振ると、太田は改札の中に消えていった。

あんな奴のいうことなんて気にするな。麻衣は自分にそう言い聞かせる。だが、じわじわと胸の中に広がる嫌な予感を止めることはできなかった。

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