第19話 最低
「書類の作成について聞きたいことがあるので、ちょっと来てもらえますか」
麻衣が横に立つと、砂原さんは顔を上げた。
「それなら、ここで…きゃっ」
「いいから、来てください」
変なアドレナリンの勢いに任せて、砂原さんの腕をつかんで強引に連れ出した。
空いている会議室を見つけて、砂原さんを押し込み、続けて麻衣も一緒に入る。
「どうしたの、一体?」
「砂原さん、目、どうしたんですか」
砂原さんは眼帯に手を当て、これは、と一瞬言い淀んだ。
「これは、ものもらいが出来ちゃって…ちょっと、何するの?」
麻衣は、砂原の眼帯を強引に奪いとった。
「こんなものもらいがあるんですか?」
砂原さんの目の周りがはっきりと青黒く腫れていた。
「アイツにやられたんですよね、太田に。最低」
砂原さんは眼帯を奪い返し、慌てた様子で弁解する。
「違うの。太田さんじゃないの。これは私が転んで…」
「そんな下手くそな嘘つかないでください。アイツがやったって、自分で言ってましたよ」
結局言わなかったけど。カマをかけてみた。
「あの人に言ったの?余計なことしないで!!」
やっぱりそうなんじゃないか。改めて怒りが込み上げる。
「暴力なんて、最低じゃないですか。どうしてあんな奴のこと庇うんですか?」
砂原さんは一瞬黙って、目を伏せた。
「私が悪かったの。余計なこと言ったから」
「そんな」
「それに!暴力ってほどじゃないのよ。一瞬だけカッとなって突き飛ばされただけで、その後ちゃんと謝ってくれたし。私のこと好きだからつい頭に血が上っちゃっただけだって…」
「…最っ低。暴力男って、みんなそういうこと言うらしいですよ」
「…」
「別れましょう、そんなヤツ。今すぐ!」
「イヤ。別れたくない」
どうしてそこまでして。麻衣は泣きたくなった。
「…あんなヤツ、どこがいいんですか」
「可愛いって言ってくれたのよ、私のこと」
砂原さんは、遠い目をして答えた。
「みんなが私のこと怖いって言ってるの知ってる。自分でもそうだと思う。私なんて堅苦しくて融通が利かなくて可愛げがなくて。『真面目だ』とか『しっかりしてる』って褒められたことはあっても、可愛いなんて言われたことなかった。そんな私のこと、太田さんは可愛いって言ってくれた」
「それは…」
―砂原さんのこと可愛いと思ってる人、たくさんいると思いますよ。砂原さんにはとても言えないだけで。
「私なんかと付き合ってくれてるんだから、少しくらいのことは我慢しなくちゃ」
砂原さんは、寂しそうに笑った。
「なんで?どうしてそんな事言うんですか?砂原さんは、可愛いし、とっても素敵な人です!もっと、自分を大事にしてください。自分を信じてください!」
麻衣は必死に訴えた。砂原さんは間違ってる。どうして自分のことをそんなに過小評価するのだ。砂原さんは、こんなに素敵な人なのに。
「大事にしてるし、信じてる。私が決めたことなんだから、放っておいて」
砂原さんは、冷ややかな目で麻衣を見上げていた。そこに、麻衣の入る余地はほんの僅かも残されていない。
―残念ながら、君の愛するお姫様には、君のことは見えてないみたいだけどね
麻衣は、唇をかんだ。悔しすぎるけれど、あの男の言う通りだ。
「わかりました。好きにしてください。今度こそもう本当に何も言いません」
砂原さんをその場に残して、麻衣は会議室を出た。いつの間にか冬が近づいている。ひんやりとした空気が身に染みた。虚しくてたまらなかった。
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