第16話 それなのに

 それなのに。

 それから1ヶ月も経ってはいなかったのに。


 土曜の夜の繁華街。麻衣は学生時代の友人と久しぶりに会って、その帰りだった。


 お互い「新入社員」という立場からようやく脱却しつつあるという似たような不安定な境遇にあることから、互いの愚痴で盛り上がってつい酒も進み、終電の時間も迫っていた。


 駅へと向かう麻衣の目の前を、太田が、女性と二人連れで歩いていた。麻衣は一瞬、それが砂原さんかと思ってどきりとした。


 だが、砂原さんがあんな派手な服装をしているわけがないし、あんな下品な声で笑うわけがない。


 太田はその女性の腰に手を回し、麻衣には気付かない様子でネオンの奥へと消えていった。

 あの先には、確かホテル街があったはずだ。


 そのまま駅に向かってしまったが、電車に乗ってからも気になって仕方がなかった。

 終電など構わず、あのまま二人をつけていけば良かったか。


 自分の目で見ながらも半信半疑だった。太田は本気で砂原さんのことが好きなんじゃなかったのか?あの、真っ赤な顔で麻衣に砂原さんの事を聞いていたあの時の純真そうな様子は何だったのだ。


 本当に勘違いだったということもある。

 いい年をした男女が二人で歩いていたからといって、直ちにそういう関係だと決めつけるほど麻衣も単純ではない。


 だけど…。


 あの雰囲気、そしてあの場所。取り澄ましているくせに、どこか鼻の下の伸びたさっきの太田の顔を思い出す。


 反射的に、砂原さんの顔が浮かぶ。太田と付き合っているのかと尋ねたときの、あの、少女のようにはにかんだ表情。砂原さんは、間違いなく太田のことが好きなのだ。それもかなり。


 太田という人間のことはよくわからない。だが砂原さんが好きな相手なら、この人になら砂原さんを託してもいいと思ったのに。


 砂原さんを裏切るなんて。本当に裏切っているとしたら、絶対に許せない。

麻衣はぎりぎりと歯を食いしばった。


「あの女性とはどういう関係なんですか?」


 月曜日、出社してくる太田をつかまえて非常階段まで引きずっていき、麻衣は尋ねた。


「あの女性?」


 太田は眉間にシワを寄せた。その様子が大げさすぎるような気がした。


「しらばっくれないでください。見たんです、私。土曜日に、繁華街で。派手な服の女性と二人で歩いてましたよね。腰に手を回したりして、親密な様子で」


「なんのこと?人違いじゃない?土曜日はそんな所に行ってないし、女の人となんて一緒にいなかったけど」


 あれは、絶対に見間違いなどではない。

 首を傾げ、平然と白々しい言葉を並べる様子にカチンときた。

 なんの反省もない。ウソをつきなれた人間の態度だ。


「じゃあ、この写真、砂原さんに見せてもいいんですね?」


麻衣はスマホをちらつかせた。


「土曜日の11時45分ごろ、〇〇通りのコンビニの前で、でっかいヴィトンのバック持ってたあの女性と一緒にいるとこ写ってます」


 ハッタリだった。本当は写真なんて撮っていない。


 だがそれを聞いた太田は態度を変えた。


「ちがうんだ…誤解だよ、あれは…ただの友達なんだ。彼女、ちょっと困ったことになっててさ。相談に乗ってあげてただけなんだよ。ただそれだけだから…砂原さんには黙っておいてもらえないかな」


 ウソをつけ。あんな様子で、何が相談だ。何がただの友達だ。

 ハラワタが煮えくりかえる。


 なんてせこい人間だ。こんなヤツを一瞬でもいい人かもしれないと思っていた自分自身の見る目のなさにも腹が立つ。

 こんな男と砂原さんのキューピッド役を務めてしまったなんて。


 それでも一応、砂原さんに対して、やましいと思う気持ちはあるだけマシだと考えるべきなのだろうか。


 そもそも、勢いだけで問い詰めてしまったが、その後どうするかまでは全く考えていなかった。こういうところがいけないのだ、自分。


 迷った末、麻衣は答えた。


「わかりました。砂原さんには言いません。ただし、今回だけですよ。二度とこんなことはしないでください」


「ありがとう。もう二度とこんな、誤解を招くような真似はしないから」


 太田がホッとした顔をする。


 誤解だって?よく言う。全然誤解なんかじゃないくせに。

気に入らない。

 だけど、これを機会に、本当に浮気をやめてくれたなら。砂原さんが気がつく前に。


 胸がチクチクと痛む。砂原さんはこの男のことが好きなのだ。

 砂原さんが悲しむ顔は見たくない。この男がこれで反省するというのなら、本当のことなんて知らせなくていい。


 これで良かったのだ。自分はいいことをしたのだ。


 麻衣は、自分をそう納得させた。

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