第7話 そんな砂原さんが

 十人くらいの賑やかな大学生の集団を会場に送り込み、ほっと一息ついていると、ふと、奇妙な空気を感じた。


「ねえ、このお菓子って、味はどうなの?どのくらい甘いの?」


 見ると、眼鏡をかけた中年女性が、渡されたチラシに目をくっつけるようにして覗き込みながら、砂原さんに詰め寄っていた…もとい、質問していた。


「えーと、そうですね。甘いお菓子なので…甘いと思います」


一瞬吹き出しそうになった。それはそうだけど。


 砂原さんの視線が宙を泳いでいる。


 麻衣は驚いた。砂原さんのこんなに自信のない声をはじめて聞いた。


「甘いのはわかってるの、どのくらい甘いのか聞いてるの。普通よりも甘いってこと?」


女性も食い下がる。


「それは…召し上がっていただければすぐ…」


 もっともである。そのために試食もやっている。だが女性は納得いかないようだった。


 砂原さんの歯切れが悪いのは、商品の味を知らないからである。社員には先日、一足先に試供品が配られたのだが、甘いもの嫌いの砂原さんは例の如く、一口も口にしていない。


 女性は嫌そうに眉をひそめた


「私、甘いものは好きなんだけど、甘すぎるものは嫌いなの。口の中ベタベタになっちゃうでしょ。だから、そういうものは食べる前に避けたいの。だから聞いてるんでしょ!どのくらいの甘さなの?」


「はい、えー」


 何か答えようと、砂原さんはチラシを凝視する。だがそこにあるのは、いかにも美味しそうな食欲をそそる写真と、新商品のコンセプトの説明だけで、砂原さんの欲しい情報はそこにはない。


「なあに?あなた、自分が売ろうとしてるお菓子の味も知らないの?」


「いえ、あの…」


 すごい。あの砂原さんが、怒られてしどろもどろになっている。


 もっと見ていたいような気がしたが、それも人としてどうかと思い、麻衣は割って入った。


「お客さま、大丈夫です。こちらは甘さ控えめの商品になっております」


 麻衣は自信たっぷりに答えた。経理の処理にはいつまで経っても自信が持てないが、これは大丈夫。社内アンケート調査応募という名のサンプル食べ放題のもと、今までに少なくとも10個は食べている。


「本当に?控えめって言いながら、かなり甘いお菓子って多いわよ」


 敵も簡単には引いてくれない。


「確かに、甘さの感覚は人それぞれですからね。そうですね…例えて言えば、みかんより少し甘いくらい。バナナほどは甘くないです」


「みかんだってかなり甘いものもあるわよ」


 そうきたか。なかなか手強い。


「そうですねえ。うちのお菓子で言うと、「ブラン」のメープルバターほど甘くなくて、プレーンと同じくらいの甘さ…って言ってお分かりになりますか?」


敵…いや、女性は、ふっと微笑んだ。


「そうそう。そういう答えを待ってたの。こう見えても、私、子供の頃から大松のお菓子を食べて育ってるんだから。特に『ブラン』は大好き。一番美味しいのはやっぱりプレーンね」


「ありがとうございます!私もプレーンが一押しなんです!プレーン好きの方なら、こちらもきっと気に入っていただけると思いますよ。こちら、素材の味を生かしたお菓子で…」


 麻衣に案内されて中に入っていったその女性は、中のスタッフに引き継がれ、しばらくして試供品とキャンペーングッズを両手に持って上機嫌で出てきた。


「美味しかったわ。お友達にも宣伝しておくわね!」

「ありがとうございます!よろしくお願いいたします」


 二人で頭を下げて見送る。見えなくなる直前、女性は、もう一度振り返って手を振ってくれた。


「いやあ、変な…いえ、熱心なお客様でしたね」


 砂原さんは、苦虫をかみつぶしたような顔をして麻衣に向き直った。


「ありがとう。助かった」

「いえいえ、このくらいは」


 実際、このくらいのこと。単にお菓子が好きで食べていたから出来ただけのことで、普段砂原さんがやっている決算処理とか、経理のよくわからない難しげな手続きと比べたら、全然大したことはない。それでも自分があの「経理部の砂原さん」よりも役に立つことがあると思うと気分が良かった。


「やっぱり自社製品の味くらい知っておかないとダメよね」


 眉間にシワを寄せながら砂原さんがつぶやく。真面目な人なのだ。


「まあ。でも、今のはちょっと特殊なお客様でしたから。そんなに気にしなくても大丈夫ですよ」


 砂原さんは表情を変えない。


「それに今日はただの応援だし、経理の仕事をしている限りはそんなの特に必要ないですから」


 麻衣のそんな言葉などまるで聞いていない様子で、砂原さんはおもむろに会場の中に入っていった。


「砂原さん?」


出てきた砂原さんは、手に、いくつかの試供品を持っていた。


「…どうするんですか?それ」


 嫌な予感がした。


 砂原さんは、黙って試供品の袋を開けると、一息に口の中に放り込んだ。もぐもぐと口を動かすと、険しい表情になる。


「あっま」


 言葉とは裏腹に、苦虫を4、5匹くらいかみつぶしたような顔で眉をひそめる。甘いものでどうしてあんな顔が出来るのだろうか。麻衣には想像もつかない。


 通行人が数人、何事かという顔で砂原さんを見ている。


 麻衣は慌てて砂原さんの服のすそを引っ張った。


「砂原さん、顔! 顔! お客さまが見てますから!!」


 食べたらこんな顔になるお菓子を買いたい人はいないだろう。事態を理解した砂原さんは、一瞬、さらに苦しそうな顔をした後、なんとか苦虫一匹くらいまでに顔を取り繕い、口の中のものを飲み込んだ。


「砂原さんて、本当に甘いものダメなんですねえ…」


 ついこみ上げてくる笑いを押し殺しながら麻衣は言う。


「だから言ってるでしょ」


 気まずそうに横を向く。そんな砂原さんを、不意に可愛いと思った。

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