あい と とおこ
「××ー。オーディションまで遅刻とか、さすがに許されないわよ?」
××は眠い目をこすりながら、反論する。
「えー、別に普段から遅刻してないでしょー? いつもギリギリだけど……」
「わ・た・し・が! まいにちまいにち起こしに行ってあげてるお・か・げ・で・ね! ホンット、××はわたしがいないとダメなんだから……」
××より少し身長の低い頭をなでる。柔らかな、白く触り心地の良い髪。
「はいはーい。いつも感謝してまーす。私の完璧で究極の幼馴染ネオンさまー」
「……それだけ?」
立ち止まり、手を広げ、××を受け入れる体勢をとるネオン。
「じゃー、ぎゅーっ」
要望に応え、ネオンをハグする。
「人前で抱きつかないで、恥ずかしいから」
「っ! なんでやねん!」
ハグをやめ、思わず突っ込みを入れてしまう。関西人でもないのに。
「ふふっ。目、覚めたかしら?」
「まだねむいー! 目覚めのキスしてくれたら、もっと覚めるかも?」
「キス? そんなの二年早いわよ」
「あら、意外とお早い。……あ、結婚式?」
頬をほんのりと赤らめ、顔を伏せるネオン。
「だーっ! もういいから早く行くわよ! ホントに遅刻しちゃうからぁー!」
『……あれ? 私? そっか。今日はアイドルオーディションの日で、ネオンちゃんと一緒に会場に向かってて……それから』
高速で周囲の景色が流れていく。次の瞬間には、
「××! 危ないっ!」
ネオンが叫ぶ声。
道路に飛び出してしまった女児を抱いた××。
トラックが目の前に迫っていた。
「――はっ!」
目を覚ましたとき、彼女は灯りの少ない資料室のような場所にいた。
無機質な壁に囲まれ、机や椅子などもなく、資料を保存することだけに特化しているようだった。
後頭部には柔らかな膝。いわゆる膝枕というものだろう。
「美少女がいる――!」
悲し気にこちらをのぞき込んでいた膝の持ち主は、しかしいまは驚きの表情を浮かべている。
彼女に支えられ、ゆっくりと身を起こす。
ふと、反射した黒いガラスの仕切り壁に、自分の顔が映る。
「あれ?」
自分と相手の顔を見比べる。
「……私? 美少女は私だったかー、まいったなー……ん? 私と同じ顔の女の子がもう一人?」
姉妹だろうか? 妹? 姉?
自分の名前を思い出そうとするが、失敗する。
代わりにある数字列が思い浮かぶ。
「3800 0009。あなたは、えっと3800 0010」
「はい」
「わっ! しゃべったぁ! って当たり前なんだけど、会話するの自体すごく久しぶりな気が……」
「生まれたとき以来ですから、一年と二ヶ月十二日振りです」
「はえー。なんで私たちしゃべってなかったんだっけ?」
「その必要がなかったからです。0010の思考は0009には言葉がなくても伝わりますし、0009の思考も同じく0010に。ですが――」
0010の言葉をさえぎって、0009が続ける。
「――ちょっっっとまって! やめよぉ、それっ! 番号とか人の名前じゃないし! ……えっと、0010だから……『とおこ』! とおこちゃん! おーけー?」
「はい、了解いたしました」
「でね、えっと、私は……0009、きゅう、くー、んー違うなぁ……」
じゃー、と言って、何かぶつぶつと指折り数え、
「あい! 私は『あい』ね! アルファベットの九番目だから。でも、とおこちゃんが呼ぶときはお姉ちゃんでもいいよー。たぶん私がお姉ちゃんでしょ?」
「そちらも了解いたしました。あい」
「ぶー」
口をとがらせるあい。対照的に、最初に見たような表情の変化は、いまはもうとおこにはなかった。普段通り(?)の無感情に戻っている。
「あっ、そうそう。さっき何を言おうとしてたの? ですが、って」
とおこは頷き、続きを話す。
「――ですが、いまはあいの考えることが、とおこにはわかりません」
「テレパシーがなくなっちゃった、とかってこと?」
「いえ、そのような力は、もとよりとおこたちにはありませんでした」
目覚める前に見た最後の記憶。迫るトラックの光景。
「これってやっぱり、異世界転生しちゃったってことなのかな……。それで、私がこの娘になっちゃったから……かも」
「イセカイテンセイ? 知らない言葉です。どういう意味ですか?」
「ごめん。何でもないよ。忘れて」
「了解いたしました。帰還後、データベースにて検索しておきます」
「とおこちゃん、ぎゃくばりする娘だ絶対…………ふぁ」
まだ眠り足りない。できることならさっきの体勢に戻りたい。
膝の温かみは名残おしいが、現状は把握できた。それにいつまでもここにいるわけにはいかない。
あいは立ち上がり、この資料室に来た目的を思い出す。
「さてっと、おしごとしちゃうかー」
異世界転生をしたのなら、この身体は本来の自分のものではないはずだが、記憶を含めた彼女を受け継いだのだろう。問題なく思い出すことができた。
『あい』と『とおこ』は、姉妹ではなく、組織所属のクローン体だった。
組織が何かはわからない。ただ与えられた任務をこなすだけだ。
そして今回の任務は、この駅に存在した地下資料室の調査と探索。
明確な目標は指定されていなかった。組織に役立つ資料と物資の確保を、可能な限り行え、といったくらいのものだろう。
現在のエリアは幾度か他のクローン体によって探索されてはいるが、そのいずれもが途中で消息を絶っており、いまだ全貌が見えていない未知のエリアだった。
「結局あれって何だったのかな。私が倒れる原因になったやつ」
辺りを物色する手は止めず、口だけを動かす。
「わかりません。あいがとっさに顕現させた物理障壁を貫通したということは、魔術弾なのでしょうが、あの速度であの距離を駆ける魔術弾を私は知りません」
あいが前世の記憶(?)を思い出すきっかけになった『何か』。
「私、頭ぐちゃぐちゃになってなかった?」
冗談めかして言ってみたが、
「いえ、問題ありませんでした。そうでなければ、私の身体再生では修復できません」
「だ、だよねー」
花火のように地面に散らばる頭。最悪の光景を思い浮かべてしまい、思わず冷や汗が出る。
でも、とおこちゃんを庇ってちゃんと守れたのはえらいぞ『あいちゃん』、と心の中にいるかもしれない彼女を褒めておく。
しばらく探索を続けていると、ふと、黒い背表紙に白い文字を刻んだ本が目に止まった。棚に並べてある他の書籍や資料とは明らかに毛色が違う。
気になって手に取ってみる。
どうやら絵本のようだ。表紙には、デフォルメされた女の子が星の上で一人泣いている。
「『ひとりきりのほし』?」
『むかしむかし、このほしにはたくさんのヒトがすんでいました。
しかしあるとき、セカイをまきこむおおきなセンソウがおこりました。
センソウではこわーいヘイキがつかわれました。
それにたえられなかったヒトたちはみーんないなくなって、ほかのヒトたちもすこしのイノチしかのこりませんでした。
のこったヒトたちは、そのほしでいきられるあたらしいヒトをつくって、いなくなりました。
そしていま、このほしにはたったひとりだけがすんでいます。
めでたしめでたし』
「これってこの星のこと……?」
『あいちゃん』の記憶を探ってみるが、この星の歴史については知らないようだった。何も思い出せない。
とおこにも絵本を見せて尋ねてみたが、同じく情報は得られなかった。
「私たちって任務に関係ないこと以外は、何も知らないんだね」
「そうですね。ですが、それで十分なのではないでしょうか」
「でも、何のためにこんなことをしてるかくらいは知っておきたい気もするんだよね……あれ?」
一瞬、絵本が消えたかと思うと、次の瞬間には、一枚の長方形状のカードに変化していた。
そのカードを見た瞬間、関連する記憶が流れ込む。
「インストールカード……だったんだ」
――インストールカード
この世界に特定の事象を具現、あるいは顕現させることのできるカード型媒体。
インストールさせる対象の思考中枢付近に近づけ、インストールする意思を思考すれば、対象の思考中枢にその内容が刻印される。
アンインストールする意思を思考するか、対象が生命活動を停止した場合、刻印内容とともにカード型媒体に回帰する。
「――
あいの手にあるインストールカードから、ホログラムが浮かび上がる。
『名称:ひとりきりのほし
属性:不明
形態:不明
詳細:不明 』
「絵本、とかでもないんだね。なにか隠されてるのかも」
その後も探索を続けたが、見つかったのは、
「あ、生八つ橋だー。お腹空いたし食べちゃおっかなー」
「なぜこのような場所に……? あい、不用意に摂取するのはやめたほうが――」
「もむ……?」
「咀嚼音で返事しないでください……」
「……あっ。かっ、は」
口を抑え、苦しそうに膝から崩れ落ちるあい。
「あい!」
血相を変えて、とおこが駆け寄ってくる。
「なんてねー。なんか普通においしかったよー? とおこちゃんもどう?」
「……よかった」
安堵から、そのままとおこも膝から崩れ落ちた。
「――え、ご、ごめん! よしよし、私は無事だから……」
いつか幼馴染にしていたように、優しくとおこの頭をなでる。
私以外の娘をなでたでしょ、浮気よ浮気! そんな言葉が耳元で聞こえた気がした。
そうやってなでていると、とおこも落ち着いてくれたようで安心する。
それにしても、とおこは、こんな娘だっただろうか。
あいが死の間際にあったとしても、無感情で任務遂行を優先する。
とおこを含めたクローン体は、そのような個体しかいなかったと記憶している。
「ま、きっと悪いことじゃないよね。――食べる? 八つ橋?」
首だけで頷き、口を開くとおこ。
「とおこさん? ……ま、いいけどね。はいっ」
楊枝で八ツ橋を口に届ける。
「……これは」
八つ橋を食むとおこは、なにやら不思議そうに戸惑っている。
クローン体は食事をとる必要がない。
生命維持に栄養素を摂取する必要がない、ということではなく、彼女たちは特定の薬品や液体を摂取することによってそれを補っているからだ。
それはつまり、食事が初めてであり、
「甘いとか、おいしいって感覚なんじゃない? あとは、『あいお姉ちゃんに食べさせてもらって、とおこうれしい』とか、そんな感じかも?」
「……かもしれません」
「そういうときは、『おいしい! お姉ちゃん、ありがとう』って言うといいんだよー」
「そうなのですか? では――」
とおこはあいに向き直り、姿勢を正す。そして、
「美味しかったです。ありがとうございます、あい」
「お姉ちゃんは――――!?」
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