第12話 「満月と呼吸」
夜の静寂がヨガスタジオ・ルナを包んでいた。
外にはまんまるの満月が浮かび、窓から差し込む柔らかな光がフロアを淡く照らしている。深い藍色の夜空には雲ひとつなく、星々がちらちらと瞬いていた。
「今日は満月の夜ですね」
沙月の穏やかな声が響く。
いつものように集まった生徒たちは、静かにマットの上に座っていた。
仕事帰りのスーツ姿の女性、家事を終えた後のカーディガンを羽織る主婦、大学帰りの若い女性――それぞれの人生を抱えた彼女たちが、今ここではただ呼吸をする。
「月は満ち、欠け、また満ちる。そのリズムの中で、私たちも変化し続けています。でも、どんなに揺れ動いても、私たちはちゃんと呼吸をして生きている。それだけで、もう十分なんです」
沙月の言葉に、誰かが小さく息を吐いた。
「仕事で疲れた日も、恋がうまくいかない日も、家庭で悩む日もあります。でも、こうして呼吸をしていれば、また新しい明日がやってくる。今日はただ、自分の呼吸に意識を向けてみましょう」
彼女の指示に従い、全員が静かに目を閉じる。
ゆっくりと鼻から息を吸い、口から吐く。
吸って、吐いて。
そのリズムに合わせるように、心のざわめきが少しずつ静まっていく。
「満月は、手放すのに適した日でもあります。いらない感情や思考を、呼吸とともに外へ流していきましょう」
息を吐くたびに、胸の奥に溜まっていたものが少しずつ解けていく気がした。
仕事の失敗、満たされない恋愛、言えなかった言葉。
何もかもを抱えたままでは、前に進めない。
満月の光がやわらかく降り注ぐ中、スタジオの空気がゆっくりと浄化されていく。
やがて、沙月がゆっくりと口を開いた。
「ヨガとは、ポーズをとることだけではありません。本当のヨガは、人生そのものです。呼吸をし、今ここにいる。それだけで、私たちはちゃんと生きているんです」
誰かが目を開けると、窓の向こうには変わらず満月が光っていた。
スタジオの空気は、静寂とともに満ちていた。
今夜、この場所にいた誰もが、それぞれの夜を越え、新しい朝を迎えるだろう。
そう、呼吸とともに。
ヨガスタジオ・ルナの夜 Algo Lighter アルゴライター @Algo_Lighter
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