第3話

誰もが羨むシチュエーションではあるけど、その実はなんて事はない。

慌てて電車に乗った私がホームで落とした定期を彼が拾ってくれた。

それだけの事だ。





イヤホンで音楽を聴きながら電車を待っていると不意に肩を叩かれて




《「えっ?」》




自分が声をかけられてるとは思わず、驚いて片耳のイヤホンを外しながら振り返ると




《『これ、あんたのだろ?』》




彼が差し出している定期を見ると確かに私の名前が書いてあった。




《「あ、はいっ、ありがとうございます」》



《『ん』》




彼は私が定期を受け取るとすぐ、空いてる席の方へ向かって行ってしまった。

間近で見たキレイな顔に、少し見惚れてしまった。

同級生にはいない、少し年上らしき男の人の低い声も耳心地が良かった。

先月まで中学生だった私がいた世界にはいなかった人だ。

そんな一瞬の関わり。





高校に入ってから初めての電車通学の時間を音楽を聴いたり、本を読んだり、友人と会えば会話をしたりして過ごしていた。

ただ、少し前に彼が向かいの席に座っていた時、彼の読んでいた本のタイトルが見えて面白そうだなと思って真似して買って読んでいることは秘密だ。





でもそれだけだ。

その人に一目惚れをしたわけでも、毎朝探してしまうほど気になっているわけでもない。

「(あの人、またいるな)」と思うくらいのものだ。

私が乗る前からその人はすでに乗っていて、私が先に降りてしまうから、どこの駅から乗ってどこの駅まで乗っていっているのかも、年齢も、ましてや名前もしらない。





5駅分の時間、同じ空間にいる。

それだけのことだった。

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