きさらぎ駅、降りずに通り過ぎてみた

佐倉みづき

 がくん、と項垂れた拍子に目が覚めた。寝惚け眼のまま周囲を見渡す。電車の中だった。

 仕事終わりの飲み会の帰り、ほろ酔い気分のまま電車に乗り込んだ。そこまでは覚えているのだが、どうやら居眠りしていたらしい。トンネルの中なのか、はたまたとんでもない田舎を走っているのか。窓の外は真っ暗闇だ。最寄り駅はとっくに過ぎてしまったのだろうか。行き先を表示する電光掲示板には何の文字も浮かんでいない。

『間もなくー、きさらぎー、きさらぎー』

 無機質なアナウンスが告げた停車駅の名にギョッと目を剥いた。いつも使っている路線にそんな名前の駅はない。それに、きさらぎとは都市伝説で語られるきさらぎ駅のことだろうか。

 周囲をちらりと見やる。俺の他に二人の乗客がいた。中年の男と、三十代くらいの女。どちらもくたびれた雰囲気を醸し出してぐったりと腰かけている。こんな時間に電車に乗っている人間なんて、俺のような酔っ払いかブラック企業勤めだけだ。こいつらは後者だろう。

 緩やかにスピードを落とした電車がホームに滑り込む。開いたドアの向こうから、微かに太鼓と鈴の音が聞こえた。確か、きさらぎ駅の話の中でも、駅の周囲でそんな音が響いていたはずだ。つまり、ここで降りたら都市伝説と同じ目に遭う。他の二人もそう思ったのか、俯いたまま微動だにしない。目は開いているから寝ている訳ではなさそうだ。

 俺を含めて誰も降りないまま、気の抜けた音を立ててドアは閉まり、電車は再び動き始めた。きさらぎ駅を通過して、次はどこへ向かうのだろう。かたす駅ややみ駅といった、他の異界駅? それとも、まさか如月きらさぎの次だから弥生やよい駅だったりするんだろうか。

 走り出して間もなく、アナウンスが次の行き先を告げた。

『次はー、ひきにくー、ひきにくー』

「……は?」

 耳を疑った。今、アナウンスは何と告げた? 随分と変わった駅名だが、そんな異界駅あったか?

 首を傾げていると、乗客の一人が突如として発狂した。中年の男だった。

「うわあぁああ、嫌だぁあ! 出して、出してくれ! 死にたくないぃい……!」

 そいつは喚きながらドアをこじ開けて外に飛び出した。走行中の車内から線路に飛び降りるが、そのタイミングで通過した別の電車に轢かれてしまった。一瞬の出来事だった。開きっぱなしのドアから、男のものと思われる肉片がべちゃりと飛び込んできた。一拍遅れて、女の甲高い悲鳴が轟く。俺は堪え切れず、その場で嘔吐した。

『ご乗車ありがとうございましたー、次はー、くしざしー、くしざしー』

 人が死んだにも関わらず、車内アナウンスは淡々と告げる。アナウンスに被さるようにキャキャキャ、と笑い声が聞こえた。猿山の猿の群れが口々に喚いているようなけたたましい、不快な笑い方だった。そこで俺は気づいた。

 これは猿夢だ。きさらぎ駅と同じく掲示板サイトで語られた怪談。電車の中、アナウンスが告げる恐ろしい方法で順番に人が殺されていき、自分の番で夢から覚める――

 なんてことだ。きさらぎ駅を無事に回避したというのに、今度は猿夢に巻き込まれてしまうとは。

 駅に着いた。ずっと俯いて震えていた女が、一目散にホームに飛び出した。途端、上から落ちてきた鉄骨が女の体を貫いた。呆然とした俺を乗せたまま、電車はホームから動き出す。

『ご乗車ありがとうございましたー、次は終点ー、あっしー、あっしー。逃げられませんのでご容赦ください』

 またしても淡白なアナウンスが、かしましい笑声と共に流れる。

 猿夢の通りなら、次に死ぬのは唯一生き残っている俺だ。しかし、あっし? あっしって何だ。昔の一人称か? それとも、タクシー代わりにタダで車を出させられる奴? それはアッシーくんか。

 ホームから滑り出した電車は徐々にスピードを上げていく。こんなにスピードを出していたらぶつかりやしないか。そうなれば、中にいる俺もひとたまりもない。そこで、先ほどのアナウンスの意味に気づいた。

 ――圧死。

「う、うわあっ!」

 俺は咄嗟に非常コックに飛びついたが、寸でのところで思い留まった。挽肉になった男のように無理に電車から飛び降りるのは、猛スピードで走行している今は危険すぎる。それに、アナウンスは逃げられないと言っていた。万事休すか。

 いや、もしもこれが猿夢ならば、夢から覚めれば逃げられるんじゃないか? 逃げられないのは夢の世界での話であり、現実に戻ってしまえば回避できるのではないか。

 覚めろ、覚めろ、覚めろ……心の中で必死に念じた。死にたくない。これが悪夢なら、どうか早く醒めてくれ! そんな願いも虚しく。

 轟音。洗濯機の中にぶち込まれたみたいに、あちこちにぶつかってもみくちゃにされる。眼前に、ひしゃげた鉄の塊が迫ってきた。


 × × ×


 車庫に辿り着いた終電の車内から、男女三名の遺体が見つかった。終点を過ぎても乗客がいることを不審に思った車掌が酔っ払いかと声をかけたところ、全員が苦悶の表情を浮かべて冷たくなっていた。

 体内から毒物や薬物は見つからず、また車内に毒ガスや薬品が散布された痕跡がないことから、警察は事件性はないと判断。三人が偶然にも同じタイミングで心臓発作を起こして死亡したと考えられる。

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きさらぎ駅、降りずに通り過ぎてみた 佐倉みづき @skr_mzk

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